猛暑の季節になりました。災害の後片付けは過激な作業になります。一生懸命に作業しているため、気がつくと熱中症の場合もあります。周囲の人が声をかけ、休憩と水分の補充を行うことが大事です。また、断水の地域があります。これが一番大変です。普通の生活ですと一人1日290リットル、たとえ二階に住んでいたとしても運べないですね!
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厚木 ヘビになった弁天様「浮島弁天社」
浮島弁天社の由来
明治初年のこと松下荻野山中藩士の企画により永い間水害をもたらした弁天様のある浮島を取り除く 爆破が無じ成功したがその直後不思議や弁天様の化身が現れた早速上依知村中が協力して当社を建立し弁財天を祀り 村の平安を祈念したのである。
厚木 霊水の湧き出る白山池がある「白山神社」
昔より雨乞に霊験著しい池があり、 この池は、干ばつの時でも、池の水が涸れることがなく、 それ故、人はこれを霊地と唱え、ここに古い石像、石碑が残存しています。
むかし、行基和尚がこの地に来て、この山に登り、 この池を見た時、霊水の湧き出る清浄な霊地であることを発見して、 この山を霊地と定め、楠木をもって霊御形を彫刻し、加賀国白山妙理大権現(石川県石川郡に鎮座)を勧請したとあります。
よい言葉は、話手もよいエネルギーが!
人類が言葉を使い出した時、最初に話し始めたのは何なのでしょうか? おそらく、自分の経験を、他の人に伝えだしたのでしょう。「困ったとき○○したよ」と、それを聞いた人は、対策を打つことができるようになったのでしょう。そして、人々の経験を伝え合うことで、つながりが深まっていったのでしょう。そうしているうちに、これからのことも、話すようになったのでしょう。どのくらいの年数が必要だったのかはわかりませんが!
厚木 創建当時は昼なお暗い地だった「宝泉寺」
宝泉寺は上依知南部の山際境の丘陵地下段にあります。寺の縁起や『新編相模国風土記稿』によると、室町時代後期の文明18年(1486)の起立と伝えられ、当時の裏山は松が繁り昼なお暗く凄然としていたため別名「松壽林宝泉寺」と呼ばれていました。
相手が脅迫のプロならば!
クレーマーや脅迫のプロ、そして、戦国時代の武将は「人間の弱み」を見つけ、それをうまく利用する名人だったのでしょう。しかし、戦国時代の武将は評価されるが、クレーマーや脅迫のプロは犯罪人として見られます。似たような素質を持ちながら、生きた時代によって、プラスにもマイナスにもなります。やはり、その時代の中で、その環境の中で、どのようにするか、ですね!
ひとりの人間の内側にはさまざまな感情が!
感情は、あるがままにし、その感情を「外から眺めているような自分」がいた方が良いのでしょうか? 将来や過去を考える癖があると、悩みが増え、現在を主に考える人は悩みが少ない、と言われます。「過去は過去に置いて」、現在中心で行くと良いのでしょう!
厚木 平家の落ち武者が祀った「春日神社」
コノシロを食べない村(南毛利地区
温水(ぬるみず)の鎮守社は春日神社です。その鍵取りは、同村の旧家・奥田家が代々世襲しています。春日神社は藤原家の守護神です。源平の戦に敗れた平家の落ち武者がこの地に土着して、春日社を祀ったと伝えられていますが、その理由は分かりません。
縄文の昔から寄生虫と共生してきた!
戦後生まれの人は、「寄生虫は害しかない」という思いが定着しています。しかし、多くの寄生虫は、宿主が死ねば、共に死ななければならない運命のため、宿主とうまく共生する機能を持っていたから、生き残ってきたのでしょう。もっと「正の効用」に目を向けなければいけないのでしょう!
「頑張ります」は、“何をどうする”に!
「頑張ります」と言うタイプと、まったく言わないタイプの人がいます。「頑張ります」と言っている段階では、まだ原因の追及ができていないのでしょう。もっと「どうしてだろう?」と、何回も、何回も、考えるクセがつくと良いのでしょう!
厚木 かって袈裟掛けの松があった「弘徳寺」
寺の縁起によれば、親鸞が東国布教の折りに滞在した旧跡で、親鸞の嫡男・善鸞がここに草庵を結び心光院と号したのが始まりと伝わる。
1960年まで「袈裟掛けの松」というのがありました。ふつうの松の葉は二本ですが、この松の葉は不思議なことに一本だったので、「一葉の松」ともよばれました。
厚木 相模国式内社(しきないしゃ)の「小野神社」
この神社は、延長五年(1194年)の「延喜式」巻九に「相模国式内社の内愛甲郡一座小野神社」と書かれています。
現在の拝殿は、嘉永元年(1848年)に建てられ、わら葺屋根でありましたが、、昭和四十三年に鉄板蓑きに替えられました。本殿は拝殿よりも1mほど高い地面に神明造りで造られています。「新編相模国風土記稿」に「閉香明神社、村の鎮守なり延喜式に載りし小野神社、当国十三社の一にて祭神下春命という」とあります。
管理ポストは無能な上司で埋まる!
内閣の支持率が落ちてきていますが、政党の支持率は、野党が低下しています。国会の野党議員の質問を聞いていると、ほんとうに「政権を取って政治をやるつもりがあるのか?」と思ってしまいます。週刊誌の記者のような質問をする野党議員を選んでいるのは自分たちだ、という意識が、野党の支持率を低下させているのでしょうか!