平気で身勝手なことをしている人!

 戦国時代のような能力重視の時代(現代もそうですが)では、自己中の人も能力が発揮できるようです。織田信長や豊臣秀吉は、“未来に何か残そう”と考えていたのでしょうか? 詳しくないのでよく分かりませんが、“現在”にしか興味がなかったような印象です。能力重視の風土を持った国々でも、成功する人は、自己中で優秀な人達なのでしょう。ただの優秀な人は、学者や研究者になっているのでしょうか?

潮干狩りは三月はじめの巳の日に!

 温暖化や河川の清浄化の行き過ぎで、アサリの生息域が少なくなっているようです。以前の生息環境に戻すことが必要なのですが、それもなかなかうまくいきません。現在の環境で生活できる生物を受け入れた方がよいのでしょうか? 江戸時代、富士山が噴火したとき、神奈川県の西部の秦野では火山灰が数十cm積もったため、今までの野菜が収穫できなくなりました。そこで、行者さんが指導してタバコを植えるようになったとか。やはり、環境の変化に応じて工夫していくしかないのでしょう!

自分自身と「競争」する!

 新コロナの伝染での社会の変化にうまくついて行く人は何パーセントくらいなのでしょうか? 回りが変化の状況を正確に(思い込みなしに)把握し、現在の自分も正確に把握し、やれることを見つけ、実行に移すことができる人。学校での学びでだけは社会の変化にはついていけません。ただ、幸いなことに、劇的な社会変化にはならないのでしょう。
 日本は、四季があり、自然災害があり、地域風土の違いもあり、日常的にある程度の変化に、ごく普通に対応できています。このように変化が日常的にある環境は、ある程度の社会変化にも対応できるのでしょう!

本当に愛しているのでしょうか?

 国会で、菅総理の息子の接待に関する責任を親(総理)に要求していますが、国会議員は、法律を担当する立場にあり、親の責任を問うなら「どのような法律を作るつもりか」を審議してほしいものです。異常な犯罪が増えていますが、その犯罪者の「親の責任」に対して、法律をどうするのか、考えているのでしょうか? ただ、票を集めるだけの批判なら、週刊誌を利用する策を考えればよいのではないのでしょうか。また、ネットでの誹謗中傷(根拠のない悪口を言い広め,その人の人格や名誉を傷つけること)についても、裁判では親の責任(損害賠償)を問われることはありません。統計学的・科学的に「子育て」について、親の責任が明確になった場合、どのようにしたらよいのでしょうか?

「できないに決まっている」という思い込み!

 「思い込み」には気をつける必要があります。特に、一神教の社会では多彩な考え方の受入が難しいようです。アメリカ大統領のトランプ氏が選挙の時に、「選挙に不正があって実際は俺が当選してるんだ」という情報を流した。トランプの支持者たちは、「トランプが選挙に負けることははずがない」と思い込んでいるため、「選挙に不正があるかどうあるか」は関係なく、自分の思い込みを正当化する情報を信じている、ということだそうです!

プラスの感情でさえ穏やかな心を失うことに!

 人と接するとき、“相手に合わせるか”、“自分のままでいるか”、無意識に使い分けているのでしょうね。そんなことをしなくてもよい「自分」ができるとよいですね。ついつい置かれている状況に合わせて行きますね。それが世間での付き合い方ですからね。ただ、それが大きな負担になり、外に出ることが苦手になっている人もいます。「自分を造り上げる」には、長い時間と鋭敏な観察力を鍛えたえ上で、多彩な考え方を理解していく必要があるようです!

リスクに強くなるしかないだろう!

 自然災害や異常な犯罪が増えてきています。このようなリスクは、なかなか避けることは難しいリスクです。リスクに遭遇したときに、そのリスクへの対処する方法を準備しておくことが必要です。ただ、想定外のリスクも起きてしまうため、なかなかやっかいですね。いわゆる災害の知識も大事ですが、生物としての本来の“カン”を磨いていくことも大切です。自然の中で、周囲のいろいろな情報を五感と通して、“第六感”を磨くしかないのでしょう!

体の毒を出して体を守るのが厄年!

 陰陽道は、「陽」と「陰」という視点から、バランスをとって物事を見ていこうともいえます。思い込み・固定観念で物事を見ることの危険性を予知していたのですね。「無」という考え方も、同じような考え方なのでしょう。学問は、多くの「固定観念」を生み出してしまいます。一神教も同じように「思い込み」を生み出しているのでしょう。もしかしたら、AIも同じ道をたどる危険性があるのでしょうか?

江戸時代は1日3万歩いていた!

 江戸時代には3万歩も歩いていたのですね。それも舗装などない悪い道を歩いていたのですね。昔は峠道が多く(メンテナンスが楽なため)、上り下りが多く、大変だったのでしょう。歩くには、筋肉も大事ですが、バランス力がもっと大事だったのでしょう。現在は、とぼとぼ歩きの人が多く、太ももから下しか使っていない人を多く見かけます。坂道の多い町では、腰を使って歩いている人を見かけます。登り降りの道や長距離を歩く人は、腰の筋肉を使って足を前に出し、太ももの筋肉で足を上げているように見えます。そのほうが疲れても歩き続けられるようです!

まずチャンスのある仕事からやってみる!

 「きっかけ」とは、刀で切りつけるタイミングがもとになっているとのこと。鋭敏な注意力が必要だったのですね。その注意力がなければ、チャンスの多くを見逃して、自分が危険になるのですね。日常、のんびりと過ごしていたので、多くのチャンスの「きっかけ」を見逃していたのですね。今のように、伝染病の蔓延で社会が大きく変わろうとしているときは、鋭敏な注意力を持っていないと、チャンスを見逃してしまうのでしょうね!

いろいろな考えの人がいるもの!

 「いろいろな考え」に対応するには、厖大な知識が必要です。いまはNETでの検索ができるため、昔に比べれば多少は便利になっています。しかし、NET検索は自分の都合の良い情報を検索してしまい、より“思い込み”、”固定観念”を強くしてしまうところがあります。すると「いろいろな考え」をますます受け入れられなくなってしまいます。やっかいですね!

感謝の心をもって接するように努力!

 感謝の心は、「ありがとう」などの言葉にしないとなかなか伝わりません。関西や西日本では「ありがとう」という言葉をよく聞きます。バスの運転手さんや、役所の窓口などでも聞きます。しかし、関東ではあまり聞きません。「ありがとう」を口にしていると、いつの間にか周りに対して感謝の気持ちが生まれてきます。何気ないことでもいつも「ありがとう」と言いたいものです!

これ以上マイナスにならないように!

 なかなか解決策(答え)が見つからないとき、散歩をしたりして、気分転換をすると良いとされています。でも、昼間から寝る前まで、あまり深く考え過ぎずに考え事をしていると、寝ながら解決策が浮かんでくることがあります。それも、起きているときにはなかなか思いつかなかった答えが浮かんできます。おそらく、寝ている間は、先入観や思い込みから解放されているからなのでしょう。こうなると楽ですね!

女性の井戸端会議は必要!

 妻田薬師、正しくは、西隣にある遍照院というお寺の薬師堂です。
 伝説によれば、本尊の薬師像は聖徳太子によって造られたといわれています。お堂がいつごろ建てられたのかはわかりませんが、室町時代の末には信仰を集めていたようです。
 薬師堂のある地名は、白根といいます。言い伝えによれば、良(ろう)弁(べん)という僧がお堂で休んでいて夢を見ました。東の方を見ると、庭の大楠が灯籠になり、お堂は昼のように明るくなりました。良弁が身を清めようとして池の側へ行くと、一夜のうちに蓮の花が咲いて、白い根が池一面に広がりました。そこでこの地を白根と呼ぶようになったそうです。

「つまらない話ばかりして」!

 会議が時間オーバーすることは、ビジネス関係ではまずないと思います。出席者のほとんどは、予定を立てており、会議で予定された時間内で終わらせないと支障が出るためです。子どものときから学校の授業で、時間割をしてその時間内で終わらせる授業を受けており、企業に就職してからも、会議に出る立場になる頃までには、時間を守ることが習慣になっています。井戸端会議的な雑談の場でも、終了の時間は意識しています。その習慣が身についていない人もきっといるのでしょう。日本の事務効率が悪いと、他の国の人達から言われているのですから!

自分の才能を見つけ、楽に楽しむ!

 頑張って能力を発揮する人、普通にやっていて能力を発揮する人、がいます。外から眺めていると、両方ともそれほど違いが見えないものです。外から見て、頑張っていても、本人は自然にやっていると思っているようです。やはり、自分が好きなもの、負担を感じないものを見つけて、楽しくやって、能力が発揮できるものを見つけられるといいですね。本人はそれには気がついていないのでしょうが!

倹約遺伝子を持っているとやせにくい!

 貧しい人が夢を持って移住してきたアメリカ。いつまでも能力主義を貫く風土ができているようです。そのためか、格差社会は許容されているのでしょう。その影響がからだの健康問題に影響しています。また、精神的な健康にも影響しているのでしょうか? 日本には、政権支配に敗れた人達が逃れてきた人が多いのでしょうか。みんなで耐える力が強く、また、分け与える風土もできたのでしょう。ただし、日本が能力主義に走っている(戦国時代や、高度成長期まど)ときは、みんなで協力し合う力が弱くなってしまうのですが。災害の頻発や新コロナの伝染で社会に変化が起き、協力する風土が復活してきているようです!

NIMBY(ニンビー)の法則

 自己中心の基礎となっているものは、「思い込み」のようです。データで裏付けがあるようなものでも、その中には、都合の良いデータだけを取り出し、裏付けしたものもあります。森元首相の「会議のメンバーに女性が多いと時間がかかる」という発言は、思い込みなのか、データで裏づけられるのか、分かりませんが、大きな批判を浴びています。マスコミも、批判を流せば視聴率が上がると考え、実際のデータを調べようともしていないようです。正確な現状把握がなければ、的確な改善活動は始まりません。女性の地位の向上は、事実を正確にもれなく把握し、改善していかなければ向上しません。感情論だけでは一時的なもので終わってしまいます!

目は多くを語ります!

 人と接するとき、「自分=思い込み」をいかに捨てて接することができるか。子ども時代は「自立」がひとつの目標でしたが、歳を刻んで行くにつれて、自分の中に溜まってくる“思い込み”を、いかに横に置いて、他人と接することができるか、が大事ですね。子どもはやむを得ない面もあるのですが、大人は、ものすごく意識していないと、“思い込み”から脱出することができないですね!

未来にフタをする言葉!

 相手の価値観を否定するとき、相手の立場になって考えてから、相手を否定することはまずありません。おそらく、自立した人は、どんなときにでも「相手の立場で考える」ことができるのでしょう。能力主義の時代、相手の立場で考えることは、大変難しいことなのでしょう。戦国時代や今の時代は能力主義の時代で、自分のことしか考えない人が、能力を発揮する時代のようです!