SNSがこれだけ普及すると、それらの反応を研究し、ビジネスに取り入れるしかないのでしょうね。
SNSで批判する人の傾向をつかみ、それを利用し、NETに拡散させる、という手法を研究し活用する。
NET批判者を、ビジネスに積極的に活用する時代になれば、逆に、NET批判者が少なくなっては行かないのでしょうか?
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江戸時代の商売は、ある意味苛酷だった!
値引きは、お客が「欲しい」と感じるタイミングで!

最近は、「ニッパチはお客が来ない」とあまり云われなくなりました。
エアコンの普及や、移動もクルマを使うことが増えたので、寒さ・暑さの感覚が変わってきました。そのためなのでしょう。
これから先、地球の温暖化対策でいろいろな規制が出てくると、ビジネスのその変化に合わせていかなくてはなりません。
「老舗」と言われる100年以上商売を続けるには、世の中の変化を先取りしながらビジネスをしていかないといけないですね!
日常的に「いそがしい」は口に出さない!
ボランティアは自分のためでもある!
“ 「人助けは、自分助け」と言われています。
大阪の商人文化には、「儲けた金は、社会に戻す」という風土がありました。松下幸之助さんも、神社やお寺に多く寄付をしたとか。そう言えば浅草の雷門も幸之助さんの寄付ですね。
尾道にも、ダムを造るとき国と県の補助金以外は、商売で成功した1人の商人の寄付だったとか。
その背景には、親の責任は、子供を一人前にするまでで、遺産を子供に残すという考えはあまりなかったようです。
一方明治維新の頃、生糸とお茶が輸出のメインだったのですが、静岡のお茶は、お茶に土を混ぜ儲けようとしたとのことです。お茶の生産者は、もと徳川の武士だったようです。商人文化を知らなかったのでしょう。
なんだか、静岡県のリニア中央新幹線問題がふと頭に浮かんできました。”
どんな状況にあっても「原因自分論」に!
どんな苦しい状況に合っても、「その原因は自分にある」と思えば、次からは事前に対策を立てておくことができます。いわゆる「失敗は財産である」ということになります。たとえそれが災害であってもです。
どんなにうまくいってても、うまくいかなくなるときに対処ができるようになるには、やはり失敗経験なのでしょう。
現代は、子供時代から安全な環境で育っています。ケガをする回数も激減しています。交通事故以外では、子どもが命をなくすることも減っています。親も、子どもに対する注意が、安全な環境下での注意になっています。
子供時代から失敗経験が少ないため、「失敗財産」があまりありません。自分で考える力が弱っているのでしょう。ネット情報に頼り、ますます生成AIに頼る時代になっていくのでしょうね!
時代の先読みが必要不可欠!
知っていますか? 会社の窮地!
出店する際には必ず事前対策を!
質の競争・個性の競争で生き残る老舗!
ビジネスにお客からのクレームはつきもの!
高度成長期は環境や安全よりも……!
これからは「分散力の時代」に!
正直は最大の戦略である!
社会環境が変化のとき、これを謙虚に受け止める!
食糧危機も控えています!
食糧問題が深刻化すると予想されています。昔の八百屋さんや魚屋さんは、夕方近くになると売れ残り対策のため、お客さんに、その家の家族構成を考慮しながら、料理の仕方を教え、売れ残りそうな食品をなんとか売る店がありました。しかし、現在のスーパーはお客さん任せで、売れ残りそうな食品を使った料理の仕方を教える店などはありません。今の技術では、店の入口のディスプレイを数台置き、売れ残りそうな食材を使ったいろいろな料理を流し、それをお客が選択し、人数と割増率(たくさん食べる家族がいるので1割プラスとか、5%マイナスとか)を入力すると、お店がその量をひとまとめにして準備し、レジで領収書にQRコードを印刷、それをスマホなどで読み取れば、その料理方法の説明した画面にたどり着くようなサービスを、お客に提供するようなお店があるといいのですが。地域によってはもうあるのかな?
売れない企業に限って気づかない!
関西の商人が大事にしていた考え方に「三方良し」というものがありました。「三方良し」とは、「売り手」「買い手」「世間」の皆が喜んでくれることで、近江商人が大切にしていた考えです。「売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのが良い商売である」と考えていました。彼らは、自分たちの利益ばかりを考えるのではなく、ただ人のためになることを行っていました。そうして蓄積していった信頼は、やがて彼らに大きな利益をもたらすことになります。そこで貯まった利益を、学校の建設や橋の建設に提供し、また、その他の社会貢献にも大きく貢献したのだそうです。神社やお寺へ、また、飲み水は確保のためのダム建設などの資金援助も行っていました。今では、国や県・市町村が行うことが普通になっている公共事業の資金の多くを提供していました。基金のときにも米を提供していた豪商もいました。しかし、今は株主が強くなったためか、企業が寄付することは難しくなりましたね!