「ソメイヨシノ」最初は「吉野桜」で売り出した! サクラ(ソメイヨシノ)の花見の季節がやって来ます。 日本人は花見が好きです。しかもサクラについては「花の散る姿」が好きなようです。 今の日本文化のもとの多くは「室町文化」をもとにしているようです。 支配者の曖昧さが、庶民の文化を生み出すもとにでしょうか? でも、サクラ以外の花は、花が散る姿には興味を持ちませんね!
スペインの諺「幸福は最高の復讐である」! 地域によって違いがあるのですが、日本には、行事(催物)が多いですね。 この行事は、「人々が結束するためのもの」と考えると、都会には行事が少なくなっているようですね。 また、核家族になると、やはり行事が少なくなっていくようです。 災害が増えてくるとその回復には、人々の結束が重要になってきます。今はボランティアを呼ばれ、地域外からの“助け”が主流になってしまいました。 これもある意味、地域の結束が弱くなり、地域外に頼るざるを得なくなったのでしょうね!
小正月に、小豆粥を食べると邪気を追い払う! 正月には「おせち料理」を食べることは定着していますが、小正月(1月15日)に小豆粥を食べることはあまりないようです。 そのためか、「小正月」という言葉はあまり聞くことがありません。 「恵方巻き」は一部の地域から全国に広まりましたが、小正月の「小豆粥(あずきがゆ)」は、ビジネスの上では、それほどの効果が期待できないからでしょうね!
西欧は"罪の文化"、日本は"恥の文化"だと! 日本は「恥の文化」と言われていたのですが、現在の犯罪を見ていると、「恥」はどこかに行ってしまいました。 「恥の文化」は消えてしまったようですね。 以前は、映画やテレビで時代劇が多く、そこから「恥の文化」を学んでいたのでしょうか? 海外ではサムライブームが始まっているようですが、日本では時代劇は増えてきませんね!
大政奉還に驚いたのは、実は「朝廷」! 歴史では、朝廷の金銭問題はそれほど取り上げられないですね。 朝廷の財政状態の推移や、お寺や神社の財政問題、かなり苦しい時代もあったのでしょうね。 苦しい時代を乗り切るための、ビジネス感覚が重要だったのでしょうね。しかし、それらはほとんど語られないですね。 「墓じまい」が高額になっているのも、そのような事情があるのでしょうね!
神功皇后を祀る神社が多い住吉大社! 神功皇后は朝鮮半島絵の出兵で知られています。強かったのですね。 初めて女性の総理大臣が就任しております。やはり強いのでしょうか? そういえば住吉大社などは神功皇后を祀っています。住吉神社系は海の安全を守る神様なのですね。海流の変化の激しい瀬戸内海を航行する技術が素晴らしかったのでしょうね!
招き猫発祥の地「豪徳寺(東京)」! 「縁起」を考える時期が地下図いてきました。有名なのは「招き猫」、でも最近はあまり見ないですね。 でも、七五三では神社で子ども連れで参拝している家族を見掛けます。子どもに対しては、縁起の催しはまだ残っているようです。 正月の食べ物は、その多くが冷凍の「おせち」になっているのでしょうか?
千年の木は、柱になってもさらに千年、生きる! オーバーツーリズムで、京都や奈良の修学旅行が難しくなってきています。 日本の古い木造建築を見るチャンスが失われています、しかし、京都や奈良以外にも古い木造建築があるのですが、なかなか集中した場所にはありません。 鎌倉も神社仏閣は多いのですが、国宝の建物はあまりありません(観光客は増えているのですが)。 大人になれば、少し離れていても、あちこち尋ねることが出来るのですが!
「倭冠」は日本人の海賊集団? 「海賊」という意味は、①襲って財貨を強奪する盗賊、②水軍(水上の軍隊)の異称、と辞書にあります。 倭寇は襲って財貨を強奪する盗賊のようですね。 一方、中世の村上水軍などは、普段は水先案内(村上水軍のいた今の「しまなみ海道」あたりは、瀬戸内海の中央で、干満の差が3m以上あり、干潮や満潮の時間帯を除くと、潮の流れが速く、海底の岩が船底に当たるか、また、どこが本州なのか島なのか、分からないので、水先案内が必要でした。 ただ、戦になると傭兵として利益を得る集団でした。いわゆる比叡山などの僧兵と同じような立場だったのでしょう!
「お月見」一年に二回する習慣があるのは日本だけ! 冬になると、見通しの良い時期が続くので、「星見」に移っていくのでしょうか? 見通しの良い夜に、空を眺めていると、心の雑念も晴れてきますね。 春の種まき・夏の手入れ・秋の収穫までは、仕事がいそがしいので、秋が終わり頃になると、やっと心に余裕ができ、また、雑念もでき、心を晴れやかにする必要があったのでしょうか。 春が来るまでは、夜空を楽しむことが出来ますね!
「お月見」一年に二回する習慣があるのは日本だけ! 冬になると、見通しの良い時期が続くので、「星見」に移っていくのでしょうか? 見通しの良い夜に、空を眺めていると、心の雑念も晴れてきますね。 春の種まき・夏の手入れ・秋の収穫までは、仕事がいそがしいので、秋が終わり頃になると、やっと心に余裕ができ、また、雑念もでき、心を晴れやかにする必要があったのでしょうか。 春が来るまでは、夜空を楽しむことが出来ますね!
地蔵人気は、平安時代、地獄の恐怖心が強くなったことで! お寺の入口や道端で見掛ける地蔵菩薩。閻魔大王の裁きで地獄に落ちないように救ってくれる地蔵菩薩。 平安時代に、富士山の延暦大噴火(800年頃~)と貞観大噴火(864年~)が代表的ですが、この恐怖に対し地蔵信仰が盛んになったとのこと。 いま、富士山の噴火が起こるのではないか、すると、電子機器が障害を受け、交通機関だけでなく情報社会も壊滅的な障害を受けるのではないか? との恐怖心が起きても致し方ない時代になっています。 なにか救いの菩薩が現れるのでしょうか?
鎌倉 深山幽谷の山寺といった風情がある「浄智寺」 最近のイスラムの行動を見ていると、なんとなく「ヒトラーがユダヤ人に対し異常な人種的偏見を抱いた」のが、分からないでもないような気がしてきました。 ユダヤの格言『一度に海を作ろうと思ってはならない。まず小川からつくらねければならない』は、そうでないため格言になっているのだろうか、と思ってしまいます。 一神教の国々は過激になりやすいようですね。多神教の国でも戦争の歴史はありますが、一神教の国よりは少ないのでしょうか!
桃太郎は、イヌ(信頼)・サル(知恵)・キジ(情報)を連れて鬼退治に! 桃太郎の伝説、吉備の国(第四十一代持統天皇の時、吉備の国は備前・微衷・備後・美作:主に現在の岡山県と広島県東部)の伝説です。 意外と知られていないのが、「鬼を殺したりしません。悪いことは悪いときちんと教えるけれど、反省したら許しています」。 日本の文化の基本に、このような考え方が根づいていたのですね!
河童の原型は太古から、明確なイメージが誕生したのは近世! カッパは想像上の生き物ですが、太古の時代からいたようです。 水は人間にとって(作物にとって)非常に大事なもの、しかし、災いも起こします。この災いがカッパを生んだのでしょうか? 日本、とくに関西から西はそれほど大きな川が少なく、まだよかったのでしょうが、東日本は大きな川があり、大災害も多かったのでしょうね。 でも、中国ほどの大河はなかったので、竜までは生まれませんでしたね!
騎馬遊牧民が最初にあらわれたのは、紀元前1000年頃! 移動しながら食料を入手していく、という生活スタイルと、一定の場所に定着し生活するスタイルとでは、戦にどのような違いが生まれたのでしょうか? いわゆる遊牧民と農耕民の生活スタイルの違いなのですが。 戦いの武器については遊牧民が圧倒的に有利ですが、戦いを続けるための補給体制では、農耕民続報が有利と思われます。 人類の長い歴史を見ると、どちらも生き残っているので、同等なのでしょうね!
朝鮮半島は、西暦300年代に独立の国づくりが進んだ! 朝鮮半島の歴史は、紀元前200年頃に中国の一派が移り住んだことから国づくりが始まったようです。 日本の縄文時代や弥生時代の時期の国づくリは、どのような状態だったのでしょうか? 日本の歴史では、西暦300年代(古墳時代)から600年代(飛鳥時代)にかけて、ヤマト政権(大和朝廷)による統一・建国がなされ、今に続く日本の基礎ができたとされています。 遣隋使は西暦600年~618年の18年間に3回から5回派遣されています。目的は国づくりのためなのでしょうが、「国づくり」という意識はその前からあったのでしょうから、いつごろからなのでしょうね?
江戸時代の吉原、いろいろな文化を生み出した! 江戸時代の吉原は、江戸の文化を創り出していたのでそうね。 テレビなどで見ると、花魁が高下駄を履いて町を練り歩いている画面を見ます。 現在は、一般の人では歩き方を学ぶことはほとんどありません。乗り物が普及したためでしょうか。 いまでも歩く姿を注意深く見ていると、車が使えない坂の上に子供時代から暮らしている人は、足を前に出す筋肉の使い方が違っているようです。腰などの動き方が少し違っています!
大晦日に蕎麦を食べるようになった由来! 日本の伝統的な行事は大切にしたいですね。 欧米の文化が浸透したため、つい、昔からの行事を忘れてしまいます。日本の行事は、何かしらの災害時でも「つながり」を維持し、災害時に助け合う風土づくりに貢献していると思います。 「ボランティア」という言葉が使われていなかった時も、日本には助け合う風土が根づいていました。その助け合う気持ちを維持し続けるため、いろいろな行事が生まれたようです。 行事は、神様や仏さまとのつながりが強いのも、そのためではないのでしょうか!
クリスマス、ふと考えてみるきっかけに! 日本では行事が少なくなりつつありますが、いろいろな行事があると、それぞれの行事の成り立ちや目的を、ふと考えてみるきっかけになります。 災害が多かった日本、行事がたくさんありました。 それも、地域それぞれ風土が違うため、各地に個性のあるいろいろな行事が生まれたようです。 それらの行事は、災害に遭った人々が、立ち直るきっかけにもなったようです。 50年前のお年寄りの子供時代の記憶には、生活に根づいた行事は、たくさん残っていたようです。歴史を大切にする日本、残念ですね!