夢にはちゃんと「しめ切り」を設ける!

 生きていくために、夢を持つことは大事という。人の夢の最終には、お金や名誉が待っていると漠然と考えているのでは、と思う。
 中には、お金持ちになることだけが夢の人もいる。
 人生の終末まで考えると、どんな夢を持つことがベターなのでしょうか。それとも、その時その時を一生懸命に取り組み、過ごすことが大切なのでしょうか、難しいですね!

やさしい人は他人のイライラに感染しやすい!

 「やさしさ}とは「思いやり」。「思いやり」とは「その人の身になって考えること」。その人の身になって考える基本には、曖昧さを許容する心を持ち合わせているかどうかが背景にあります。
 自分の思い込みを基本にすると、なかなか曖昧さを受け入れることが出来なくなってしまいます。
 自分というものを持ちながら、人に対して曖昧さを持つことができれば、誰に対しても、やさしく振る舞うことが出来るのでしょう!

旧暦八月十五日の「十五夜」!

 中秋の名月、2022年の十五夜は、9月10日でしたが、その1ヶ月後の「十三夜の月見」をした人はそれほどいないのでしょう。十五夜の月見をし、十三夜の月見をしないと縁起が良くないのですが、今では気にする人はいないのでしょう。
 ただ、いろいろな行事で自然観察をする機会は、多ければ多いほど、自然や歴史を知るには良いことですね。
 やはり、多くの知識は、教科書より、体験が先にあった方が良いですね。自然環境の条件によっては、教科書が間違っていることもありますから!

人は「存在証明」をもとめている!

 「ほめて育てる」と言われ続けています。でも、その場面に合ったほめ言葉は案外難しいものです。ほめる相手の性格に合った、また、ほめる場面に合ったほめ方をしなくてはなりません。しかも、周りに人がいれば、それも考慮しなければなりません。
 また、1997年以降に生まれた人は、共感力が弱いといわれています。その原因は、ゲーム機やスマホ、インターネットの普及で、人の表情を見て反応する力が弱くなってしまったことだと。脳は、常に楽をしようとする器官のため、人との接点が少なくなると、共感力という機能が働くなるのだそうです。
 でも、やはり、ほめることは必要です。ほめ方を変えなくてはいけないのでしょう。がんばって工夫して、ほめましょう!

ピラミッド型組織がやがてだめになる!

 リーダー的指向を目指す人は、ピラミッド型組織で権威を手に入れようとする傾向があるようです。
 これは、権力・財力(お金)・名誉を、全てリーダー1人に集中する思考です。
 歴史を見ると、これらを1人に集中すると不安定になる、という反省からか、江戸時代は、権力・財力・名誉の三つを分割しています。その結果か、文化が栄え、文字を読める人も増え、浮世絵などの芸術を庶民が楽しめる時代になりました。
 ロシアや中国のビラミッド型社会を見ていると、自由な風土とは、ほど遠いようですね!

従業員についてきてもらうためには!

 ロシアや中国のニュースを見ていると、「リーダーシップとは?」という疑問が湧いてきます。
 リーダーが「求心力が落ちてきた」と感じた瞬間から、非常に危ない方向に行ってしまいます。それを止めるには、反対派が勢力を持ち、そのリーダーの拘束か、死を待つしか無いのでしょうか。
 日本のように、ある程度の「曖昧さ」・「いい加減さ」がある風土では、強権を発することがなく、平和を維持できるのでしょう。
 曖昧さを持つことで、部下の意見を聞くことが出来、いろいろな提案を検討できる余地もできるのでしょう。
 オイルショックの際に、製造業に広がったトヨタ式現場改善活動も、地位に関係なく、どんな人の提案も、否定することなく、どんどん改善提案を出させたことで、オイルショックの危機を乗り切りましたね!

「老後はゆっくり暮らしたい」は大間違い!

 老後の暮らしは、せめて50歳前後から考えておきたいもの。たとえ漠然としたものでもかまいません。しかし、それを考えている人はそれほど多くはないのでしょう。
 考えもせず老後の生活になってしまうと、ただただ、ぼんやりと時間を過ごすことになりかねません。
 「老後の生活を充実させる」という意識を50歳くらいから持ち、なにかしらの準備をはじめましょう。
 そして、社会に対して力を尽くすことが見つかれば、その活動は長続きしますよ!

仕事は一人で行うものではありません!

 忙しいと、やはり周りが見えなくなりますね。それが永く続くと、自己中心になってしまいます。
 このようになってしまったときは、昔の歴史や風土が残っている町を、のんびりと歩いてみたいものです。
 そして、その風土を感じ取れるようになるまで、のんびりと繰り返していると、いつの間にか心にゆとりを取り戻してきます。
 そのためでしょうか、昭和を感じられるところに、人が集まっているようですね!

先が見えてると大きな夢が見られない!

 「ムダ」というものは、良くないものと言われ続けています。確かに文明として考えれば、ムダは無いほうがよい、ということになります。
 しかし、文化の面から考えると、魅力的でムダではないですね。
 思考においても、専門的で論理的な思考は説得力があります。
 しかし、芸術においては、そんな論理はむしろ邪魔と思われます。日本の国宝を見ても、生活必需品はあまり見かけません。
 経済的な視点で見るとそれほどの価値はありません。ただし、精神面・観光面では有効ですね!

週末は自然の豊かな郊外で!

 円安時代が続いています。こうゆう時期は「地産」優先策ですね。そして「輸出」ですね。インターネット時代になっていますので、海外からの受注も昔に比べて容易になっています。
 そして、国内消費は「地産地消」です。輸送費が少なくて済み、輸入も少なくて済みます。
 家庭菜園があれば、食料費の支出も少なくなっていきます。ネットで仕事が出来れば、田舎生活も可能な時代になってきます。
 近所の人達と物々交換も可能になっていきます。人のつながりが増え、子供達もいろいろな大人達と接触ができるようになります。視野が広がります!

サビ汚れ落としをする!

 最近はサビを嫌って、鉄ではない金属で作られたものが多いですね。
 むかし造られた「いかり」や「くさり」(山伏の修行用の四国の石鎚山のくさりを模したもの)は、表面は錆びているのですが、そのサビは安定しており、何十年も利用できます。
 メッキでサビを防いでいるものもあるのですが、国産のものは公害対策のため、メッキの品質が落ちて、錆びやすいようです。
 いろいろなサビ対策の製品が販売されていますが、錆びてしまったネジを取り外すことは、けっこう面倒ですね!

勝ち方の美しさを競うべきだ!

 経済分野も含めて、戦いに「美学」というものが失われてしまったようです。リーダーが、財力・権力・名誉しか求めていないと部下が感じ取ってしまうと、組織としての団結力が弱くなってしまいます。
 今のロシアを見ていると明らかですね。
 どんな行いであろうと、その人に「美学」というものがあると、何かしら訴えるものを感じます。
 日常でも、「法律を守っていれば良い」ではなく、「法律は最低のマナーだ」という意識を持って、もっと上のマナー(美学)を持って暮らせると良いですね!

「私の自由」「相手の自由」を認め合うこと!

 むかしに比べれば、「ありがとう」という言葉をよく聞きます。むかしは、それぞれの土地の風土に特徴があり、古くからの港町で商人の町のように、外からの人の出入りが多いところは、「ありがとう」というような感謝の言葉をたくさん使っていたようです。
 「感謝の言葉」や「やさしく褒める言葉」は、「自分というもの」がある程度出来上がっていないと、難しいのかも知れないですね!

ほめ上手の人=観察上手!

 情報社会になり、文字言葉での情報交換が増えてきたのですが、絵文字があることで、気持ちの補完が出来ます。
 そのような視点で絵文字が考えられたのでしょうか。
 もっと多彩になり、意味づけも安定し、普及すると良いのですが、そうなると、漢字のようになってしまうのでしょうか?
 もしそうなると、漢字の原点に戻るのかもしれないですね。すると、また、文字社会になってしまいますね!

動物界、損得に敏感なのはオスよりもメス!

 言葉づかいは、ついついこちら側の都合で言ってしまいます。特に男性と女性は、生物学的に違いがあります。それを分かった上で、会話をしなければいけないですね。
 インターネット上では、どの程度配慮しているのでしょうか?
 それはともかく、「おしつけがましさ」は電話やメールなどでは、相手の顔が見えないので、気をつけなければいけないですね。
 日本語は言葉の他に、その時の状況(周囲にいる人たち)や表情、しぐさ、風土などで、意味が違うことがありますので、注意が必要ですね!

<自分>という製品を売る!

 いかに「自分という商品」を売れるようにするか。これが今の社会で最重点が置かれています。
 年功序列の時代は、会社が社員を教育・訓練し、社員を有能化していました。しかし、能力主義の時代になると、自分の商品化は自己責任です。しかも、時が経過しても、商品としての自分を劣化しないようにする責任も自分にあります。
 自己責任が強調されると、周りからの支援も少なくなりがちです。ますます自己責任ということになりますね!

理屈はいつも死んでいる!

 社会が変化しているときは、今までの社会から出来上がった理屈は、かなり危ういものになりがちです。知識優先の人は、現状をもれなく把握することに、時間を割くことが難しいようです。
 人間の頭は、現状をキチンと把握するより、自分の記憶した知識を利用して判断した方が楽なようです。 社会の変化があまりない時代は、自分の知識を利用して判断した方が、効率的なのでしょう。
 しかし、変化の時代は、知識や経験も「いいかげんなもの」になってしまいます。がんばって、現状把握に時間を使いましょう。
 理屈が優先してしまう人は、「曖昧」や「いいかげん」を許すことが出来ないようですが、「理屈も死んでいる」と考えれば、理屈も「いいかげんなもの」になってしまいます。どうせいいかげんな知識なら、いろいろな人たちと協力し、「いいかげんな意見」にも目を向け、現状把握に時間を使いましょう。
 石油ショックの時代は、それでなんとか乗り切りました!

なにかにこだわっていたらうまくいかない!

 戦の最終目的は{お金」、それは日本では「領地=お米」です。建て前は色々と工夫して戦力を集めますが、最終的には「お米=お金」です。
 特に関ヶ原より東の武将にその傾向が見られます。西日本は、地中海の約20倍も栄養豊富な瀬戸内海があり、外国との貿易もあり、稲作にそれほどのこだわりがないためか、全国制覇は狙わない武将が多かったのでしょう。
 お金に関して、多彩な収入源があるほうが、比較的平和な社会をつくることができるのでしょう!

安心で安定したエネルギー政策!

 エコが叫ばれています。昭和30年(1955年)頃までの生活スタイルは、今に比べればはるかにエコ生活でした。
 そのエコ生活のノウハウを、実体験の人たちから早く教わっておきたいものです。知識人の人たちは、なかなか当時の生活体験が少ないので、難しいものかもしれないですね!

笑顔は元気のバロメーター!

 「笑顔」の効果が言われています。笑顔が少なくなってしまったのでしょうか?
 色々な人に、いつも笑顔で接するには、視野を広くしておかなければなりません。しかし、今の社会はスペシャリスト指向です。専門性を追求すると、視野が狭くなります。すると、どうしてもストレスが増え、笑顔も少なくなってしまいます。
 もっと「いいかげん」に生きて、色々な人に笑顔を多くした方が、気分良く、健康に過ごせるのではないでしょうか!