相手があるから、自分もある!

 日本人は歴史好きですね。災害(自然災害や疫病災害など)が多く、歴史に学ぶ必然があったのでしょう。
 しかし、現在は歴史に学ぶと言うより、外国に学ぶというスタイルになっています。そのためか、人々のつながりが薄くなり、自然から学ぶことも少なくなってしまいました。
 温暖化が問題となり、少しずつ自然への関心が出てきたようでが、むかしは、自然の中に神様が宿ると考え、自然を大切にしてきました。
 また、核家族化が進み、昔のことを孫に引き継ぐことが難しくなっています。
 子育ても核家族では難しいようです。母親一人で子育てをするには、チンパンジーは7年かけています。それまでは次の子供を産めないとのこと。
 昔の日本の子育ては、両親と共に、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人達、みんなで育てることが、生物としての生き残り作戦だったようです。それが、日本人が歴史好きになり、また、生き残りの作戦になったようです!

マニュアル通りやれば?

 今日(2022年12月3日)、相模原市にある有鹿神社の奥宮(おくみや) で、「有福玉清祓式」……お有鹿様からいただく新しい命を象徴する「有福玉」を奥宮の泉で清める「清祓式(きよはらえしき)」が斎行され、偶然、奥宮にいましたのでお声をかけていただき、参加させていただきました。
 このような行事は、進め方に決まりごとがあり、その決まり事の通りに進めることで、神様から御加護をいただけると感じることが出来ます。
 今流の言葉で言えばマニュアル化なのですが、なぜ神事と業務などのマニュアルは重みが違うのでしょうか?
 偶然参加させていただいた神事なのですが、重みがまったく違うと感じることが不思議でした!

赤飯の古いしきたり!

 お祝いの時に出される赤飯、これにも「物語り(しきたり)」があります。伝統的なものには、「物語り」や「しきたり」があるものが多いですね。
 「行事」や「その行事に使われるもの」、あるいは「お土産」などに物語があると、末永く続いていきますね。
 古くからの商人の町には、伝説や民話などの物語が言い伝えられています。やはり商売を長く続けるコツは、商品に物語を関連づけることなのでしょうね!

旧暦八月十五日の「十五夜」!

 中秋の名月、2022年の十五夜は、9月10日でしたが、その1ヶ月後の「十三夜の月見」をした人はそれほどいないのでしょう。十五夜の月見をし、十三夜の月見をしないと縁起が良くないのですが、今では気にする人はいないのでしょう。
 ただ、いろいろな行事で自然観察をする機会は、多ければ多いほど、自然や歴史を知るには良いことですね。
 やはり、多くの知識は、教科書より、体験が先にあった方が良いですね。自然環境の条件によっては、教科書が間違っていることもありますから!

人間のもつ「108の煩悩」とは!

 日本では、宗教についてもある意味「曖昧」が許容されています。多くの人は、あるときは神社へ、あるときはお寺に行きます。観光の時は、神社も、お寺も見て回ります。
 この曖昧さが、思い込みの思想にとらわれることなく、たとえば、太平洋戦争後の世の中の変化が出来たのでしょう。
 大乗仏教は、僧侶にならなくても涅槃の世界に行くことが出来ます。僧侶にならなくても良いのです。これも小乗仏教から見れば「曖昧」と見えることでしょう。
 平安末期から始まった、お経を唱えれば極楽に行ける、という方法で、庶民の結団力が生まれ、それから庶民の力を評価する政治体制も、徐々に発達してきました。
 一神教のように、宗教で人民を支配するのではなく、庶民を見据えながら政治を行う状況が、発展したり、衰退したりしながら、進歩してきたのでしょう!

歴史の陰には謎の死が後を絶ちません!

 歴史の景には、謎の死を遂げた例がたくさんあるそうです。また、古代中国では、自ら不老不死の薬として水銀を含む薬を飲んでおり、秦の始皇帝や漢の武帝が丹薬の副作用で死んでおり、唐の時代には皇帝21人の内6人は水銀中毒だったそうです。
 「この薬はは効果がありますよ」と言って、毒薬を進める医者(専門家)がいると、やはり、それを飲んでしまいますね。
 「これはパーキンソン業に良く聞きますよ」と、だれか?に勧める人が出てくるかも知れませんね!

神社に参拝するとき!

 正月は神社にお参りすることが多いですね。治承5年(1181年)に源頼朝が鶴岡若宮に参詣したことが初詣が広まるきっかけになったとの指摘もあるようです。
 いつのころからか、生きている間の願い事は神社、亡くなってからはお寺にお世話になるとなっています。
 お寺には、あらゆる病に効く薬が入った薬壺をもっている薬師如来、薬は生きている間に使うものです。死んだあとに救済するのではなく、この世で利益を授ける如来として人気を集め、飛鳥時代には信仰が広まったのですが、新コロナが伝染している今、お参りに行く人はそれほど見かけません。
 仏教は本来、生きている人を救っていたようですが、今はなんとなく、生きているときの願い事は神社になってしまったようです。新年はやはり神社にお参りですね!

冬至の日には、ユズ湯に入る!

 当時はユズ湯の日ですね。このような日は大事にしたいですね。このような風土が健康に感心を持たせて入るのでしょう。そういえば、神社に健康を祈ることも無意識にやっていますね。それだけ「健康でいたい」という意識が高いのでしょう。
 今回の新コロナの伝染を、ゆるやかにすることにも関係しているのでしょうね。
 これからは、いろいろな行事が続いていく季節になってきます。このような行事を大事にしていくことも、やはり安全な風土づくりに貢献しているのでしょうね。大切にしましょう!

キリスト教ではハトは聖霊の象徴だった!

 ハトは平和の象徴とされています。旧約聖書のノアの箱舟が由来だと考えられています。しかし、伝書鳩は紀元前5千年とか、紀元前3千年のエジプトで通信手段として使われており、ローマ帝国では軍事用の通信手段として使われていました。
 日本でも八幡神の使いはハトで、八幡神は源氏の氏神で武神です。尾道の古いお寺には「源氏は伝書鳩を使うことが出来、平家は使えなかった」という言い伝えがあるそうです。
 第二次世界大戦で日本軍のタイの通信部隊の人は、「無線はあったが、発電機は重く、山があると無線は届かない。伝書鳩の中には10日も同じ場所にいれば、その場所を覚えるので、軽くて大変有効な通信手段だった」と言っておられたそうです。
 これらのことが関係しているのかわかりませんが、最近は平和の象徴としてのハトの出番が少なくなっていますね!

古代中国の五行思想が雑煮にも!

 日本には古代より中国から多くの文化が入り、日本の縄文時代から続く風土と融合しながら現代まで生き残ってきています。その後も、ヨーロッパ文明を取り入れていますし、世界中のどこの国の文化でも、否定することなく興味を示します。そして、この文化のここは取り入れようと、自分たちの都合(思想に関係なく)で取り入れています。このようにして、古い文化が今の時代にも残り、新しい文化も取り入れていることが、日本文化の特徴なのでしょう。一貫性はありませんが、しかし、時間がたつと、いつの間にか日本の文化に溶け込んでいますね!

交通事故を起こした時のバイオリズムは!

 欧米には「バイオリズム」や「十三日の金曜日」というものがあります。 日本にも「七五三」や「七夕」、そして「石の上にも三年」「三度目の正直」「早起きは三文の得」」など数字に関係した行事や言葉がたくさんありますね。そのような区切りがあると気持ちの整理がつき、スッキリするという効果があるのでしょう。「区切り…物事の切れ目」は、自分一人では切り替えられない気持ちを、世間の力をかりて、切り替える方法として生まれてきたのでしょう。
 このような、ある意味「曖昧なしくみ」の多くを取り入れてきたのが日本の風土です。日本では、この「曖昧さ」が許容されている時代は平和な時代でしたね。現在の新コロナのときですら、日本は、ある意味政策は曖昧ですが、ほとんどの人は、守るべきことは守っています。強権政策による反発と、曖昧政策の遵守度と、どちらが効果的なのか、答えは結果でしかわからないのでしょうね!

初めての町で通りがかりの人に「こんにちは」!

 初めて行った町で、見知らぬ子供に「こんにちわ」と挨拶をされることがあります。鎌倉では「まち案内のホームページ」作りで写真を撮っていたら、中学生の男の子に神社で声をかけられ、「約束した友達が来ないので、町を案内しますか?」と声をかけられ、二時間ほど案内をしてもらいました。
 尾道でも、観光客があまり行かない坂道で、子供達に「こんにちわ」と声をかけられました。こんな子供達に出会うと、その町がとても好きになりますね。
 突然見知らぬ人に挨拶されると、最初はすぐにはこちらから返事ができなかったのですが、少し慣れたからは、挨拶をされたら、いつでも挨拶を返せるようになりました。
 こんな町がどんどん増えてくるとよいのですが!

大阪人は決してケチではありません

 大阪人は、モノがもっている何かしらの役立つ性質や程度が、払うお金に対しての値打ちがあるのか、見分ける力が強いのでしょう。ブランドや人気に左右されず、自分の価値観で判断する、ということなのでしょう。
 自分達の価値観を持ち、それが定着したのは、江戸時代に江戸幕府の直轄だったため、幕府の指示に従いながら(従っているフリをしながら)、自分たちの価値観を造り上げたのでしょう。テレビ番組の「水戸黄門」のように、印籠を見せれば、皆頭を下げひれ伏す、とはならなかったのでしょう。「必殺仕置き人」のように、自分たちで解決していったのでしょうか。当然、やりすぎて度が過ぎたこともあったのでしょう。それが学びにつながり、風土として定着したのでしょうか!

伝統的な「村八分」はいじめと違う!

 「村八分」という制度がありました。村という集団の安全と平和を維持するために生まれたのでしょう。いまも地域によっては目に見えない風土として、残っているところもあるようです。
 現在流行している新コロナ伝染病の発生状況も、この風土と関係しているのでしょうか。
 現代の日本では「個性」が大事にされていますが、ヒトの生存を考えたとき、個人と集団と、どちらを大事にするか、難問ですね!

農耕が始まるまではたいてい空腹でした!

 米や麦の食べ方(料理)を見つけたのは、どこに棲んでいたヒトなのでしょうか?
 料理というものは、ヒトの「口と消化器官を補助」するものです。米や麦の食べ方を見つけることができたので、安定的に食べられるようになりました。しかも、それらは保存ができ、そのことで、より安定的に食物を手に入れることができるようになりました。そして、農耕を知ることで、人はどんどん増えていったのでしょう。
 ほとんどの動物は、せいぜい殻を割るくらいの料理しかできず、食べられる物の種類を増やすことができませんでした。
 米や麦の料理方法を知ったことで、農耕文化が拡大したのですが、農耕文化は争いの文化も生み出してしまいましたね!

「いただきます」「ごちそうさま」は誰に!

 天の恵み(太陽や雨)、地の惠(水)に感謝することは、ヒトが生き続けてくることができた原点にあります。秘境に生きている人達には、それが今も残っているようです。
 文明の惠を受けてきた人々は、やっと文明が必ずしも「恵ではないのでは?」と疑問を感じ始め、持続可能な開発目標(SDGs)が叫ばれるようになってきています。
 しかし、秘境に生きている人達から見れば、まだまだ中途半端なのでしょう。
 経済発展がヒト属が生き残っていくためのに良いのか、悪いのか、この判断が適正に行われるのか、難しい問題ですね。多数決で決める民主主義社会では、なおさら難しいのでしょう!

お経は何かさっぱり分かりませんが!

 日本ではお経は漢字で書かれています。そのためか、その意味を知ろうとします。でも、分からないですよね。仏教の宗派によっては「文字で書かれていないところに真理がある」と考える宗派もあります。生物として考えれば、その種が生き続けていく真理は、決して言葉ではない、と考えることが当然の真理です。人間以外は生物は、言葉は持っていないのですから!

うるおいに満ちた精神性!

 日本の風土の基本に、「相手を思いやる」ということがあります。災害が多く、大小の争いも西日本(琵琶湖周辺以西)では数多くあったためか、庶民か生き残っていくために「相手を思いやる」ことが大事になったのでしょう。いくさでは、武士が農民たちから食料を略奪し、京都の昇ると織田信長のように、無理矢理に米を庶民に貸し付けて三割もの利息をとるなど、庶民たちはお互いに助け合わないと生き残れなかったのでしょう。新コロナで緊急事態解除が首都圏で予定されています。この地域の風土は、他の地域に比べて助け合いが弱く、能力主義で自己中心の人が集まっているため、再度コロナ蔓延の心配がありますね!

体の毒を出して体を守るのが厄年!

 陰陽道は、「陽」と「陰」という視点から、バランスをとって物事を見ていこうともいえます。思い込み・固定観念で物事を見ることの危険性を予知していたのですね。「無」という考え方も、同じような考え方なのでしょう。学問は、多くの「固定観念」を生み出してしまいます。一神教も同じように「思い込み」を生み出しているのでしょう。もしかしたら、AIも同じ道をたどる危険性があるのでしょうか?

女性の井戸端会議は必要!

 妻田薬師、正しくは、西隣にある遍照院というお寺の薬師堂です。
 伝説によれば、本尊の薬師像は聖徳太子によって造られたといわれています。お堂がいつごろ建てられたのかはわかりませんが、室町時代の末には信仰を集めていたようです。
 薬師堂のある地名は、白根といいます。言い伝えによれば、良(ろう)弁(べん)という僧がお堂で休んでいて夢を見ました。東の方を見ると、庭の大楠が灯籠になり、お堂は昼のように明るくなりました。良弁が身を清めようとして池の側へ行くと、一夜のうちに蓮の花が咲いて、白い根が池一面に広がりました。そこでこの地を白根と呼ぶようになったそうです。