おせちは、神前に料理を供え、お下がりを食べたのが始まり!

 おせち料理の予約時期になっています。一方で、忘れられていく年中行事もあります。
 地域によって違いますが、お正月だけでも、三が日、七草がゆ、山の神、蔵開き、せいの神、えびすさまなどに、お供えしたり、お祈りしたり、いろいろな行事を行っていたようです。
 お雑煮でも、地域によって、各家によって、それぞれの作り方がありますね。
 それぞれに、意味づけし、その継続に腐心していたようです。
 そのようなことが、日本の風土をつくり、それぞれの地域での暮らし方を工夫してきたのですね!

聖徳太子が実在の人物ではなかったという説が!

 誰も知っている、日本古代の偉人「聖徳太子」、近年、「聖徳太子が、じつは存在しなかった」という。
 教科書表記にも影響を及ぼすほどになっています。
 教科書では、いままでは「聖徳太子」と書かれていたのですが、最近は「厩戸王(聖徳太子)」とカッコつきの表記に変わってきています。
 「聖徳太子」と私たちが呼んでいるこの名前は、彼の本名ではありません。これは彼の功績を称える人々が、後世になり彼に贈った名前で、贈られた人物の名は「厩戸王(うまやとおう)」。この「厩戸王」は実在の人物です。

渡来人がもたらしたいろいろなものをアレンジした日本!

 日本は、外国から入ってきた文化に、日本のアレンジを加えることが殆どです。
 中国や朝鮮半島で政変が起こったとき、日本に亡命してくる人達が少なくなかったようです。
 亡命してきた人達は、日本の自然条件がかなり異なるため、材料や流通ルートも異なってしまいます。
 そのため、日本の人達と一緒に工夫し、日本で採れる材料をもとに、運びやすく、長持ちする商品を作ってきたのでしょう。そして、和食の文化を育ててきたのでしょう。
 そのやり方が他の産業にも普及し、日本独自の文化を創り上げたのでしょう。
 もっと、日本各地の自然環境にあった文化を大事にしたいですね!

獲物は全員に分けられていました!

“ 「総ての財産を共有する」、「貧富の差が無い社会をつくる」という共産主義。どこへ行ってしまったのでしょうか?
 日本でいえば、縄文時代の生活スタイルなのでしょうね。
 アフリカの食べ物が豊かな地域では、分け与える風土がいまでも残っているのでしょうね。
 日本では、四国巡礼の「おせっかい」のような風土ですね。
 日本でも何かもらい物をしたとき、直ぐお返しをする地域と、お返しをあまり気にしない地域があります。
 このような風土はやはり自然環境から生まれたものなのでしょうか。
 しかし何であれ、「感謝の気持ち」は、忘れてはならないですね!

調和をたいせつにする日本人の美徳!

“ 日本人は、「和をもって貴しとなす」が社会に根づいています。自己主張し過ぎると敬遠されます。そのためか、日本語の「曖昧さ」が通用しています。
 その背景は、台風や地震、干ばつ、洪水などの自然災害が多く、逃げる場所も無く、助け合いを行わなければ生存できませんでした。
 生物の生き残りの原則は「助け合い」です。それを継続・定着させるのが「風土」です。
 現在、外国との接触が増え、日本の学校では外国語教育が拡大しています。しかし、「和をもって貴しとなす」は、壊さないでほしいですね!”

日本の古い社会は出来損いを見事にとりこんだ!

 現代は多様な人達が、社会から認められようとしています。昔の日本がそうでした。平安時代の中頃までは、中国や朝鮮半島から、政権を失ったり、政権から阻害された人達が、日本に流れて来ていたようです。
 また、山に囲まれた地域や、島に住んでいた人達も、その土地になじめないと他の土地に移っていました。
 文化や風土が異なる人でも、容易に受け入れる場所があったのでしょう。
 そんなむかしの日本が、また、復活してきているのでしょうか!

食べたくても食べられない!

 むかしは、ヨーロッパは食糧不足問題から戦争が当たり前になり、その風土がいまも続いているのでしょうか?
 我々から見ると、戦いに寛容のように見えます。
 またアフリカも、人類発祥の地でありながら、アフリカに残った人達も食糧事情が悪いのか、争いが絶えないですね。
 今は地球の人口が増加傾向にあり、ますます争いが増える傾向にあるのでしょうか?

ロシアの楽しみは、現在ではなく未来にある!

 ロシアで「睡眠学習法」という実権が行われていたそうです。良いほうに解釈すれば、自分を肯定的にする、という実権なのですが………。
 録音テープに、自分を肯定する言葉を録音し、そのテープを睡眠の始めに流し洗脳する実権です。
 ロシアの風土を考えると、反政府的な人を生み出さないためでは、と思ってしまいます。
 ロシアは、帝国の段階から、反国家の人達をシベリア送りにしていました。また、『シベリア抑留記』(原田道之助の手記)から感じるロシアの風土からも、良いほうには受けとれません。
 そのような風土だからこそ「反戦争」や「未来に夢を持つ」といった内容の小説が書かれているのでは、と思ってしまいます!

世界のどこにもそれなりの特殊性がある!

 国や地域には。それぞれに特性があります。しかし、情報化社会では、情報発信力の強い地域が、世間の常識としてとらえられます。
 すると、それぞれの地域の特性に、気がつかなかったり、無視されます。
 日本では、西日本と東日本では、地域の特性に関する気づきが違うようです。例えば、関西の大阪・京都・神戸・奈良など、それぞれの街の特性に違いがあると思っています。関東はどうでしょうか。東京・川崎・横浜・千葉・埼玉など、違いをどの程度意識していますか?
 外国を見る場合、日本の感覚で見ていると、思いがけない勘違いをしてしまうことが、あるのでしょうね。
 ロシアを見る場合はどうなのでしょうか? 日本の戦国時代のように、領土を拡大した者が英雄だった時代の感覚で、見た方が良いのでしょうか?

お地蔵さんのそばを通りすぎるときに!

 古くからの街では、お地蔵さんをお寺の入口や道端でよく見掛けます。
 六地蔵もお寺ではよく見掛けます。六地蔵は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道の六道を能化する有難い佛様として昔から信仰されています。
 また、多くの罪人たちが首を斬られた処刑場であった場所に、その供養のために、六体の地蔵が建てられたのが、六地蔵のはじまりであるとの伝えもあるようです。
 お地蔵様は、天国に対する地獄の存在が強く意識されはじめると、一般民衆にもそれが浸透し、人々は、
「死んで地獄に落ちたら、どうすればいいのだろう……」
「地獄での苦しみから救ってくれるものがあるのならば……」
 と、いう想いで、お地蔵さまに救いを求めるようになっていったとか。

神社にある狛犬は外国からもたらされたもの!

 狛犬は、平安時代には宮中に対(つい)で配置されていたと言います。そのためでしょうか、尾道の市役所の前に、建て替えられる以前は大きな狛犬がいました(建替後はいなくなってしまいました)。
 鎌倉時代以降、神社での前に置かれるようになったのですが、神社によっては狛犬が居ないところもあります。何か基準があるのでしょうか?

なぜおみくじを木の枝に結ぶのか!

 神社に行くと、おみくじがたくさん木に結びつけられた神社に出会います。この神社のおみくじは、凶が多い神社なのかな? と思ってしまいます。
 おみくじに凶が出たとき、木に結び、神様のお許しや加護を得るためだそうです。凶をたくさん出した方が、その神社の信仰が強くなるため? なのでしょうか!

草や木という生き物ばかりでなく山や川にも神が!

 日本には、自然の恩恵に感謝し、自然の中に神が宿っている、という考え方が受け入れられています。
 「人」が神様扱いされると、戦争という危険が生じてしまうようです。
 日本も、人が神様扱いされるようになると、戦争が起きています。
 西洋ではキリストという人が神様扱いになっています。中東のムハンマドもそうです。
 「自然に神様が宿る」が主になっていると、平和な時代が続くようですね!

ローマ帝国滅亡後、世界経済はイスラム世界に!

 宗教は、建て前は精神世界ですが、実態は「お金」で考えなくてはならないようです。
 やはり、ビジネス感覚が重要です。それに精神世界が取り入れられ、多額のお金を集めるしくみ、そして、子孫代々に続くしくみ、これが受け入れられたとき、大きな宗教団体ができるようです。
 イスラム教もそうですが、日本では一向宗も年貢を納めず、自主的な運用で100年に及ぶ自主運営ができていました。
 宗教活動にすれば、法律の適用が甘くなることも取り入れていますね!

昔の木造家屋はマイナスイオンを増やす!

 昔の建物は、自然に適応し、自然の効果を生かす工夫がありました。昔の家屋はまだ残っているので、いろいろな研究ができます。
 また、現代の建物に取り入れる工夫も、少しづつ生まれているようです。

 昔の子育てにもいろいろと工夫があったようです。ガキ大将が、いろいろな遊びを教える中で、安全を自分達でどのように確保していくか、大人に聞きながら、自分達で考え、また、小さな子供達に分かるように、体験しながら教える知恵がありました。
 この知恵は、単に教わるのではなく、自分で考え、テストし、対策をつくり上げていました。
 しかし、こんな体験をした人は、どんどん少なくなっています。また、核家族化し、孫達に伝えることもなくなっています、積極的に取り入れる子育て組織もあまりないようです。
 数十万年の人間の子育ての歴史が、消えてしまうのでしょうか!

国境を越えてくる宗教が!

 世界の宗教の60.3%を占め、三大宗教と言われるキリスト教、イスラム教、仏教。
 しかし、日本では確かにお寺さんは数多くありますが、本当に仏教徒なのでしょうか?
 神社もたくさんあります。しかも、生きているときのお願い事は、どちらかというと神様にお願いします。特に将来の希望は、神様にお願いしています。
 むかしはお寺さんも、狩猟・漁師・商人など少し身分が低く見られていた人が、豊かになってくると、その人達を救う手立てを考え、仏教を広めていました。北陸の一向宗などは100年も自主的な政治を続けていました。
 現代の仏教ビジネスを再考しなければならないのでしょうね!
 

人頭税廃止で拡大したイスラム教!

 宗教を広めるには、ビジネス感覚が必要なようです。
 広めたい階層(お客)に、どのようにして広めるか(売りこむか)。
 イスラム教は、人頭税という税金の免除。大航海時代のキリスト教は、武器・弾薬を含む貿易。浄土真宗の一向一揆は、戦国大名からの税の徴収を拒める不入の権利。
 広めたい階層に有利な権利を確保しながら、思想を定着させ、末永く継続すること(老舗)を目指す、という手法のようです!

ユーモア・ジョーク、機転を身につけるには!

 ユーモアやジョークを言える人は、視野が広く、固定観念がなく、経験が豊富だけでは、言えないですよね。それにプラス「機転」が必要ですね。
 また、風土も関係しているようです。
 よく大阪の人はおもしろい、と言われています。子供の時から、状況をつかみ、なにかしら視点を変えて言う、という風土があるのでしょうね。
 川や海、台風や地震といったものに、権力争い、いくさ、それに貿易や商売など、歴史的な風土も影響しているのでしょうね!

古代の人類は太陽信仰みを持っていた!

 自然信仰や先祖を敬う信仰が少なくなってきています。もちろん国によってかなり違いはあるのでしょうが、自然に学び、自然を大切にすることは、人類の生き残りの期間を延ばすことにつながっているのでしょう。
 ただ日常では、ついついエアコンを使い、蓄電池つきの電化製品を使ってしまいます。どうしてなのか、コード付きの電化製品ですむ場合でも、蓄電池つきの電化製品になっています。
 この無意識が温暖化につながり、人類の生存期間減少に影響を与えるのでしょうね。これを救うのは、太陽信仰や自然信仰なのでしょうが、これを取り戻すことは出来るのでしょうか?

日本は複雑な人種を混入させながら1つに!

 日本には7世紀ごろまで、渡来する人達を受け入れており、その人達と協力し「日本人」というものをつくってきました。
 「日本は単一民族国家である」は、政治的に同化政策が必要なときに、発信されたようです。
 「曖昧な風土」が許容される日本、7世紀頃までは渡来人が多くいたようです。その人達を含め、協力して、日本文化を、そして、日本人を育ててきました。
 移民しても、自国だけの文化しか許容しない民族もいれば、移民先に馴染もうとする民族もいます。
 食糧事情が許されるのであれば、外国の人達を多く受け入れることも必要ですね!