社会に出ると、学生時代の横社会から、縦社会に変わります。しかし、この縦社会は、昔の縦社会とは違っています。
現在の縦社会は、下の者が、上のご機嫌を伺う、というスタイルです。しかし、昔の縦社会は、リーダーが、下の者の能力や性格を考え、その人が一番能力を発揮しやすい環境に、置くことを考えていました。
ソ連の捕虜になった、第二次世界大戦の日本兵捕虜の班長ですら、班員の性格や能力を見極め、配置していました。
これは、子供時代に、ガキ大将を中心に、年齢が10歳以上離れた子供達が、一緒に遊んでいので、ガキ大将は、下の子供達の能力を考えながら、安全を確保しながら、みんなでいかに楽しむかを、考えながら遊んでいました。
例えば、ソフトボールで遊ぶとき、中学生がピッチャーで、小学3年生がバッターの時、力一杯投げますが? 手加減して投げることを学んでいました。
しかし、そのような体験がある世代は、昭和15年(1940年)生まれ位まででしょうか!
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交通・通信の高速化が深刻な弊害を!
緊急事態は突然やってくる!
西欧の大航海時代、オスマン帝国の存在!
こんな儲け話がありますよ!
「あるがままの自分」を生きている!
人前では、誰でも外向きの顔をつくる!
社会の中で生きていくため、「仮面(自分の本音を言わない)」をつけて生きています。
ただし、その程度は国によって大きく違います。これは歴史風土の影響もあるのですが、政治の体制と大きく関わっています。
中国、ロシア、北朝鮮……などは、歴史風土とともに政治体制もホンネを出して生活するにはやっかいなようです。
日本も太平洋戦争の時はホンネを出すことは出来ませんでした。
戦争で1人で千人の力を発揮するように、「千人針」というものを戦争に行く男性に持たせました。しかし、その中に、お金の5銭と10銭をお守りとして、「5銭というのは死線を超える」、「10銭というのは苦線を超える」という、そういう意味で縫い付けていたんです。この時代ですから、「生きて帰ってこいよ」とは、言えなかったのです。
近所の人に、「あれは非国民だ」と言われるから、内緒で、要するに「何しろ生きて帰ってきてよ」と、願いを込めて持たせたのです!
最終的に生き残ったのは常に敗者!
「生き残るのは敗者」と、歴史学者や生物学者が言っておられます。確かに、第二次世界大戦で敗者の国が、経済的な発展を実現しています。
勝者であるソ連(現ロシア)は、終戦後にポツダム宣言に違反し「強制抑留」で、日本の軍人・軍属や一部の民間人も、ソ連兵からダモイ(帰国)と言われ、移動を命じられたのですが、着いた先は日本ではなく、シベリアを始めとするソ連領内やモンゴル地域などの酷寒の地でした。そこでは、わずかな食糧と不衛生な環境の中、過酷な労働を課せられる抑留生活を強いられました。抑留された約57万5千人のうち、約5万5千人が命を落としました。
その勝者の現ロシヤは、歴史に学ぶことがなく、また勝者を目指しながら、亡びかねない行為をしています。
ロシヤは文字の文化が千年程度、歴史に学ぶことがあまりないのでしょうか?
ものごとを理解するときには頭と体の二つを使う!
なぜ、未来はわれわれを必要としないのか!
「足るを知る」の思想で考える!
自分一人、間違いないと決め込むと!
さまざまな電化製品生活を便利にはしたが!
高速化が深刻な弊害をもたらしている!
交通や通信の技術が進歩すると同時に、人々の移動が激しくなりました。その結果、人や物に付着して、様々なものも移動するようになっています。たどり着いた土地の環境に合わせるため、様々な変化が起きているのでしょう。
また、体力的にそれほど移動できなかった人達も、いろいろな交通機関を利用し、長距離の移動が出来ています。
そして、移動中も、普段と同じように高速通信を使って、日常生活が送れるようになりました。
高速通信で、多くの人がいろいろな情報に接するため、過去に学んだ知識も役に立たなくなってきています。何歳になっても、常に「学び」続けなければならない時代になりました。
文字や画像データはこの恩恵を受けることが出来るのですが、五感で得る情報は少なくなりつつあるようです。感覚と文字・画像情報の接点を大事にしたいですね。そのためか、俳句が流行っているようですね!
「得ること」にのみ価値を置く社会!
“のに”病から解放し、意気揚々と!
頭が固くなってしまうとボケやすい!
50才から60才にかけて、自分の興味を広げる対策を立てることが、定年後の充実した人生を送ることにつながるようです。
この時期に責任のある地位にいると、なかなか自分の興味を広げることが難しくなります。
年功序列を改め、能力主義になると、この問題は解決する可能性があるのでしょう。
江戸時代に当てはめてみると、権限のある人は老中(石高が少ない)=能力のある人(しかし、収入はそれほど高くない人ということに)、収入のある人は外様大名(石高が高い)=年齢の高い人(収入が多い、しかし、権限はそれほどはない)、という年功方式であれば、歳をとっても、新しいことに興味を持ち、元気な高齢者が増え、定年後に社会に貢献できる余地も出てくる可能性が、広がってくる可能性があると思うのですが。また、子どもにも充実した教育環境を整えられるのでは、難しいですかね!