1秒で相手を破壊できるれば……、平和に?

 ダイナマイトを発明したノーベルは、ダイナマイトを発明する以前に、たった1秒で相手を破壊できるものがあれば、恐怖のあまり戦争をする者はいなくなるだろうと考えた。
 物理学者アルバート・アインシュタインは平和主義者として有名だったが、1939年にはアメリカ大統領に宛てた、原子爆弾の開発を求める書簡に署名した。のちに「大きな誤り」だったと話していた、とか。
 「人の振り見て我が振り直せ」(人の失敗を笑ったり批判したりするのではなく自分の振る舞いを反省しよう)は、優秀な人達も実践できないものなのですね!

物をたくさん持つよりも体験を重視!

 人間が生きていくにはお金が必要です。それも、100%お金に頼る生活になっています。
 できることなら、食べ物の60%位は、自分で生産できれば、もっと安心できる生活ができる気もするのですが。
 生きていくために、自分のものは自分で作ることで、心がもっと豊かになるのでは? と思っても、今の社会のしくみは、お金がなければ生きていけないですね!

最大の富はわずかな富に満足すること!

 「満足」とは「十分満ち足りていること」なのですが、お金にこだわる人々の多くは、「足りていること」では満足できません。
 「権力(他人を支配し従わせる力、強制力)」や「名誉(すぐれていると認められて得た尊厳、体面、面目)」でも、同じく満ち足りていることでは、満足できないのでしょう。
 日本では、独裁者は織田信長ぐらいなのですが、ヨーロッパでは独裁者は絶えないようですね!

アゴが少し上を向き、鼻まで突き出す人は!

 自惚れ(実際以上に、自分をすぐれていると思って得意になる)ると、煙たがられます(その人がいるために,窮屈(気詰まり)になる)。
 しかし、自惚れている人は、相手がどう思っているかなど、気づきません。
 来年は「うさぎ年」です。
 イソップ物語「ウサギとカメ」の、ウサギにならないように気をつけましょう! 自惚れ(実際以上に、自分をすぐれていると思って得意になる)ると、煙たがられます(その人がいるために,窮屈(気詰まり)になる)。
 しかし、自惚れている人は、相手がどう思っているかなど、気づきません。
 来年は「うさぎ年」です。
 イソップ物語「ウサギとカメ」の、ウサギにならないように気をつけましょう!

どうすれば明るくなれるのでしょうか!

 思考がマイナスになると、どんどんマイナスになって行きますね。「気分転換しろ」と言われても、なかなかできないものです。
 日本の歴史には、禅とか念仏とかの方法もありますが、現在のお寺さんの多くは、あまり生きている人達を相手にしていませんので、周囲の人達の力を借りなければなりません。
 しかし、核家族が定着し、また、都市化が進み、なかなか周囲の人達の力を借りることは難しくなってきています。そのためか、とじこもりの人達が増えているのでしょうか?

本物のオーラを放つ人はその人の後ろ側に!

 知らない人でも、会釈や挨拶をしてしまう人がおられます。なにかしらのオーラがあるのでしょう。
 同じオーラでも、威圧的なオーラもあります。議員さんにもそのようなオーラがある人がおられますね。
 ヒトが持つ自衛の能力なのでしょうか。情報や知識ではこのような感覚は育ちません。やはり自然の中で身につけるものなのでしょうね!

勝ち方の美しさを競うべきだ!

 経済分野も含めて、戦いに「美学」というものが失われてしまったようです。リーダーが、財力・権力・名誉しか求めていないと部下が感じ取ってしまうと、組織としての団結力が弱くなってしまいます。
 今のロシアを見ていると明らかですね。
 どんな行いであろうと、その人に「美学」というものがあると、何かしら訴えるものを感じます。
 日常でも、「法律を守っていれば良い」ではなく、「法律は最低のマナーだ」という意識を持って、もっと上のマナー(美学)を持って暮らせると良いですね!

自説にこだわるあまり孤立!

 経験を積むほど、その分野の知識は増えてきます。しかし、その分野以外の情報は、意識はしていないのですが入ってこなくなります。特に男性は。
 その結果、自分の分野での優位性を武器にするようになります。それが進行したまま、歳を取っていくと、頑固で融通の利かない老後になってしまいます。
 人生の半ばを過ぎると、多彩な情報に触れるようにしないといけないですね!

自分に固執しまったら!

 「自分」というものを持ちながら、「他人を誉める」ことは案外難しいものです。どうしても他人を誉めると、自分がその人より下になるのでは? と、思ってしまうのでしょうか。
 プライドというものは、人間以外の動物は持っているのでしょうか?
 我々は、人同士に限らず、食べ物でも、住んでいる場所でも、何にでも優劣をつけてしまいます。
 本来、生きていくために(生き延びるために)優劣をつけたのでしょうが、その感覚がどんどん広がって、何にでも優劣をつけるようになったのでしょうか? 

苦痛と喜びとを自分の味方につけるか!

 能力には、お金につながるものと、そうでないものがあります。また、その時の社会の状態によっても、違っていきます。
 そうであるならば、その時の社会の状態によって、周りに合わせて行かざるをえません。
 いま、社会が変化しているとき、むかしの成功体験や思い込みにとらわれていると、なかなか良い人生にはなっていかない可能性が高くなっているのでしょう。
 周りの状況をよく観察し、ひととのつながりを大切にし、ものの考え方を素直して暮らしていくことなのでしょうか!

地獄も極楽も、あの世にいって出会うもの!

 「不満」というものを持ち出すと、解決方法への思考が鈍くなってきます。一種の思考停止状態になるのでしょうか?
 「不安」もそうですが、それから脱出するには、「自分に希望を持つ」しかないのでしょう。ただし、それが行き過ぎると、また別の問題が出てくるのでしょうが。
 生活面では、むかし瀬戸内でよく言われていた「半農半漁」のように、複数の生活を支える仕事があると、不満や不安がすくなくなるのでしょうね。
 テレワークが定着する時代になれば、複数の生活を支える方法が見つけやすくなるのでしょうね!

欲に振り回されない!

 「欲に振り回されないこと」。密教ではその欲を「六大煩悩」として、定義しています。貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪見(あっけん)なのですが、自分の、この「六つの煩悩を受け入れた上で、どうするか」なのでしょう。
 そのためには「教養(広い文化的な知識をもとにして、自分で考えること)」が必要なのでしょう。
 専門知識や思い込みは、狭い知識になりやすく、また、その狭い範囲の知識が深くなると、その状態を満足し、教養なある考え方ができなくなってくるようです。
 ロシアのリーダーに関する報道を見ていると、この人も思い込みが激しいと思ってしまいます!

「貧すれば鈍する」ということわざ!

 「貧すれば鈍する」、貧乏すると世俗的な苦労が多いので,才知がにぶったり,品性が下落したりする、という意味なのですが、その通りです。
 少しでも心に余力ができるとすれば、家庭菜園をすることです。戦後の食糧不足の時、それまでの庭が、畑に化けて、少しは心に余力ができていたのでしょう。
 田舎暮らしができる人は、野菜などを少しでも自作することで、心に余力も少しはできてきます。
 大災害や戦争など(そのような時代は来て欲しくはないのですが)の心構えは、必要な時代になりつつあるのでしょうか?

大成功してしまったが、後が怖いなア!

 日本の武将のお墓が高野山に数多くあります。生前の行為に対する罪滅ぼしなのでしょうか?

 鎌倉もそうですが、武将がお寺を多く建立しています。これらもある意味、悪いことをしたということに対するお詫び、また、自分が地獄に行くことを避けたいためなのでしょうか?

 よく言われることですが、「悪いことをしていると自覚しながら、悪いことをするのはまだ良い」、最悪は「良いことをしていると思って、悪いことをする人」と言われています。

 プーチンさんは、「良いことをしている」と思っているのでしょうね!

地に足の着かない生活!

 一定の形を保って生きていると、そのパターンで売り込みやお願いをされると、ついついOKしやすいようです。この形の多くは、教育でなどつくられるのでしょう。また、宗教などでもつくられるのでしょう。
 歴史だけでなく現在でも、国民を従えるために、教育や宗教を利用し、情報統制をして支配しています。
 歴史で残されている文献などのほとんどは、勝者側の視点で書かれており、歴史学者は文献を分析し、教育に利用しています。
 お寺や神社などが造られた経緯も、立派なことをした、という視点で書かれています。でも、自分が非常な残酷なことをしたきたので、その罪を許してもらうために造営したとは、書かれていません。
 小説も、残酷なことをした人でも、英雄扱いで書かれています。そうしないと売れないからでしょう。
 ということは、一般的な人は、残酷なことは見たくないし、早く忘れたいのでしょうね。感動できる部分だけ見たいようにパターン化されているのでしょうか?

心の養成には、ぜいたくをしろ!

 「虚栄の心」「偽善の心」「嫉妬の心」、これらの自分の内にある心には、なかなか気がつかないもの。これに「小心」が加わると「自己保全の心」がどんどん強くなっていきます。
 歴史を見ると、独裁的なリーダーには、小心者が多いようです。というより、優秀な小心者でないと独裁者にはなれないようです。世間の評価は、このような人を高く評価するようですね。
 「曖昧な人」「いいかげんな人」は、世の中を平和に保っているのですが、世間の評価は低いようですね。
 人の基本には、「自分達が争いに勝つ」を高評価する、という性質があるのでしょうね。戦争だけでなく、競技もそうですね!

いざこざは、相手のせいだ、と!

 いざこざが起きると、「相手が悪い」と考えるのが普通です。なかなか「自分が悪かった」と思えないものです。これは、現在起きているロシアのウクライナ侵略戦争においても同様ですね。ロシアは「相手が悪い」と言い続けています。
 どうしたら、「自分が悪い」と思うようになるのでしょうか? 難しい問題です。
 自分の思い込みのからつくり上げた正義、これは、論理的な思考をする人には、改めることが難しいのでしょう。もっと「いい加減」・「曖昧」を許容し、穏やかな社会であってほしいですね!

日本には「完璧は災いの元」という文化も!

 「無心に何かに取り組む」ということは、思い込みがなく、その状況をありのままに見る事ができる方法です。これはトヨタの改善手法と同じで、現状を残り洩らさず把握することを最優先し、それから対応方法を2つか3つに絞り、比較検討しながら改善していくという方法。
 無心であることが、現状把握において、一番有効な方法です。現状を洩れなく把握した上で、改善に取り組んで行く、それが一番成果につながっていくことになるのでしょう。
 しかし、世間では「朝令暮改」より、「いったん決めたことは、最後までやり抜け」ということが、大事だとされる場合が多いようですね!

年齢とともに自分の美学をもつべきだ!

 老年期になったとき、このときほど視野を広げたいもの。仕事を離れたのですから、新しいもの、違った見方が出来る自由を手に入れたのですから。
 自分が習得してきた知識に執着していると、新しい分野の情報が入らなくなります。いわゆる「頑固(他人の意見を聞こうとせず,かたくなに自分の考えや態度などを守ること)」になります。しかも、忘れることが多くなってくると、より視野が狭くなります。
 自分が手に入れた経験や知識を、いろぴろな人々に提供し、その過程で接する人々から、新しい情報を手に入れることが出来れば、異なった視点が生まれてくるのですが!

自分を自慢気に語る人はまだまだ未熟!

 日本では「本当の美しさは、不完全を心の中で完成した人だけが、見いだすことが出来る」という未完の美学があります。
 自らの内的世界に耳を澄ませることができれば、人の意見を素直に聞くことが出来、「完全」ということの危うさに気がつくことが出来ます。
 聖徳太子の「十七条憲法」の最後に、「物事は独断で行ってはならない。必ず皆で適切に議論しなくてはならない。(とはいえ)些細な案件に関しては必ずしも皆で議論する必要は無いが、重大な案件については判断に過失・誤りが無いか疑い、慎重にならなくてはいけないので、皆で議論する必要があるし、そうしていれば(自ずと)道理に適った結論を得ることができる。」と、付け加えています。
 このとき、既に完成の美学に疑問を抱いていたのですね。テレビに出てくる専門家の意見は意見として、三猿の「見ざる、言わざる、聞かざる」の真逆の、「見てご猿、言うてご猿、聞いてご猿」で、世の中の正しいことを「よく見よう」「よく言おう」「よく聞こう」と、常に自分の未熟さを意識していたいものです!!