鎌倉 門前に[源頼朝公祈願所]の石碑「補陀洛寺」

 この寺は南向山(なんこうざん)という山号をもつ真言宗の寺で、源頼朝が文覚(もんがく)を開山として1181年(養和元年)に建てたといわれます。もとは七堂伽藍という建物がそろった大きな寺院であったということです。その後、だいぶ荒れてしまいましたが、文和年間(1352~1356年)に、鶴岡八幡宮の供僧(ぐそう)だった頼基(らいき)が復興したと伝えられています。
 補陀洛寺は別名竜巻寺(たつまきでら)ともいわれ、竜巻にあったり火災にあったりしたようです。寺に伝わるものとして、本尊の十一面観音をはじめとする仏像や貴重な文化財の多い寺です。

質の競争・個性の競争で生き残る老舗!

 老舗はどのようにして続けていけるのでしょうか?
 やはり、「個性」と「質」がその基本にあるのでしょうね。それにプラスして、単に法律を守るだけでなく、もっと上のビジネスマナーを持ち続けているのでしょうね。
 古くからの商人の町では、「法律は最低レベルのマナーであり、もっと上のマナーを持って商売をしなければ……」と言われていました。
 そして「お客さんの声を聞く」、このことを大事にし、その声を商品に反映する下地を持ち続けているのでしょうね!

尾道 歴史や文化の発信を願う「海の駅」

 ヨットやボートの停泊設備です。

 住吉浜といい、昔から船着場がありました。一部復元されています。
 ここの「海の駅」なのですが、食堂や売店の施設はが、ホテルや食堂、商店街がすぐそばなので、停泊施設以外は造らなかったのでしょう。
 「海の駅」は、瀬戸内海の豊かな自然環境と歴史や文化という貴重な地域の観光資源を多くの皆さんに発信することにより、瀬戸内海の島々への観光客を誘致し、賑わいをもたせて地域経済の活性化と産業振興を図り、人々に安らぎと癒しを与えることを目的に、平成12年3月に広島県豊町に設置された「ゆたかの海の駅」が発祥です。

ユーモア・ジョーク、機転を身につけるには!

 ユーモアやジョークを言える人は、視野が広く、固定観念がなく、経験が豊富だけでは、言えないですよね。それにプラス「機転」が必要ですね。
 また、風土も関係しているようです。
 よく大阪の人はおもしろい、と言われています。子供の時から、状況をつかみ、なにかしら視点を変えて言う、という風土があるのでしょうね。
 川や海、台風や地震といったものに、権力争い、いくさ、それに貿易や商売など、歴史的な風土も影響しているのでしょうね!

厚木 子供や水子の供養の地蔵信仰「子合地蔵尊」

 『子合地蔵牌山来記』によると、この地蔵尊は、八幡太郎義家の六男・森冠者義隆に縁のあるものといいます。保元・平治の乱の折、義隆は妻子をおいて相模国毛利荘荻野郷に落ちてきました。義隆の死後その終焉の地に参ろうとこの地にやってきたのは、義隆の遺児の僧・浄慶でした。浄慶は、子合に住まっていた義隆の郎党・毛利のもとを訪ねました。主計は、義隆追善のため上京、河内国(大阪府)壷井にて義隆縁の地蔵尊をいただき、郷里・荻野郷子合に戻り、浮慶に託して、義隆公三十三回忌の法要を営みました。その折に建立したのが、子合地蔵尊です。

成長・退行の葛藤に常にさらされている!

 「ついつい楽をしてしまう」、これが生活の全てに及んでしまうと、いつの間にか習慣になり、そこから脱出しようとする意欲も湧いてきません。 健康年齢を短くしてしまいます。
 からだも頭も、血の巡りをよくするように、努力する習慣を身につければ、健康寿命は長くなると思われます。
 自分が楽をするという前提で、人づきあいをしてしまうと、それが無意識であれ、浅い人間関係しか築けません。
 すべてでなくても良いですから、ひとつでも一生懸命やれるものがあると良いですね。それとも「あきらめます」か!

厚木 武田信玄に焼かれたことがある「妻田薬師院」

 薬師堂のある地名は、白根といいます。言い伝えによれば、良(ろう)弁(べん)という僧がお堂で休んでいて夢を見ました。東の方を見ると、庭の大楠が灯籠になり、お堂は昼のように明るくなりました。良弁が身を清めようとして池の側へ行くと、一夜のうちに蓮の花が咲いて、白い根が池一面に広がりました。そこでこの地を白根と呼ぶようになったそうです。
 境内の楠は、県指定の天然記念物で、戦国時代の1569年、武田信玄が小田原を攻めた帰り道、夜中に軍を進めるためにこの木に火を付けて灯りとしたという話も伝えられています。

コミュニケーションに“ずれ”!

 コミュニケーションが苦手の人は、どこに原因があるのでしょうか。
 子供時代に接触する大人の数も原因の1つかも知れません。多くの大人との接触があれば、受け入れてくれる人も多くなり、また、体験の種類も増えていきます。
 このことが、多彩な経験から知識も増え、いろいろな人との対応が出来るようになるのでしょう。すると、多彩な人との接触が知識を増やしていきます。するとまた、その多彩な知識が、新しい人達とのコミュニケーションにつながっていきます。
 子供時代、地方での田舎暮らしは、大人と接触する経験が豊かになります。むかしは都会でも下町暮らしの中にも、同じような経験ができたのですが!

鎌倉 光明寺草創以前よりこの地に「蓮乗院」

 この寺院の創立年代や開山については、はっきりわかりませんが、光明寺より早い時期からこの地にあった寺で、蓮乗寺(れんじょうじ)といってはじめ真言宗(しんごんしゅう)だったということです。その後、光明寺が佐助ヶ谷(さすけがやつ)から移されてきてから、光明寺の子院となり、浄主宗(じょうどしゅう)の蓮乗院と改めたといわれてします。
 1243年(寛元元年)に光明寺が良忠によって創建されたといわれますが、寺院の落成まで良忠は蓮乗院に居住して、建築を監督(かんとく)したということです。こうしたことから、光明寺の新しい住職となると、まず蓮乗院に入ってから改めて光明寺の本山方丈(ほうじょう)に入る慣わしになりました。

国際関係で大事なのは道徳的な姿勢!

 戦争の原因の多くは、国益と考えられています。しかし、戦争の原因の実情は、トップの「怒り」のようです。
 国益を求める段階では、まだ交渉でなんとかなります。しかし、交渉中やその後に、トップのプライドが傷つけられるような怒りが生じると、独裁国家では戦争が始まるのではないのでしょうか。
 トップにあまりにも権力が集中している場合、トップの怒りを静めるスタッフの機能が働きません。
 武器が高度に強力化した現在、独裁者を生まない人間の知恵を、見つけなければならないですね!