尾道 のんびりとした船旅「駅前桟橋」

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島々に行く船が出ています。
 前の島(向島(むかいしま))への渡しの乗り場が、一番東に独立してあります。
 「尾道~因島~生口島」方面、「尾道~百島~常石」方面の船が出ています。
 他に、春から秋までですが、「尾道~鞆の浦」への船が、土日に運航しています。
 戦国時代から江戸時代の初め、尾道は歴史の上で逼塞(ひっそく)していたのですが、時代が平穏になって西回り航路が開かれ、北前船が入ってくるようになると商業のまち尾道はまた活気を取り戻します。ただし、尾道の自前の船があちこちに出掛けたのではなく、 寄港する北前船を利用することで繁栄したようです。

自分勝手なレッテルを貼っている!

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 私たちは、自分の近くの人達に何かしらのレッテルを貼ると、そのレッテル(思い込み)から、なかなか抜け出せません。そのレッテルは、それを貼った当時のものです。その人がいろいろと勉強し、経験してきたことを反映していない場合が多いのです。思い込みから抜け出せないということは、新しい情報を取り込めないということで、時代について行けなくなる、ということなのでしょう!

厚木 美女神の木花咲耶姫命を祀る「子安神社」

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 子安神社の創立は不詳でありますが、古社調査事項取調書(明治二十九年(1896)によれば文明十八年(1486)以前の創立であります。
 祭神は木花咲耶姫命(美女神として有名)が祀られておりますが、配祀祭神(主祭神にそえてまつる神。ふつう主祭神と縁故の深い神をまつる)として豊宇気命と須佐之男命が祀られております。
 古社調査書によれば、境内地には稲荷神社があり祭神は宇加之魂命が祀られておりました。

落とし穴があると知っている!

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 慣れてくると「落とし穴」が見つからないですね。いつの間にか“思い込み”が定着してしまっているのですね。クルマの運転もそうです。いつも通っている道は注意力が落ちてきます。「この路地からは、自転車や人が出てくるはずがない」、「横断歩道では、飛び出してはこない(一時停止し、左右確認する)」など、いつの間にか思い込んでいますね!

鎌倉 身代地蔵(裸地蔵)が有名な「延命寺」

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 本尊「阿弥陀如来像」は、圓應寺の閻魔大王を彫ったあまりの木で作られたことから「木あまりの像」、また、予定より早く完成したことから「日あまりの像」と呼ばれている。
 運慶作と伝えられる「木造地蔵菩薩立像」は、夫人の身代わりとなったことで夫人の守護仏とされている。裸形彫刻で普段は袈裟を纏っている。
 1923年の関東大震災では、滑川を遡上した津波がこの辺りまで来たという。

ゆったりとした時間を過ごす!

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 ゆったりした生活は、どのようにすれば手に入るのでしょうか? もちろん金銭面でのはなしではなく、精神面でのはなしです。半世紀以上前の子供時代を思い出してみると、その日その日を、精一杯遊んで(生きて)いました。アフリカの人達を写真で紹介している女性カメラマンの方が、悩んだ顔をしていると、現地の方に「おまえ、なんでそんな顔をしているのだ。今日元気で生きられたのだから、幸せではないか」と言われたそうです。「その日その日を元気で過ごすことが幸せ」という感覚を、日本人はいつの間にか忘れてしまいましたね!

厚木 小野小町の生誕地か?「小野神社」

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 この神社は、延長五年(1194年)の「延喜式」巻九に「相模国式内社の内愛甲郡一座小野神社」と書かれています。
 現在の拝殿は、嘉永元年(1848年)に建てられ、わら葺屋根でありましたが、昭和四十三年に鉄板蓑きに替えられました。本殿は拝殿よりも1mほど高い地面に神明造(しんめいづく)りで造られています。「新編相模国風土記稿」に「閉香明神社(かんかみょうじんやしろ)、村の鎮なり延喜式に載(の)りし小野神社、当国十三社の一(いつ)にて祭神下春命(したはるのみこと)という」とあります。

恨みからは何も生まれない!

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 昨今、災害が多く辛い思いをしている人が増えてきています。災害が少なかった地域に住んできた人は、経験がないだけに大変な思いをされています。災害は、経験しているか、未経験かで、心におよぼす影響が大きく違ってきます。子供時代に、安全、安全と、危険な経験をしていない人達は、もっと大変なことになるのでしょう!

厚木 巨石が掌を合わせた「大釜大弁財天尊」

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 広沢寺温泉入口の駐車場より1km程行った所に大釜弁財天があります。3m余りの巨石が2つ、掌を合わせたように並んでおり、奥行4mの内部には七沢石で造った蛇の宇賀神(文政5年銘、とぐろを巻いた形)と高さ60cmのほこらの中にはいった弁天様が祭られています。その2つの巨石に前面には渓流が勢いよく流れ、直径1m50cmの一の滝壺、3m40cmの二の滝壷で渦となり次の1m50cmの滝壷、2m80cmの滝壷、2m50cmの滝壷へと巨岩を縫って落下しています。昔は7つの滝壷があり荘厳な眺めであったということです。

カードは支出の流れが見えにくい!

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 消費税upしましたが、カード支払でポイント還元が始まりました。カードでの支払は、欲しいと思うと、つい買ってしまいますね。消費税upでの消費減少を防ぐため、政府も工夫しましたね。カードはその便利さを知ると、ついつい使ってしまいます。個々人の経済感覚を磨いていくしかないですね!

鎌倉腰越 小動神社の別当寺だった「浄泉寺」

 昔、神仏を一緒にまつっていた時代には、今の小動神社は八王子社(はちおうじしゃ)と呼ばれ、浄泉寺はその別当寺となっていました。そのため、1917年(大正6年)まで、浄泉寺の住職が小動神社も管理していました。神仏分離令以後もこのような形をとっていたのは珍しいことです。こうしたことから、1333年(元弘3年) に新田義貞が鎌倉攻めのときに八王子社に奉納した剣が、この寺に保存されていたことがあったといわれています。また文治年間(1185年ー1189年)に、佐々木盛綱(もりつな)が船上からこの寺を拝んだという話も残っています。
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