病気の遺伝子と人間の遺伝子は相性があるのですね。人類の長い歴史の中で、細菌やウイルスの遺伝子と、人間の遺伝子の相性で、生き残ることができた人達が現代人なのでしょう。また、最近は「DNAのスイッチが運命を変える」言われており、病気にかからないような行動するスイッチが、ONになる人が生き残っていくのでしょうか。日本人は、このスイッチがONになる人が多いのでしょうか?
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言い訳は疫病神なのです!
「現状をキチンと、モレなく把握する」ための能力は、どのようにして身につけるのでしょうか。子ども時代は、自然の中で遊び回って、観察し、発見し、また、この程度を越えるとケガをするとか、などの体験を重ねることなのでしょうね。これは、テストで良い点を取っていても身につきません。大人になってからは、現場改善などでトヨタがやっていた活動のやり方も一つの方法なのでしょう。「現状把握」といって、徹底的に現状の情報を、これでもか、これでもか、というほど集めることに9割以上の時間を使えば、結論は、残りの数パーデントの時間で出てしまう、という、徹底的に現状を把握する方法です。言い訳や悩んでいる時間があれば、徹底的に現状を把握することが良い方法なのでしょう。社会の混乱期には、現状把握は重要で、知識は最後の最後に参考にすればよいのでしょう。そうすれば「言い訳」はいらなくなります!
「意味記憶」と「エピソード記憶」!
男の子のポカポカケンカはいつの間にか解消する!
人をイラつかせる人がいる!
農耕を始めたののは人類の歴史の約0.1%程度(約1万年前)!
糖質は脂質およびタンパク質に対してよばれる。主要なエネルギー源の一つなのですが、日本では多くの人達が、50年ほど前から食糧事情が良くなってきました。すると、大人になってからも、食べ過ぎることが(食べ過ぎているとは思っていないが)普通になってきました。ホモ・サピエンスは20万年前から10万年前にかけて進化したようですが、長い間、多くの人達は飢餓の時代を過ごしてきました。ほんの50年前までは、多くの人達は腹一杯食べられることはなかったのでしょう。100年ほど前に生まれ母親になった女性は、子供達にできるだけたくさん食べさせ、自分は少し食べるのを我慢していたように感じました。しかし、飽食の時代になったのは良かったのでしょうが、歳を取り病気と共存する人達が増えてきました!
取り調べは夕食後に!
「取り調べの技術」の使い方は難しいことなのでしょう。検察官の定年延長でもめていますが、冤罪に対する改善は何ら議論されていないようです。取り調べには、最新の知見が試されているのでしょう。歴史に残る冤罪事件の有名なものは、天満宮に祀られた「菅原道真」。当時も現在と同じように、冤罪をはらすことは大変難しかったのでしょう。その結果、道真が死んだ後に、怨霊となって都に戻り、雷を落とし、天災をもたらしたのでしょう。道真の怨霊が鎮まると、一転して「除難招福」の神さまと慕われるようになり、天神様に祀られることになったのですが。現在も冤罪を晴らすことができない人もある程度おられるのでしょう。裁判官、検察官、警官達の反省と改善は見えてきません。やはり冤罪を受けた場合は「祟り」しか方法がないのでしょうか!
説明書を改めて読み直してみる!
ストレス状態では免疫力は約30%減弱!
必要な水の量は20世紀初頭の六倍以上!
生きていくのが強い人!
相手の話をじっくり聴こう!
腸の中の免疫バランスが崩れてくると!
意識の変革ができなかった人は絶滅する?
「行動」が、動物の生存の原点にあるのでしょう。言葉がない動物たち、そして、人類がまだ言葉を使っていない時代でも、「行動=体験」したもののうち、生き残りに優位な情報を、子供達に伝えていかなければならない。そのしくみが遺伝子スイッチのOn/Offなのでしょう。このスイッチのOn/Offは動物の歴史から考えると、言葉ではなく、広い意味での行動なのでしょう。言葉を使い出したのは、人類の歴史から考えるとつい最近です。歴史的な体験が浅いため、言葉では遺伝子スイッチのOn/Offが出来ないので、文字にして伝える方法を見つけたのでしょうか? そして最近ではインターネット情報で、言葉に振り回されることになるのでしょうか?
「いい言葉」に接し美意識を養おう!
日本は一億総利己主義を確立?
行動することによって変わることができる!
教養は、鍋料理である!
知識、それも得意分野の知識を求めることが優位な現代。人同士のつながりに「希薄」を求めた現代。その結果からか、現実をありのままに見る目が弱くなっているようです。外部から入手できる言葉による情報を求め、その情報をもとに判断する人が多くなっています。自分の目で現状を捉え、その五感を通じた情報をもとに判断する力が衰えてきたようです。これは、情報を発信する側もそうですね。例えば、今回の新コロナウイルスについて「密接を避けましょう」と言ってきました。「密接」=すき間もなく,ぴったりとくっついていること、です。この言葉で予防対策と伝えられると、「10~30cmも離れていればいいだろう」と思った人もいるのではないでしょうか。「伝達の場」であるマスコミも、プロとしての英知を失ってきたのでしょうか?