歴史は「お金の流れ」で、調べ・考えると理解しやすい面があります。
武器などの軍事物資も、基本的には貿易です。古くなった武器についても、自国で処分するより、戦争をしている国々に売却すると、儲かると同時に、武器の処分費も不要になります。アメリカの南北戦争で余った武器も日本に流れてきています。
そして、自国の優位性を永く継続していくために、宗教を利用します。宗教家も儲けるために、武器も取り扱います。
お金の流れで、歴史を考えてみましょう!
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こんな儲け話がありますよ!
「もうけ話には裏がある」と昔から言われています。しかし、このような話に乗り、一生苦しみをかかえてしまう人が増えているようです。
オレオレ詐欺から始まって、高額アルバイトなど、もうけ話に乗ってしまう人が広がってしまいました。
アンテナを高くし、人生の先々まで考えるスタイルが定着すると良いのですが。
今の学校教育のスタイルでは、多様な考え方が受けいられないため、狭く、浅い考え方になってしまうのでしょうね。生成AIが普及すると、広く・深く考えることが、もっと難しくなってしまないか心配ですね!
「あるがままの自分」を生きている!
人間、あるがままに生きている人は、どのくらいおられるのでしょうか?
多くの人は気づかないまま、なにかしらガンバって、ガマンして、生きているような気もします。
縄文時代の人々は、もっとゆるやかに生きていたのでは、と思ったりします。それは、縄文土器を見たときです。細やかな模様を、自由に、楽しみながら、時間など考えずに、造っていたように思われます。
縄文時代の人は、何千年かあとに、学歴社会になるとは、思ってもいなかったのでしょうね!
人前では、誰でも外向きの顔をつくる!
社会の中で生きていくため、「仮面(自分の本音を言わない)」をつけて生きています。
ただし、その程度は国によって大きく違います。これは歴史風土の影響もあるのですが、政治の体制と大きく関わっています。
中国、ロシア、北朝鮮……などは、歴史風土とともに政治体制もホンネを出して生活するにはやっかいなようです。
日本も太平洋戦争の時はホンネを出すことは出来ませんでした。
戦争で1人で千人の力を発揮するように、「千人針」というものを戦争に行く男性に持たせました。しかし、その中に、お金の5銭と10銭をお守りとして、「5銭というのは死線を超える」、「10銭というのは苦線を超える」という、そういう意味で縫い付けていたんです。この時代ですから、「生きて帰ってこいよ」とは、言えなかったのです。
近所の人に、「あれは非国民だ」と言われるから、内緒で、要するに「何しろ生きて帰ってきてよ」と、願いを込めて持たせたのです!
最終的に生き残ったのは常に敗者!
「生き残るのは敗者」と、歴史学者や生物学者が言っておられます。確かに、第二次世界大戦で敗者の国が、経済的な発展を実現しています。
勝者であるソ連(現ロシア)は、終戦後にポツダム宣言に違反し「強制抑留」で、日本の軍人・軍属や一部の民間人も、ソ連兵からダモイ(帰国)と言われ、移動を命じられたのですが、着いた先は日本ではなく、シベリアを始めとするソ連領内やモンゴル地域などの酷寒の地でした。そこでは、わずかな食糧と不衛生な環境の中、過酷な労働を課せられる抑留生活を強いられました。抑留された約57万5千人のうち、約5万5千人が命を落としました。
その勝者の現ロシヤは、歴史に学ぶことがなく、また勝者を目指しながら、亡びかねない行為をしています。
ロシヤは文字の文化が千年程度、歴史に学ぶことがあまりないのでしょうか?
ものごとを理解するときには頭と体の二つを使う!
むかしは、「仕事は、見て盗め」が原則でした。見ながら、やってみて、自分で悪いところを見つけ、改善し、それを繰り返していました。
しかし、能率優先になり、マニュアル化し、あるいは、自動化してきました。その結果、経験が少なくても、安定した品質を保つことができるようになりました。
これは、社会としては進化をしたのでしょうが、ヒトとして、個々人の進化を手に入れることが出来たのででしょうか。
この流れは、ヒトの定められた進路なのでしょうから、どううまく乗って行くかを考えるしかないのでしょうね!
なぜ、未来はわれわれを必要としないのか!
どうも、そろそろ人間の知恵が、惠(めぐみ)をもたらすことに限界が近づいてきたのでしょうか?
便利さが、人間の機能を劣化(熱中症、もしかすると認知症も?)させ、そのうちロボットに養ってもらう時代が来るのかも知れません。
もしかすると、無意識に、便利さを失うのなら、人間は滅亡してもよいのでは、と感じているのでしょうか?
「足るを知る」の思想で考える!
人類自身が、「人類の滅亡の原因が、人類自身にあるのでは?」と気づき始めました。そして、人類の滅亡は、人類自身では防ぐことが出来ないであろう、と感じ始める時期が来そうです。
「足(たる)を知る」ということができれば、人類の滅亡を防ぐことが出来そうですが、脳の設計上、どうも無理なようです。
そういえば、人類が発明した技術の多くは、AIも含めて「無生物」を使うものです。無生物が、生物である人類を制御する時代がどんどん進化していますね!
自分一人、間違いないと決め込むと!
ほんのひとにぎりの人ですが、「自分だけが正しい」と思い込んでいる人がいます。これは、おそらく動物の中で、ヒト属だけの特徴なのでしょう。というより、4~5千年以降の人類からなのでしょうか。
これは農業が広く普及しはじめたことと関係があるのでしょうか?
みんなで分け与え生き延びる作戦から、農業が広まり、生き延びることが比較的可能になった結果、より豊かな生活を望む機能が発達した人が出てきて、その結果、芸術家も出てきたのでしょうが、独裁者も出てきたのでしょうね!
さまざまな電化製品生活を便利にはしたが!
1960年代以降、家庭用に様々な電化製品が普及しました。便利になり、時間にも余裕ができるようになりました。
最近は、様々なメニュー化、あるいは自動化で、人が考えてすることが、どんどん少なくなっています。
料理にたとえると、人間はただ食べるだけ、といっても良いほどです。
その結果、考えることが減り、手を使わなくなり、味わいも、ただこの味か、というだけになりました。
もちろん、機械に助けられているため、人同士の協力も少なくなりました。
ということは、先進国ほど、ヒトの進化が止まっている、あるいは、退化が始まっているのでしょうか?
高速化が深刻な弊害をもたらしている!
交通や通信の技術が進歩すると同時に、人々の移動が激しくなりました。その結果、人や物に付着して、様々なものも移動するようになっています。たどり着いた土地の環境に合わせるため、様々な変化が起きているのでしょう。
また、体力的にそれほど移動できなかった人達も、いろいろな交通機関を利用し、長距離の移動が出来ています。
そして、移動中も、普段と同じように高速通信を使って、日常生活が送れるようになりました。
高速通信で、多くの人がいろいろな情報に接するため、過去に学んだ知識も役に立たなくなってきています。何歳になっても、常に「学び」続けなければならない時代になりました。
文字や画像データはこの恩恵を受けることが出来るのですが、五感で得る情報は少なくなりつつあるようです。感覚と文字・画像情報の接点を大事にしたいですね。そのためか、俳句が流行っているようですね!
「得ること」にのみ価値を置く社会!
植物は、動物たちをささえる大切な食料です。稲作が始まり、耕作者1人で2人分の食料を確保でき、しかも、1年間蓄えができるようになりました。安心して暮らせる食料が手に入るようになりました。
イネが進化し、少し寒くても米が収穫できるようになりました。
そして戦国時代には、田んぼがどんどん増え、戦が始まりました。
イネが、その地域の人口を適正にするため、人間に戦わせるという戦略をとったのでしょうか?
もしかすると、植物の進化は、ヒトが想像している以上に、戦略的なのかも知れません。
幻想ですが!
“のに”病から解放し、意気揚々と!
「進め 進めと 上司逃げ」、「出る杭を 叩いて上司 上を見る」、「聞かれたら ウマクヤレヨの 言葉のみ」。人生、組織での暮らし方を身につけないと。これは、社会での暮らし方と同じですね。これを身につけないと、異常な犯罪に手を染めるキッカケにもなります。
ヒトが生存し、人口を増やすことが出来たのは、「社会」という人のつながりをつくり、自分というものに、ガマンを覚えさせ、協力することができるようになったのではないのでしょうか。ネアンデルタール人より脳が小さいホモサピエンスが生き残れたのは、ネアンデルタール人より大きな集団をつくり、その中での暮らし方が出来たからでしょう!
頭が固くなってしまうとボケやすい!
50才から60才にかけて、自分の興味を広げる対策を立てることが、定年後の充実した人生を送ることにつながるようです。
この時期に責任のある地位にいると、なかなか自分の興味を広げることが難しくなります。
年功序列を改め、能力主義になると、この問題は解決する可能性があるのでしょう。
江戸時代に当てはめてみると、権限のある人は老中(石高が少ない)=能力のある人(しかし、収入はそれほど高くない人ということに)、収入のある人は外様大名(石高が高い)=年齢の高い人(収入が多い、しかし、権限はそれほどはない)、という年功方式であれば、歳をとっても、新しいことに興味を持ち、元気な高齢者が増え、定年後に社会に貢献できる余地も出てくる可能性が、広がってくる可能性があると思うのですが。また、子どもにも充実した教育環境を整えられるのでは、難しいですかね!
無欲になれなくても、小さな欲望に!
人が求めるものの原点に、お金・権力・名誉・寿命がありますが、現代は多くの方が「お金」なのでしょうか。
そのためか「能力主義」が叫ばれています。
しかし、年功序列の時代は、先輩が後輩をよく指導していましたが、能力主義になると、先輩の指導はあまり期待できなくなります。自分で能力を高めていくしかなくなってしまいます。
日本では、高度成長が出来た時代は、年功序列の時代でした。能力主義になると、日本全体では、どの程度の成長が期待できるのでしょうか。
今回のワールド・ベースボール・クラシックでの日本の活躍は、日本の年功序列時代の組織を思い出してしまいました。先輩が熱心に後輩に教えていました!
第二次世界大戦、無差別爆撃が始まった!
ウォルト・ディズニーは米国の将軍に心酔。国民や政府に空軍力の重要性を訴えようと、自ら無差別爆撃を想起させる(「飛行機の広大な飛行範囲と破壊力は、地球上全てを戦場に変える。兵士と一般市民を隔てるものはなくなる」)アニメ映画を制作し、せっせと航空軍の宣伝をしていた。
そして、兵隊同士が戦うという戦争の原則を崩していった。しかし、戦勝国は罪を問われることはなかった。
ヒトは、いつまで経っても「戦争に勝てば、罪を問われることはない」という観念はから、抜け出すことは出来ないのでしょうね。
ロシアも勝つまでは、戦争を続けたいのでしょうね!
元気な高齢者が助ける社会を!
手持ち無沙汰のお年寄りもおられます。この人達の中には、社会の戦力になる方々も多くおられるように感じます。
現在、この戦力は十分には社会で使われていないように感じます。むかしの「村の知恵袋」のように、何かしらの貢献が出来ると思うのですが。
ただ、社会に貢献する仕事には、何かしらの資格が必要な場合が多く、今の記憶力中心の資格試験では、難しいことも多いのでしょうね!
「テンパって」判断ができない!
テッパってしまい、近くにいる家族に暴力を振るうニュースが増えています。それに加え最近は、見ず知らずの人にも、はけ口を求める人が出てきています。
「人を育てる」ということに、社会のどこかに間違いがあるのでしょうか?
人の社会の子育ては、生物ヒトとしてのしくみ上、肉親だけではなく、周囲の人達と共に、共同して社会で子育てをするとのこと。
育つ過程で、いろいろな人達と接することで、社会性を身につけ、大人になっていく過程が必要なのでしょう。
チンパンジーは、母親だけで7年かけて子育てをするが、その間は次の子どもを産むことが出来ないしくみとのこと。
2年で次の子どもを作ることが出来るヒトは、社会で子育てをする必要があるのでしょう!
親子とは考えられぬことまで受けいれる!
NETやスマホを使った犯罪が多発しています。犯罪者は比較的若い人が多いのですが、その人達の親はどのように考えたらよいのでしょうか?
人間の脳が大人になるのは25才程度だそうですが、それまでどのように育てれば良いのでしょうか。
核家族が一般化し、社会で子どもを育てるという感覚が消えてしまい、犯罪者だけ、またはその両親が責任があるという社会になっています。
核家族という社会は、人類が初めて経験している社会体制だと思うのですが、その特性に応じた社会は、いつになったら整備されてくるのでしょうか!
頭のよさだけを目標にすると!
高校までに法律を学ぶ機会は多くありません。憲法は若干学ぶのですが、商業高校以外では、民法や商法を学ぶ機会はほとんどありません。
私は商業高校だったので、民法と商法の学課がありました。両方とも同じ先生だったのですが、最初の学習の場面で、「法律は最低のマナーだから………」で始まりました。この意味は、最低のマナーを守ればよいではなく、もっと上のマナーを目指せ、という意味で理解しました。古くからの商人の町でしたから、長く商売を続けて行くには、法律を守るだけではやっていけない、という意味も含んでいたのでしょう。
立法を行う国会議員すら、最低のマナーである法律を守れない人もいます。国会での質問以外では、名誉毀損になりそうな質問をしている議員もいます。これらを見習ってしまうと、見習った人の人生は、終わってしまいかねないですね!