人口の増加による食糧不足が問題とされていますが、水の不足問題はないのでしょうか? 日本は雨は比較的多いのですが、すぐ海に流れてしまいます。ダムがあるので水を供給できていますが、地震や豪雨でダムが決壊したとき、水の供給は追いつかなくなりますね!
2018年のアーカイブ
尾道 信長を呪い殺す“調伏”が行われた「西国寺」
西国一の大寺。今、徳島大学の学者グループで、この寺の「古文書」が解読されている。その中で、織田信長を呪い殺す“調伏”がこの大寺で行われた、とあるとのこと。
パワハラ信長は、部下から将軍としての能力に疑問を持たれ、また、覇権を競う他の武将からも、将軍にふさわしくないと考えられていたのだろうか。
レンコンと健康の効果!
ガン細胞は、体温35.0℃で一番増殖するとのこと。その予防は体温を下げないこと、でもあるのですね。そうだとすると、夏のエアコンはどのように影響しているのでしょうか。エアコンと乳がんの関係はあるのでしょうか。まだまだ分からないことがありますね!
鎌倉 護良親王の偉勲をたたえる「鎌倉宮」
(別称:大塔宮) 祭神:護良親王(後醍醐天皇の第一皇子)
明治天皇は、哀しい最期をとげた護良親王(武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王)の功の偉勲をたたえるべく、神社造営の勅令を発し、東光寺跡に1869年7月創建された。
先入観にとらえられてしまうと!
学校で使う教科書は体系的に出来ています。ということは、はみ出した考え方の学習はできません。思考をパターン化するために学校に行くのです。一方、データベースを利用した検索は、単語で検索するため、予想外(体系的な思考から考えると)な情報に出会います。ネット検索でも同じような環境なのですが、ある意図を持った検索エンジンが使われているため、予想された情報が上位にきます。思考の多様化には物足りなくなります!
厚木 その昔、草競馬の催された「長谷寺」
飯山の隠し鐘(小鮎地区)
飯山の観音様の釣り鐘は、昔、霊験あらたかなお坊さんが造ったもので、板東でいちばんありがたい鐘であるといわれています。この鐘の音を開く者は、みな心を洗われる気がします。病人もこれを聞いて一生懸命信心すれば、病はたちどころによくなりました。
どんなイメージを持って眠りについたか!
眠りの基本にあるのは、幼児期に安心して身を預けることができる大人が、いたかどうかなのでしょう。幼児期に安心を得られなかったまま大人になると、他人を支配しようとするようになり、いじめ・パワハラなどにつながっていくのでしょうか。一生やすらぎを得られない人生になるのでしょうか!
鎌倉 極楽寺駅から成就院へのみち
現在のように完全舗装されたのは1961年度。それ以前は砂煙り濠々として、バイクや徒歩で往く際は目つぶしを食い、凸凹で危険きわまりなかった。
大正十年に自動車が通るようになったというから、実に六十五年間も未舗装であって、いわゆる。道路予定地。だったというわけである。今は50ccのバイクでもスルスルと登ってしまい、何の苦労もない。
血糖値という観点から!
NHK「ためしてガッテン」で、血糖値を上げにくする体質にする対策として、桃色の筋肉の増加が効果あり、と放送されていました。さっそく実践、何らかの効果があると期待しています!
尾道 処刑された盗賊の首を祀った「海福寺」
「三ツ首様」は処刑された盗賊の首をまつったもの。1828年の頃、尾道地方に想兵衛・亀蔵・利助という三人の盗賊がいたが、一風変わった連中で常に貧者に施しをしていた。
同じような伝説に、鼠小僧の義賊伝説があるが、鼠小僧は、江戸時代後期に大名屋敷を専門に荒らした窃盗犯で、賭博で身を持ち崩し、その資金稼ぎのために盗人稼業に手を染めるようになったと伝わる。現在の定説は、「盗んだ金のほとんどは博打と女と飲酒に浪費した」となっている。
人が育児をするということ!
子供が「生きていく役割」といったものを、こなしていく経験がなくなってしまったようです。特に都市で育った子供達は、生物としての生きる力が弱くなっているのでしょう。大災害が頻発し始めた時代、子供一人になったとしても、生き延びていく力が必要な時代になってきているのに!
厚木 元は真言宗の乗碩寺だった曹洞宗「松石寺」
弘法大師が荻野富士(華厳山)と称する山頂付近の岩に経文を記した石を納めたことがことが起源とされている寺院。
寺院はその山のふもとにあってもと華厳山乗碩寺といった。その後興廃を繰り返したが、天正時代徳川家康は当寺を訪れた際寺の由来を聞いて感じ、松平と経石をからめて松平家が石のように堅固に栄えるようにと短歌を読んだ。その後この寺を松石寺と改称した。
「幾千代もかはらて松の栄えかし みのりの石のいはほならへて」-(家康)
いつ巻き込まれるかもしれない災害!
災害に遭うことを、覚悟しなければならない時代がやってきました。大都市は、災害に遭ったとき、物資の補給が対応できないため、災害時でも移動が可能な方法も検討しなければなりません。当然にクルマは使えないので、極端な場合、ゴムボートやトライアルバイクなども、検討の対象にしなければならないのでしょうか?
福山 鞆 潮待ちの港だった「鞆港」
鞆の浦は、『万葉集』の大友旅人の歌にも詠まれた、全国でも最古の長い歴史を持つ港町で、鎌倉・室町にも江戸時代にも大いに栄えた大都市でした。
靹の浦の「鞆」とは、弓を引ぐときに手首に巻いた丸い革製の防具のことで、半円形に巻き込んだ海岸の地形が、鞆に似ていることから名づけられたといわれまます。
江戸中期頃まで、船の航行能力はさほど高くなく、潮の干満を利用しながら沿岸近くを航行するのが一般的でした。そのため、瀬戸内海のほぼ中央に位置する靹の浦は、干満による強い潮流を応用した航法における「潮待ちの港」として、最も重要な港町でした。
火中の栗を拾う!
「火の中の栗を拾う」という歴史はいつ頃からなのでしょう。縄文時代の主食は「栗」、1万年前から6500年前まで温暖化しているので、このどこかで栗が採れるようになったのでしょう。「火の中の栗を拾う」はこの時代から始まっていたのでしょう!
鎌倉 鎌倉七切通の一つ「化粧坂」
鎌倉市扇ガ谷・山ノ内・梶原・佐助鎌倉から藤沢や武蔵方面へも通じる重要な切通道で、中世のやぐら群などがあり、1333年(元弘3年)の鎌倉攻めの際には鎌倉方の防御の拠点となりました。
この仮粧坂は鎌倉七切通の一つで、今も昔の面影を残し、国の史跡になっています。
出世のお守りとしての瓢箪!
瓢箪の種は、縄文時代の草創期から前期にかけての遺跡からも出土しています。縄文土器の形状や重量から考えると、瓢箪で水を運んで、水瓶に入れていたのでしょうか? 出雲大社には、瓢箪に宿る霊力を用いた行事があるそうです。世界中で何かと工夫し、いろいろと文化をつくり出しているようです!
尾道 戦国武将の加藤清正を祀る「妙宣寺」
幕末の風雲急を告げる1867年の末、芸州藩は片岡大記を大隊長とする一個大隊を派兵し、この寺を本陣として尾道を鎮め東の福山藩に備えた。この寺は尾道地方に数少ない幕末維新の史跡である。
サイレント・ベビー!
最近若者の犯罪の中に、今までの概念ではとらえきれない犯罪が起きている。子育てにもその一因があるのだろうか? 核家族や、子供の時にとなり近所との接触がないからだろうか? そのためか、子育て時期の家族が、都市から田舎に引っ越す人がでてきている!
鎌倉 日蓮の鎌倉での布教の中心の跡「安国論寺」
長勝寺・妙法寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵跡とされ、松葉ヶ谷霊跡安国論寺とも言う。
日蓮が鎌倉に来て初めて道場とした岩穴を御法窟といい、『立正安国論』もここで書いたといいます。昔は「日蓮窟」と呼んでいました。