自分しか見えない「自己中」!

 現在の都会は、能力主義を基本としているため、自己中心思考の人が集まりやすく、どのような場面でも「自分は正しい」ということを基本にして、自分の能力を発揮しようとします。疫病蔓延や災害時には、このような人々に、行動を変えてもらうのはやっかいですね。その人たちに異なった意見を分かってもらうには、現状認識を正確にやってもらう工夫をするしかないのでしょうね。もしかしたら、「自己中心の人達が、人類の生き残りの障害になる」ため、疫病を蔓延させてきたのでしょうか? 極端ですが!

リスクに強くなるしかないだろう!

 自然災害や異常な犯罪が増えてきています。このようなリスクは、なかなか避けることは難しいリスクです。リスクに遭遇したときに、そのリスクへの対処する方法を準備しておくことが必要です。ただ、想定外のリスクも起きてしまうため、なかなかやっかいですね。いわゆる災害の知識も大事ですが、生物としての本来の“カン”を磨いていくことも大切です。自然の中で、周囲のいろいろな情報を五感と通して、“第六感”を磨くしかないのでしょう!

NIMBY(ニンビー)の法則

 自己中心の基礎となっているものは、「思い込み」のようです。データで裏付けがあるようなものでも、その中には、都合の良いデータだけを取り出し、裏付けしたものもあります。森元首相の「会議のメンバーに女性が多いと時間がかかる」という発言は、思い込みなのか、データで裏づけられるのか、分かりませんが、大きな批判を浴びています。マスコミも、批判を流せば視聴率が上がると考え、実際のデータを調べようともしていないようです。正確な現状把握がなければ、的確な改善活動は始まりません。女性の地位の向上は、事実を正確にもれなく把握し、改善していかなければ向上しません。感情論だけでは一時的なもので終わってしまいます!

自分のことしか考えなくなると思い込みが生まれる!

 私たちは、個人的な願望に合う事柄は、すべて真実のように思ってしまい、そうでないものは、私たちを激怒させる。これは自分の「思い込み」によるものです。「思い込み=専門知識」ともいえるので、社会人であればプラスに働くことが多いのですが、そのため、思い込みから脱出することは簡単ではありません。書籍であれ、ネットであれ、テレビ番組であれ、自分の興味があるものにアクセスしてしまいます。ネット検索ではAI機能が働いているので、便利なのですが、視野が狭くなりがちです。異質な情報はなかなか見つけられません。最近はラジオのほうが情報の幅が広いようですね!

相手の自由を侵害しない!

 自己中心は、二十代の前半までに何とか卒業したいもの。もちろん、もっと早く卒業する人もいます。しかし、老後まで自己中心を続ける人もいます。今回の新コロナ伝染病に接すると、自己中心の人が、少しづつ少なくなっていきます。死者が人口の半分くらいまで行くと、自己中心の人は、生き残っていけなくなるのでしょうか!

白人たちが天然痘をインディアン散らした!

 伝染病が流行りだし、それに対する危機意識が問題になっています。こんな事態になって、やっと「平和ボケ(戦争時に自分の命を守る意識の欠如)」と「伝染病に対する危機意識は同じようなもの」と思うようになりました。やはり、安全な環境で育っていると、危機意識も育たないのですね。公園などの遊び場も、安全になりすぎ、人しか通れないような狭い道もほとんど舗装され、平地に多くの人が住み、鉄条網など見ることもなく、危険は少なくなってしまいましたね。「危険ボケ」は種の保存にとっては「無謀」なのでしょうか?

小さな動きから大きな変化を予測すべきだ!

 勘が鋭い人は、自然の中で生き残る可能性が高かったのでしょう。知識がなくても、無意識に安全な行動をとります。たとえば、耳のまわりで、ブンブン音がしたと思われた習慣(スズメバチに出会ったとき)、スーッと姿勢を低くし、低い方向に逃げてい行きました。その結果、スズメバチに襲われませんでした。おそらく、脳がハチの音と判断する直前(鼓膜が震えた瞬間)、危険を察知し、どうすることが安全なのか、考える間もなく、行動できたのでしょう。頭で考える以前に、適切な行動がとれる能力があると良いですね!

「毎日がつまらない」と思う人!

「此処は何なのかしら・・・・?」
 たびたびの崖崩れした墓地。墓石も遺骨も誰のものか判らなくなり、それらを祀るためる石窟を造り、納骨堂にしました。
 閻魔大王が鎮座している石窟の奥が納骨堂になっています。
 明治、大正、昭和と大雨があり、今の延命寺の上の方、頂上まであったお墓が崩れ、現在の形になったようです。
 くり抜かれた岩盤の入り口付近にお地蔵さま、少し奥には閻魔さまがおわせられ、洞窟奥には整然とお墓が並んでいます。

二兎を追うものは二兎を得る!

 昔から瀬戸内では二兎を追っていました。「半農半漁」といい、農業と漁業を並行してやっていました。瀬戸内は夏には水不足が起きやすく、農産物の収穫が不安定です。そのため、海が豊かなため平行して漁業もやり、食糧の確保を行っていました。現在、新コロナの伝染で社会が不安定です。1つの収入源だけに頼っていては不安定な人もおられるでしょう。リスクが大きくなっている社会では、二兎を追うことも場合によっては必要です!

苦しいとき、生き残れない!

 新コロナウィルスの流行で、ビジネスを変えなければいけない分野が出てきています。現状維持が出来るかどうか? 素早い判断が必要な時期です。みんなが撤退する分野で生き残るか、同じ仕事で別の方法や地域に移るか、新規分野に進出するか、事業を休止して待つか、それが見分けられる人に成功のチャンスがあるのでしょう。何年か後に結論が見えてくるのでしょうが、現状の変化に素早く適応して行けるかどうか、なのでしょう!

「人を見て法を説く」という!

 相手を説得するとき、男性は理屈で説得しようとします。しかし、理屈は万国共通ではありません。宗教によって異なる場合もあります。例えばユダヤ教やキリスト教文化の地域では、人間の祖先はアダムとイブで、類人猿ではありません。「猿から進化した」は成立しません。大原則ですらこのようなのですから、細かい部分では、地域によって異なることもかなりあるのでしょう。理屈に比べれば、「笑顔」は世界共通なのでしょう!

「上から目線」に注意!

 「上から目線」はどうして起こるのでしょうか? 人間の欲望は、「財力」・「権力」・「名誉」のようです。江戸時代は、この三つの欲望を分散することで長期政権をつくりました。三つの欲望をの背景に、「知識」や「経験」をもとにし、三つの欲望のどれかを手に入れると、だんだん「上から目線」になり、手に入れた欲望が大きくなるにしたがって、より「上から目線」になるのでしょう。そして真摯な人は「上から目線」から抜け出そうとして、いろいろと工夫し、各種の修行方法が創り出されたのでしょう。欲望から脱出できるひとは多くはないのでしょうが!

ある特定の先入観が入る場合!

 「先入観」、「思い込み」は、視野を狭くしてしまいます。ときには犯罪に至ることもあります。そのことに気がつき、それから脱出するために「禪」などの手法が開発されたのでしょう。座禅に没頭し、先入観・思い込みを「無」にする修行の方法ができたのでしょう。現代では禅と正反対の、「無」を「無限大の情報・知識」にし、無限大の多様性を追求する方法も、データベースを使用すれば可能になっています。ネット検索も大量の情報を扱っているのですが、AIが情報の抽出に関与しているため、一種の思い込み情報になっています。これを解消するには、自分たち(多様な人達で)で、知識・情報の蓄積を行い、個々人がその情報を単語検索し、見つかった情報を組合せ、それの繰り返しで多彩な情報に接し、固定観念を払拭することも可能な時代になっています!

感動を受ける台詞!

 「感謝」は伝染するようです。大都会よりは地方のほうが伝染力が高いようです。新コロナの伝染力と反対ですね。やはり、大都会はあまり周囲に気を使わなくても暮らせます。しかし、地方はある程度は気を使う必要があります。危機対応への違いなのでしょうか? 大都会で、公的な支援がない場合は、多くの人が周りからの支援を受けられず、悲惨な状況に陥るのでしょう。地方は、平静なときは面倒なこともあるのですが、危機状態になった時、助け合うことができるのでしょう。これからは、温暖化による自然災害も頻繁に起こるようになりそうなので、それぞれの地域風土を見極めた上で、暮らす場所を選ぶ必要があるのでしょうか?

定年という生活の転機は!

 定年になってから、「どうしようか」といろいろ考えても、長く続くものは見つからないでしょう。少なくとも、定年の10年くらい前から、準備をして行かなければならないのでしょう。それも、ある意味、精神的には仕事よりも多くの比重をかけて、取り組む必要があるようです。仕事は、経験をつぎ込んで能率アップを図り、負担を低減し、休みの日は、定年後の準備のための技術の習得とデータを蓄積し、そこから、何かしらを生み出す練習をしていく必要があるようです!

毎日難しい顔して生きてへんか?

 現在の不自由なときこそ、笑顔で、やさしい目をしていたいものです。最近、テレビで横断歩道で歩行者がいるときに、一時停止をしないクルマが多いと報道されています。こんなとき一時停止すると、歩行者さんは、感謝の会釈し、急ぎ気味で渡っていく人が多いですね。運転している側も、感謝されて優しい気持ちになります。新コロナで落ち込んだ社会でも、こんなことがあると優しい気持ちになりますね!

求めたいものは一つに絞る!

 社会が変化せざるを得ないとき、やはりお金のことを考えてしまいます。昔の人はどうだったのでしょうか? 生きて行くには「食べ物」だったのでしょう。食べ物を求めて、アフリカから全世界に移動していったのでしょうから。今の日本は、過疎化が進み、休耕田や昔は畑だったところがあちこちにあります。テレワークと組合せ、昔の半農半漁のように、半テレ半農の生活様式は広がっては行かないのでしょうか?

生きていくのが強い人!

 新コロナウイルスによって、社会での過ごし方を変えざるを得ない今。変化していく社会の現状を、正確に、先入観なく把握し、その中で、心に余裕を持ち、他人に対し寛容であり、しかも、何らかの利益を与えることが出来る人は、生きていくことが強い人ですね。社会の変化に柔軟に対応していくのでしょう。また、そのような人に、ついて行くことが出来る人達も、社会の変化について行けるのでしょう!

意識の変革ができなかった人は絶滅する?

 「行動」が、動物の生存の原点にあるのでしょう。言葉がない動物たち、そして、人類がまだ言葉を使っていない時代でも、「行動=体験」したもののうち、生き残りに優位な情報を、子供達に伝えていかなければならない。そのしくみが遺伝子スイッチのOn/Offなのでしょう。このスイッチのOn/Offは動物の歴史から考えると、言葉ではなく、広い意味での行動なのでしょう。言葉を使い出したのは、人類の歴史から考えるとつい最近です。歴史的な体験が浅いため、言葉では遺伝子スイッチのOn/Offが出来ないので、文字にして伝える方法を見つけたのでしょうか? そして最近ではインターネット情報で、言葉に振り回されることになるのでしょうか?

「いい言葉」に接し美意識を養おう!

 現在は、情報の発信が簡単に行われる時代になりました。そのためか、過激な言葉で批評する情報が多くなっています。マスコミも、個人の情報発信に負けまいと、過激な場面を報道することが多くなったり、あるいは反省して、あえて過激な場面を外したりしているようです。しかし、大人からは、「いい言葉」はあまり聞かなくなったように思います。逆に、子供達から「いい言葉」を聞くことが昔より多くなってきた感じもします!