相撲を取り始めると、意外と汗をかいていません!

 暑い日に来客があると、つい冷たい物を出します。相手も、冷たい物が欲しいかどうかは別にして、感謝します。それが日本文化です。
 しかし、外国の人の来客が増え、それぞれの文化があり、その人が望んでいる物を出す配慮が必要になってきたようです。
 日本の文化を求めて来日する人も多いようですが、日本文化を押しつけることには注意が必要のようです!

心というやつは、すこぶるコントロールしにくい!

 自分の成長の目的地を、幾つになっても決めている人は、どのくらいいるのでしょうか?
 成長の目的地、これを決めるのはかなり難しいと思うのですが。
 中国では、皇帝などが不老不死を求める文化があるようですが、その人の「成長の目的地」を決める文化はあったのでしょうか?
 「権力」を永久に求める文化なのでしょうか?
 日本の向かいの物語「竹取物語」では、かぐや姫が月に帰るとき、不老不死の薬を帝に渡したが、富士山の山頂で燃やしたとなっていますね!

移りゆくことこそが永遠の真理!

ブッダの遺言
 私はたしかに、もうすぐ死ぬ。
 しかし君が悲しむことはない。嘆くこともない。
 私はこれまで何度も説いてきた。
 「どんな愛しい者からも、大好きな者からも、100%の確率で、生きているうち、もしくは死ぬときに、引き裂かれて別離し、すべては移ろいゆく」と。
 いったん生まれたもの。存在するもの。つくられたもの。それらはすべ て壊れゆく定めにあり、「壊れるな」という無理が通ることはありえない。
 この世に永遠のものなど何ひとつなく、私の命もまた永遠ならずして、もうすぐ私はそれをそっと手放す。
 それはごへごく自然なこと。
 すべてのものは一瞬一瞬、刻一刻と壊れて、少しずつ消滅してゆく。
 だから、君はほんの一瞬もムダにすることなく、ダラダラすることなく、精進するように。
 これがまもなく死にゆく私が、君に先生として残す、最期の遺言となるだろう。

「おひとりさま」とは精神的に自立した女性のこと!

 最近は、「一人で生きる」ことを前提にした生き方が増えています。
 これは、生活が安定したため、精神的な安定のためなのでしょうか。
 人生、ある時期は精神邸に一人で自立して生きることは、自分の成長のため必要になってくるのでしょう!

自然に反する生き方がいかに悪いか!

 生き物は、自然のリズムに合わせるように設計されています。そのためか、自然のリズムが変化すると、絶滅に至る生物も出てきます。
 ただ人間は、産業革命により、自然の変化をある程度は対応出来ているのでしょう。
 肥料など運び、水を運び、自然の環境を変えるようになっています。
 しかし、それらが行き過ぎるとどうなるのでしょうか?
 温暖化もそうですが、戦争もそうなのでしょう。
 あと何年、生き残れるのでしょうか?

自分に不利でも「いや」と言わない……!

 災害が頻繁に起きています。災害で不幸な大人たちが幸せになれない最大の原因は、自分で幸せになろうとしないところのようです。
 そのようにならないため、やはり支援が必要です。
 まず、安心してもらう環境作り、それができると、次に自立できる環境づくり、すると自分で幸せになろうという意欲が湧いてくるようです。
 災害が起きる前から、そんな環境があると、より自立心が湧きやすいのでしょうね!

人と出会えば、何かが生まれる!

 「人と出会う」ことを、意識して出来ることは、特に歳をとると大切です。
 しかし、自分に固定観念があったり、自分を飾り立てたりする人には、その場の付き合いは出来ても、普通の付き合いは難しいようです。
 特に都会暮らしに慣れてしまうと、かなり意識を深くしないと難しいですね。
 都会から地方に移る人は、なんとなく気がついているのでしょうね!

「世界経済」に協力するか、または逆らうか!

 産業革命は、人類を幸せにした、と何となく思っていました。
 当時は、新しい燃料の石炭が大量に消費できるようになり、蒸気を使うなど、それまでには手に入らなかったエネルギーを手に入れました。
 しかし、石炭が消費で少なくなり、石油に移行しました。
 これは、むかし森林を伐採し、燃料に使い、森林は草原や砂漠になってしましました。
 このような石炭や石油の採掘は、何かしら地球に影響してこないでしょうか?
 最近増えている地震とは関係がないのでしょうが、何かしらの災害につながらないのでしょうか?

将来、食糧難が起こるのか?

 円安で、食料などの生産は国内でしたら、と思う人が増えているt思われます。
 むかし言われていた「鎖国」にしたら、と思ってしまいます。
 石器時代から縄文時代の大昔から、食料や水が豊かだこそ日本にヒトが住み始めたのでしょう。
 しかし、現在は食料や肥料も輸入に頼っています。
 そのためか、病気も昔と違っている部分もあるようです。
 今でも、田舎苦死は暮らしは、地産地消がある程度残っているのでしょう!

二人の名医、それは、発熱と食欲不振!

 昔から、権力者が「不老不死」をもとめたと、特に中国の歴史にあるようです。
 現在も、いろいろと研究が進み、そのうち実現すると思われている。
 しかし、「不老不死」が実現すると、人口がもっと増え、食料や燃料が不足してしまいます。
 食べなくても生きていける人類が生まれるのでしょうか?
 技術の発達は、人類にとってプラスなのかな?

自分の個人的な経験を重視すると!

 同じ分野の仕事が続いてしまうと、考え方も狭くなってしまいます。
 そのためか、昔は定期的な移動がありました。移動すると、別の種類の情報が入り、考え方・見方も変化する可能性が広がります。
 確かに、専門分野だけに従事し、歳をとってしまうと、考え方が狭くなっている人を見掛けます。
 現在は専門家指向のようです。起業にとっては効率的になるのでしょうが、歳ととってしまうと、人付き合いが大変にならないといいのですが!

辛い食べ物がブームの現在、辛そうな赤色でデザインが盛ん!

 今回の石油ショックは、物価高だけでなく商品を包むデザインにも影響だ出てくるようです。
 以前は商品の特徴をどのように表現するかがテーマでしたが、これからは、デザイン担当をする人は、やっかいな時代に入るようですね。
 発想を変えることは、今までの経験が意味を持たなくなります。
 新たな感覚を磨いていくことしかないのでしょうね。
 新食感、新しい感覚を磨くことに役立つのでしょうね!

税を払う側が善良や従順であるとは限らない!

 税の徴収が、「コメ」から「銭」になるといろいろなメリットが出てきます。
 田んぼのそばに、豆を植え、それを売れば税金を納めることもできます。また、コメを収穫した後に、その後でも育つ農作物を植えれば、それを売却できます。冬には内職もできます。
 戦で傭兵として活動もできます。
 貨幣は農作物の多角化や職の多角化に貢献したのでしょうね!

梅雨時「ずいぶん蒸しますね」でとどめておいたほうが!

 何気ない話しが、誰とでもできるといいですね。
 昔の喫茶やバーなどは、そんな雰囲気がかなりありました。
 意識はしていませんが、情報収集なのでしょうか?
 現在は、NETで大量の情報が提供され、しかもAIでうまく編集された情報が提供される時代になっています。

忙しい中で時間をつくり出す!

 「時間がない」と思うことはありますね。NETが簡単いつ帰ると、よけいに時間がなくなります。
 時間の使い方、これは、何をやるかの優先順位のつけ方ですね。優先順位を付けないまま、つい、時間と使ってしまいます。
 特に、NETでの検索では、検索者の傾向にあった情報を提供してくれます。そんため、つい時間を使ってしまいます。
 改めて、自分の思い込みを捨て(先入観を捨て、身につけた知識を捨て)、事実をありのまま観察し、対応できれば、優先順位にそった時間の使い方ができるのでしょうね!

黒点が増えると地球は暖かくなる!

 太陽に見える「黒点」は11年秋季で増減しているそうです。黒点が出来ると周囲と2000度も温度が低くなるそうです。
 地球にも産業革命による温暖化以外にも、気温の変動があるようですが、かなり長期間で起きているようです。
 縄文時代は数メートルに及ぶ海面の上下があったそうです。そのためか西日本に縄文遺跡がないのは、暑くて暮らしにくかったのでしょうか?
 また、寒冷化で中国の黄河流域の人達が揚子江側に南下し、揚子江側の人たちと争いになり、負けた揚子江側の人達が日本に来たのでしょうか、それで稲作が日本に伝わったのでしょうね!

縄文時代の日本人の平均寿命は15歳ほど?

 「寿命」というものを、どのように捉えるか、なんとなく長ければ良いと思っていました。
 歴史上は、やはり「長寿」を目指していました。現在もそうですね。
 長寿は、病気も増えてきます。もともと人類は長寿になるような設計になっていないのでしょうか?
 現在は、設計変更で長寿を目指す技術開発を目指しているようです。それが正解なのでしょうか?

なぜ同じ店で!? 「本屋+カフェ」「家具屋+洋服店」……!

 「意外な組み合わせ」、いわゆる異業種の組み合わせでビジネスをすることが、活力を生む時代が定着するのでしょか。
 以前は、専門技術を深めることを追求してきました。異業種への進出と行っても、その専門技術を使ったものでした。
 まったく関係がない業種に進出することは、考えられませんでした。
 しかし、消費者目線で見ると、現在の消費者は、移動距離をできるだけ少なくして買い物をしたい、という状況になっています。
 ガソリン高騰でより移動距離を少なくしたいのです。
 異業種の組み合わせも、変わるのでしょうね!

自然の循環と再生産の流れの中で生きていた縄文人!

 人間を生物として考えた場合、「身の丈に合った暮らし方」は、どんな暮らし方なのでしょうか?
 そのような視点に立つと、現在の社会の動きに疑問が湧いてきます。
 AIに疑問が湧く現在、というより、便利さを求めてきた社会、特に産業革命以降の人間社会、疑問が湧いてきます。
 昔は、歩くこと(1日20~30km)はそれほどのことではなかったのですが、今は、その10分の1位になってしまいました。
 AIも頭の働きを10分の1位にしてしまうのでしょうか?
 人間か「進歩」として考えてきたことは、人類の滅亡を促すことにならないのでしょうか?

この世でもっとも恐ろしいものは「人間」!

 いつの世でも戦争がありますね。しかも技術の発展と共に深刻化しています。
 現代は、「人間が楽になるため」の技術発展です。
 縄文時代は自然適応のための技術発展だったのでしょう。そのために、からだを使っていました。
 でも、からだを動かさないことを目的(しかもAIは頭も使わないための技術)になっています。
 人類の生存に良いのでしょうか?
 技術発展は、人類飲滅亡のための技術なのでしょうか?