脳は、基本的には「楽をしたい」性質があるのでしょうか? 頭脳を駆使している専門家ですら、自分の思い込みから、なかなか抜け出しにくいようです。 例えば、最近問題にされている資源の再利用の考え方も、不要になったものをリサイクルして資源に戻せば良い、という考え方です。 しかし、昭和30年代までの電化製品は、修理が比較的簡単にできる設計になっており、機能しなくなった部品のみ交換すれば、再利用が出来ました。 いま行われているWindows11へのバージョンアップに対応できないノートパソコンは、ほとんどは部品交換で対応することができず、液晶も含め使えなくなります。しかし、リサイクル法があるからそれで良いとされています。年配者はそれでも「もったいない」と思います。 日本の1960年前後の設計思想や生活スタイルの基本は、「もったいない」だったように思います。近未来、単に部品交換だけでなく、性能アップの部品交換ができるようになるとよいのですが(自作のパソコンは、いろいろ対応できるようですが)。 記憶にしても、自分が溜め込んだ情報記憶も、新部品交換のようにして、情報を多彩に追加・入替、新しい発想ができるようにしたいものですね! |
カテゴリーアーカイブ: 情報・知識
言葉の発達こそ感受性世界の入り口!
むかしは「環境に適応する能力」が、最も重要な能力だったのでしょう。しかし、現在は言語による知識になっています。それも記憶力が重視されていました。 最近は、言語による知識には変わりありませんが、ネット検索やデータベースによる知識になってきました。 その結果、情報を組み合わせながら、より深い知識、固定観念を打ち破る知識などにシフトしつつあるようです。 しかし、情報を組み合わせ活用するために必要とされる能力は、言葉と同時に、環境に適応するために養った経験なのでしょう。子供時代に多くの大人と接した体験、自然の中で遊んだ経験などが大切になるのでしょう。 ところで日本語は抽象的な能力を身につけることに適しているのでしょう。似たような言葉がたくさんあり、また、同じ言葉でも、意味が異なっていたり、また、例えば「ニオイ」でデータベースを検索すると、「……において……」などが出てきて、もとの「臭い」とはまったく違った発想にたどり着いたりします! |
自分にとって都合のいい情報!
情報が溢れている時代になっています。情報の受け手には二つのタイプがあります。「外部統制型」と「内部統制型」です。 情報を受け取るとき、どちらかというと「結論中心」に受け取る人と、「データ中心」に受け取る人がいます。 結論中心であれ、データ中心であれ、自分の思い込みをベースとして情報を受け取るのですが、データ中心の方のほうが、思い込みから抜け出すチャンスが少し多いように感じます。 結論は、「白」か「黒」だけでなく。白に近いグレー、黒に近いグレーもあるので、結論を一つに絞るには注意が必要です。歴史的にも、信じられていた原則が変わった例はたくさんありますね! |
脳の中の記憶は彫刻のようなもの!
脳内の記憶の蓄積が大事とされ、今の学校の成績評価がされてきました。しかし敷実態は一時的な記憶でのテストの点数が評価の基礎になってきました。そのためか情報の蓄積は、体験ではなく、教科者や書籍を中心とした言語による蓄積になっています。 ネット社会が普及して、いままで本などから蓄積したデータに優位性がなくなってきており、体験などによる蓄積が復活してくるのでしょうか。ここで気をつけなければならないのが、先入観があると、せっかく体験しても、そこから吸収できる情報が狭くなってしまいます。素直な目で、ありのままの情報を蓄積したいものです! |
人の態度や言葉をいいほうに受け取る!
「人の言葉」の影響は、思っているよりも大きいようです。 新コロナワクチンの後遺症でもそうですね。「後遺症が出る」と聞くと、何かしらの変化があると「これもワクチンの影響かな」と思ってしまいます。これを人に話すと、その人は「ワクチンは必ず後遺症が出る」と思い、他の人からも情報を集めますが、その情報の中に「なんでもないよ」という情報があっても、その情報は採用されず、「後遺症が出る」という情報に重きを置きます。 実際は数パーセントの人に後遺症が出ると聞いても、自分はその数パーセントに入ると考えてしまいます。しかし、その心配性が、生物として生き残ってきた根本にあるのでしょうね! |
パソコンがあったらいいな!
パソコン用の表計算ソフトが普及し始めたのが1980年代の半ば、ほぼ半世紀前です。当初は分厚いマニュアルがあるだけで、教えてくれるところはほとんどありませんでした。分厚いマニュアルも機能についての説明が中心で、入門書といった内容はありませんでした。でも、それにも良い面がありました。「きっと、プラグラムを作った人は”こう考えるだろう”」という発想で、習得できました。それほど基本的な発想でソフトがつくられていました。しかし現在は、ソフトが何でもできるようになり、思いがけない発想でつくられています。そのためか、プログラムミスもときどき起きてしまいますね! |
ヒューマンタッチ感覚が薄れていく!
新コロナ伝染病で、人同士の接触が難しい状態が続いています。これが原因で人づきあいも下手になっていくのでしょうか? 人付き合いが下手になってきたのは、昭和の高度成長期の少し前から、電話が普及し、核家族が増えていき、その後は、携帯電話になり、インターネットが拡大した結果なのでしょうか? 言葉による情報が多量になってきた現在でも、「痛みに関する言葉」は、オンライン診療がささやかれている現在でも、まったくといっていいほど整備されていないですね。方言の中には、その地方特有の病気に対する言葉が多くあると思われるのですが、一般的な言葉にはなっていないですね。 数万年かけて人同士が築いてきたノウハウ、特に視覚や言語以外の感覚が鈍くなってきているのでしょう。 また、人だけでなく、自然が発している危険信号を受信する感覚も、劣化しているようです! |
自分の思い込みで世の中を見ている!
「思い込み」というものは、特定の分野に所属していればメリットがあります。しかし、その分野を離れたとき、または、その分野が大きく変化したとき、それはデメリットとして働き出します。過去にメリットがあっただけに、それを否定することが難しいのです。定年まで同じ分野にいると、ますます、そこから脱出することが難しくなっていきます。遅くとも五十代からは、雑学に取り組みたいものです。それができれば、引退後も新しい人間関係をやすくなります!
異質なルートから情報を集める習慣を!
現代は「思い込み」という症状が、蔓延しているといっていいのでしょう。その原因は、知識教育と多量の情報が手軽に手に入るためなのでしょう。そして今は、自分が知りたい情報を、それもAIを介した情報を選んでしまうため、思い込み病が蔓延しているのでしょう。その解消法は、多彩な情報をを手に入れ、自分の五感を通じた体験や経験から、考えて行くしかないのでしょう。「思い込み」は思考の停止であり、あたまの老化につながるのでしょう!
智慧は一人では身につきません!
ここ数十年においては、本や新聞に始まり、ラジオ・テレビ、そしてネットで、情報量が飛躍的に増えてきました。その反動として、五感からの情報量がどんどん減少しています。人類史上初めてのことです。五感からえた情報で判断していた歴史から、知識・情報をもとにした判断に変わってきています。ということは、言葉で表現できなかったことは、そして、その言葉で正確に伝わらなかったことは、判断に影響を及ぼすことができない、ということです。大手企業でも大事故を起こしています。マニュアルに書いていないこと、書いてあっても充分伝わらないことも、その大事故の一因なっている可能性があります。昔の職人さんは、その技術を「見て盗め」でした!
感覚的な判断力を持った人工知能はない!
インターネットで検索すると、AIが検索した単語に関連した情報を、素早く検索してくれます。専門指向の人にとっては大きなメリットです。しかし、関連情報が多く検索されるため、どんどん視野が狭くなっていきます。新しいアイディアや、視野(興味)を広げたい人にとっては、大きな欠点になってしまいます。私はPHP文庫の内容を中心に、現在8万5千件ほどのデータベースをつくって、単語検索をし、思いつきで関連づけ、組合せをして遊んでいます。そうしていると、自分の固定した考え方が徐々に消えていき、少しずつですが、いろいろと見えてくるものがあり、視野が広がってきたように感じます。AIにも欠点はあるものです!
「意味記憶」と「エピソード記憶」!
やはり同じニュースを見てしまうことがあります。「なにかしら不足情報があるのでは?」と思ってしまいます。とくに新コロナに関する情報は、専門家と言われている人達から発信される情報に、疑問を感じてしまうからでしょうか。しかし、ずっと前の情報はともかく、ここ数日間に発信される情報には、それほどの違いはありません。自分に不安があることに関しては、何回もニュースを見てしまうのでしょうか?
説明書を改めて読み直してみる!
最近の説明書は、薄く・日本語の部分はほんのわずか、という時代になりました。何かあれば「ネットで調べてください」というスタイルになっています。日本でつくり、日本でしか使われないものの中には、昔流の分厚い説明書もあるのですが、それも少なくなってしまいました。メニューを選び、自動で作動するものが多くなり、人間が操作するときに考えなくてよい、という状態になっています。苦労しなくてもよいのですが、脳の働きにとっては、悪い面もあるのでしょう!
「いい言葉」に接し美意識を養おう!
現在は、情報の発信が簡単に行われる時代になりました。そのためか、過激な言葉で批評する情報が多くなっています。マスコミも、個人の情報発信に負けまいと、過激な場面を報道することが多くなったり、あるいは反省して、あえて過激な場面を外したりしているようです。しかし、大人からは、「いい言葉」はあまり聞かなくなったように思います。逆に、子供達から「いい言葉」を聞くことが昔より多くなってきた感じもします!
知っているだけでは役に立たない!
知識中心で学ぶと、体験、経験のないまた、知識と知識を組み合わせ、未来のことを考えてしまいます。その時、マイナス思考になることもあります。経験がないので、より悪く考えてしまいます。楽天家は、先のことはあまり考えません。いま現在に生きています。子供時代から自然の中で遊び回っていると、多彩な自然に適応することが優先するため、いま現在の状況でどうするか、これを身につけていきます。考えすぎる人が、座禅で「無」の状態になることで、現状認識ができるようになることと、似ているのでしょう!
「知識の組合せあそび」は、柔軟な頭を生む!
自分の「知識データーベース」を持ち、そこに蓄積したデータを、単語検索し、見つかった情報を自分流に組合せ遊んでいると、いつの間にか自分の中に蓄積した「思い込み」が、だんだん薄くなっていきます。
ただし、組み合わせる作業において、「完成」を目指さないことが大切です。完成を目指すと、新たな思い込みになりかねません。いわゆる日本の伝統文化である「未完成の美学」といった意識が、思い込みをなくして行くには重要です。
情報は自分の全身で目で耳で!
テレビ番組「人間ってナンだ?超AI入門」で、「知識」について、人間の知識を二階建ての建物にたとえ、一階は「感覚」で得た情報、二階は「言葉」で得た情報と位置づけ、この両方の関連付けがうまくいくと、理解が深まっていくとのこと。AIは二階の部分を高度化しており、一階の感覚情報の部分は、犬や猫よりはるかに劣っているため、二階の言葉情報を大量に蓄積することで、一階の部分をカバーしようとしているとのこと。人間も、昨今は一階の感覚部分の情報量が少なくなっており、言葉情報を正確には理解できていないようです。このため、自然がもっている「多様性」を、感覚的に理解していないため、同じような人を仲間にし、異質な人を除外(いじめを)するのでしょうか!
上手な記憶方法!
最初に接した情報が定着してしまい、その情報と異なった情報が入ってきても、なかなか見方を変えることができないという。また、同じ組織や業界に長期間属していると、見方を変えることが困難になってくる。「思考の老化」なのでしょう。健康寿命が叫ばれていますが、「からだのウォーキング」と共に、「あたまのウォーキング」も重要ですね!
猛暑の夜はどうするか?
「自分で」判断する、ということが難しくなってきているのでしょうか。「知識優先」、そして「専門」を目指すことが一般的になってくると、体験が軽んじられてきます。人類の歴史の99%以上の期間は、体験で学んできました。「言葉」が生まれ、「文字」が生まれ、紙が生まれ、教育が定着した結果、「体験」することが軽んじられるようになってきました。体験して、その後に教育を受けると、智慧につながっていきます。日本の職人の伝統だった「技術は見て盗む」は、本来の姿に近いものがあったのでしょう!
自己投資の効率が良いのは「本」!
ネットから得ることができる情報は、自分が得たい情報が中心になります。しかし、本の内容をデータベース化し、そこから、単語で検索し、その情報を組み合わせていくと、自分が思ってもいなかった組合せになったりします。自分の「思い込み」は精神的な老化です。それを取り払って行くには、自分のデータベースは、最初のうちは、自分流のデータが蓄積されますが、数千件、数万件とデータが増えた結果、検索すると、思ってもいないデータが出てきたします!