「定住を基本とした社会」か、「移動を基本とした社会か」で、その地域の風土がかなり異なるようです。移動を基本としている社会は「能力主義」が基本になります。しかし、定住を基本とする社会では、個々人の能力が平準化した方が、その社会がより協力的になり、不満も少なくなると思います。現在の日本は、欧米の考え方の比重が高くなっており、能力主義がよいとされているようです。しかし、日本では「少しばかりの能力の差」が、過大に評価されないように注意する必要があるのでしょう!
2021年のアーカイブ
鎌倉 源氏の旗、白旗に因(ちな)む「白旗神社」
小田原を平定した秀吉は天正十八年七月十七日、奥州へおもむく途中、鶴岡八幡宮に参詣した。
そして、白旗社の扉を開けさせ、源頼朝の木像にむかって話しかけたという。
「およそ微少の身で天下を取ったのは、わが国では御身(頼朝)と自分だけである。しかし御身は多田(源)満仲の後胤という名門の出で、しかも頼義・義家は東国に名を馳せ、為義・義朝も関東に威を張った。だから流人となっても、兵を挙げると関東のものがみな従ったので、天下を統一するのにたやすかった。自分はもともと氏も系図もない身であるのにこのように天下を取ったのだから、その功績は自分の方が勝っている。しかしながら御身と自分とは天下友達である」と、ひとりしゃべりおえると、頼朝の木像の背中をポンポンと叩いた、というエピソードがあります。
前頭葉の働きは!
ここ数万年の地球環境は、前頭葉が発達したホモサピエンスに最適だったのでしょう。しかし、その最適な環境を壊すのも前頭葉かも知れませんね。動物の中で殺し合うのは人間だけと言われています(50年ほど前に他にもいるようだと分かったようですが)。人類で生き残っているのはホモサピエンスだけですので、なんとか頑張ってほしいですね!
尾道 踊念仏を復興し、継承「正念寺」
当山は第三十一代遊行上人によって開かれた念仏道場です。堂宇の創建には覚阿という時衆が力を発揮したと言います。
本堂に安置する阿弥陀如来像は、全国的にも珍しい半跏座木像で、鎌倉期の趣があります。尾道市の民族文化財に指定されている「下陣の格天井の彩色画」、延命地蔵堂に安置されている「木造地蔵菩薩立像」があります。
時宗の開祖一遍上人の跡を継いだ歴代の上人は「遊行上人」と呼ばれ、全国を回って念仏の教えをひろめたので、各地に「時衆」と呼ばれる念仏集団生まれ、その遊場がつくられました。
人間らしい四つ機能が前頭葉に!
前頭葉の発達が「人間らしさ」を作り出しているとのこと。一般的に人間として大人になるのは25歳程度とされているようです。これは前頭葉の発達と関係しているのでしょう。そうすると、若者の多くは前頭葉がまだ未発達、年寄りの頑固さは前頭葉の老化ということになるのでしょうか? 今回の新コロナ時での行動を見て、「あの若者は、前頭葉が未発達なんだ」とか、「あの中高年は、もう前頭葉の老化が始まっているのだ」とかと思って見ている人もいるのでしょうね!
厚木 2001年現本堂に落慶を迎えた「宝泉寺」
宝泉寺は室町時代の後期、1486年に起立。 当時は周囲萬木千草地に満ちて裏山は松が繁り昼なお暗く凄然としており、 そのため別名「松壽林宝泉寺」ともいわれていた。
現在の地に初めて堂宇を建立したのが、曽我の小林平馬の弟、「宗珍和尚」 で、師は43年間の在住により布教を発展させ今日の基礎を築いた。
その後6世「悟庵珊道和尚」の時(1654年、厚木市三田「曹洞宗・ 清源院」6世玉山智存大和尚を法地の開山とし、曹洞宗・宝泉寺の1世に請した。それから今日まで、布教や伽藍・境内地の整備にと壇信徒と共に歩み、19世「大満悦道大和尚」の時に客殿庫裏を、20世「大光真道」の時、現本堂のそれぞれ落慶(2001年)を迎えた。
良いこともあれば悪いこともある!
人の悩み事を聞くには、まづ「思い込み(先入観)」を捨てることですが、これが難しい。テストで満点が多いほど、経験が深いほど、専門的な知識が豊富なほど、長く生きていればいるほど、自分の考え方で相手を理解しようとします。これは、相手の話を、相手の立場で理解しようとはしていないのでしょう。自分の立場で理解しているのです。このような場合は、自分の意見は言わず、ただ、ただ、聴くことに徹した方がいいのでしょう!
鎌倉 常に粛然と静まっている「成就院」
坂の頂部に近い左手の石段を上ると、古義真言宗の寺、普明山成就院がある。
山ノ内の長寿寺、円応寺などと同様、昔の高い道のところに置き去りにされた格好であり、この寺の場合は主要観光ルートから外れているので、常に粛然と静まっている。
縁起によれば、弘法大師・空海が護摩を焚いて修行した跡に北条泰時が開いた寺という。時に順徳天皇の1219年11月21日。その後兵火にあい、他へ移っていたが江戸期にまた当地へカムバック。
寺宝としては、星の井から出た明星石のほかに本尊不動尊明王、繊細なきり金文様をそなえる千手観音像。それから文覚上人荒行像と呼びならわされているユニークな小像を持っている。
恋人から突然別れを切り出されたら!
悩み事で相談を受けたとき、社会的なしくみや法律に関することは別として、説得や提案で解決しようとすると、相手にとっては迷惑なこともあるのですね。ついつい説得しようとする人が多いと思うのですが、単に”聴くだけ”も大切なのですね。その道の専門家はともかく、単に聴くだけということは、思っている以上に難しいことのようです!
人には親切にしたいもの!
何も見返りを期待していない「親切」というものがあります。四国のお遍路のときの御接待(おせったい)など古くからあります。西日本に多いようですが、「てごうする」といって、「お手伝い」と無意識に使い分け、お返しをまったく気にしない手伝いがあります。この基本になっているのは、仏教の考え方なのでしょう。自分が生きている内に、できるだけ施しをすることができれば、極楽に行ける、と。そういえば、何かもらい物をすると、すぐお返しをする地域と、ついでのときに何かを上げる、といった地域があります。日本の中でも、各地でいろいろな風土があります。情報発信が東京中心になってしまったため、各地域の風土に無関心な人が多くなってきているのでしょうか?
鎌倉 日蓮生前の姿の三体の像「妙本寺 祖師堂」
どっしりした朱塗りの二天門(にてんもん)には欄間(らんま)の竜の彫り物に彩色が残り、両脇に持国天と毘沙門天がまつられています。二天門を入った正面に天年間(1830~1843年)に再建された大きな祖師堂があります。
女性の学びは男性と異なった特性を持つ!
「学び」は長続きさせたいもの。できれば一生学び続けたいものです。人間、前頭葉が未発達、または老化すると、自分の制御が難しくなってしまいます。新コロナの伝染防止対策がうまくいかない若者、カラオケで歌いまくる高齢者、ともに前頭葉の働きがうまく機能していないのでしょうか? 元気であり続けるには、からだを動かし、足から、あるいは、手から、そして皮膚からの情報で、からだのあちこちを刺激することが大事なのですが、「学び」で前頭葉の刺激を続けることも大事です!
尾道では坂に名前がないがその例外が「蓮花坂」
旧市内でもっとも古い東西を結ぶ本道とされていた蓮花坂。尾道は坂のまちとして知られていますが、坂道のほとんどにに名前がありません。ひとつだけ例外の坂道があります。それが「蓮花坂(れんが坂)」といい、西国寺下から大山寺下まで、愛宕山の中腹を上っていく坂道です。
尾道には、確かに坂道がたくさんあります。しかし、ほとんどの坂道の途中に石段があります。
「坂」という文字は、その原点に「土のイメージ」があり、崖に手をかけてよじ登るという意味があります。坂道の途中に石段があると、坂道に「○○坂」と名前をつけるには抵抗があったのでしょうか。
お経は何かさっぱり分かりませんが!
日本ではお経は漢字で書かれています。そのためか、その意味を知ろうとします。でも、分からないですよね。仏教の宗派によっては「文字で書かれていないところに真理がある」と考える宗派もあります。生物として考えれば、その種が生き続けていく真理は、決して言葉ではない、と考えることが当然の真理です。人間以外は生物は、言葉は持っていないのですから!
福山 最古の長い歴史を持つ港町「鞆の港」
靹の浦の「鞆」とは、弓を引ぐときに手首に巻いた丸い革製の防具のことで、半円形に巻き込んだ海岸の地形が、鞆に似ていることから名づけられたといわれまます。良い港の条件は、水深がある程度大きく、荒天時の波風を避けられる湾や島陰などがあること、そして川がないことで、川が海に流れ込むと、その土砂が堆積して港が埋まってしまうので、川がない方がよいのです。山が迫る海辺が好適地となります。鞆の浦はそうした良港の条件をすべて備えているのです。
鞆の浦の食堂に入ったとき、そこのご主人が「備後地方で採れる魚が一番うまいのですよ」とおっしゃっていました。
彼のウソを見分ける女の第六感!
男女が平等(すべての個人が身分・性別などと無関係に等しい人格的価値を有する)であることが強く叫ばれています。しかし、平等より公平(かたよることなく,すべてを同等に扱う)といったほうが、なんとなくしっくりします。年のせいなのでしょうか。男女だけでなく、個々人についても、それぞれ違いがあり、その違いを知った上で、接することも大事なのではないのでしょう!
鎌倉 円覚寺の塔頭の中でも最も古い「白雲庵」
白雲庵は円覚寺塔頭で、暦応3年(1340)に示寂(入寂)した円覚寺第10世東明慧日(とうみんえにち)禅師の塔所で、円覚寺の塔頭のひとつです。禅師は、北条貞時(時宗の子)が中国元から招いた高僧です。創建された、円覚寺の数ある塔頭の中でも、最も古い歴史を持っています。庵名の由来は、禅師が中国白雲山の住職だったこと、また「白雲抱幽石」という漢詩の一説に因んでいます。
過去の思い込みの思考を見る!
能力主義の時代は、自己中心的で能力が優れている人が成功する。日本では戦国時代がその典型である。しかし、この能力主義の時代は、戦が多く、災害や疫病の蔓延する時代でもある。その原因は、生命体が生き残るためには、「助け合い」の性質が一番重要で、原生生物の粘菌ですら、環境変化で生命が危険な状態に陥った場合、同じ遺伝子の細菌が集まり、協力して胞子を作り、自分は死んでしまうが、胞子が生命をつないでいく。 仏教も、ガンダーラで「生前に人のために助けを行うと、極楽に行くことができる」という考え方を折り込むことで、国際的な宗教に発展したとのこと。大阪商人やその風土を受け継いだ商人の町でも、儲けたお金の多くを、民衆のための事業につぎ込んだ歴史がある。現在は、儲けたお金を民衆のために使おうとしても、株主が大反対するため、それができない社会になってしまった! |
尾道 歴史や文化の発信を願う「海の駅」
ここは、ヨットやボートの停泊設備です。
住吉浜といい、昔から船着場がありました。一部復元されています。
ここの「海の駅」なのですが、食堂や売店の施設はが、ホテルや食堂、商店街がすぐそばなので、停泊施設以外は造らなかったのでしょう。
「海の駅」は、瀬戸内海の豊かな自然環境と歴史や文化という貴重な地域の観光資源を多くの皆さんに発信することにより、瀬戸内海の島々への観光客を誘致し、賑わいをもたせて地域経済の活性化と産業振興を図り、人々に安らぎと癒しを与えることを目的に、平成12年3月に広島県豊町に設置された「ゆたかの海の駅」が発祥です。
自分しか見えない「自己中」!
現在の都会は、能力主義を基本としているため、自己中心思考の人が集まりやすく、どのような場面でも「自分は正しい」ということを基本にして、自分の能力を発揮しようとします。疫病蔓延や災害時には、このような人々に、行動を変えてもらうのはやっかいですね。その人たちに異なった意見を分かってもらうには、現状認識を正確にやってもらう工夫をするしかないのでしょうね。もしかしたら、「自己中心の人達が、人類の生き残りの障害になる」ため、疫病を蔓延させてきたのでしょうか? 極端ですが!