成長・退行の葛藤に常にさらされている!

 「ついつい楽をしてしまう」、これが生活の全てに及んでしまうと、いつの間にか習慣になり、そこから脱出しようとする意欲も湧いてきません。 健康年齢を短くしてしまいます。
 からだも頭も、血の巡りをよくするように、努力する習慣を身につければ、健康寿命は長くなると思われます。
 自分が楽をするという前提で、人づきあいをしてしまうと、それが無意識であれ、浅い人間関係しか築けません。
 すべてでなくても良いですから、ひとつでも一生懸命やれるものがあると良いですね。それとも「あきらめます」か!

潔癖性は理想主義に通ずる!

 劣等感は他人と比較するところから始まります。あるいは、何かしらから手に入れた理想との比較で、自分が劣っていると感じたところから始まります。
 この比較はなぜ起こるのでしょうか、自分の向上心が原点にあるのでしょう。
 日本は劣等感の強い国だといわれています。しかし、その劣等感を生かして、「追いつけ、追い越せ」で発達してきました。
 他人(他国)など気にしないで、のんびりと生活する人(風土)と、他人(他国)を気にし、なんとか「追いつけ、追い越せ」精神で努力することと、どちらが自分(自国)に適しているのか、冷静に判断ができると良いのですが!

「ダメだ」と言いそうになったら、「タメだ」と!

 「失敗」=「やりそこなうこと。目的を果たせないこと。予期した効果をあげられないこと。」なのですが、「このやり方ではダメだ」という実績でもあるのです。
 ということは、別のやり方を見つけるための準備でもあります。
 「失敗=終わり」ではないのです。失敗の事実をしっかり調査・分析し、また同じような機会が訪れたとき、前回失敗の分析結果を反映すれば、成功の確率が上がります。その繰り返しが人生です。この体験が大事ですね。

選択は、いつも自力で行うのが基本!

 「選択」を行う場合、自分ではあまり考えないで、NETなどで検索し、結論を出す場面が増えているのでは、と心配です。
 これに、生成AIが普及すると、余計に自分で考える場面が少なくなるのでは、と心配です。
 やはり、いろいろな体験をし、その上で、多彩な知識・情報を集め、それらを比較し、取捨選択をし、そして結論を出す、という過程が必要なようです。
 いろいろな情報が手に入らない国もあります。また、を宗教的な理由で、判断が制約されている国もあります。
 思考は、やはり多様なほうが良いのでしょうね!

時間をどうしたら生み出せるか!

 「忙しい」という中にも、二種類あります。決断が早く、行動も早い人で忙しい人は、本当に忙しい人。決断に手間取り、結果としてやることが溜まる人は、忙しそうに見える人。
 現状把握が洩れなく出来ている人は、決断が早く、すぐ行動に移れます。現状把握の一部に洩れがあると、決断が遅くなってしまい、その結果忙しくなります。
 現状把握といっても、できるたけ“現場”の状況を洩れなく把握すると、誰でもほぼ同じ判断になります。
 関係者の判断内容が異なる場合の多くは、現場の状況把握が不十分な場合が多いのでしょうね!

いざ悪いことが起こると自分だけが!

 悪いことが起きると。「自分が悪い」と思う人もいます。できれば感情で受けてしまうのではなく、状況を分析するというスタイルで受けることが出来れば、次の対策を前向きにとらえることもできるかも知れません。
 失敗もそうですが、状況や事実は覚えておくのですが、その時の感情は、その時、その場所に、置いてくる方が将来が開けます。
 事実のみは背負っていくのですが、感情は過去に置いていくことが出来れば、前向きな人生になるのでしょうね!

行動をすればするほど個性的になる!

 情報があふれている現在、自分が行動して、五感で感じ、直接情報を得る。この過程で、「自分」という個性がつくられていくのでしょう。
 Netで、他人が提供する情報をもとに、自分の思考を造っていると、そのような人が多いため、似たように思考する人が多くなり、個性というものがなくなっていきます。
 個性を求めない社会になると、強健な指導者にとっては、統治しやすい社会になるのでしょうね!

判断力は『あれか、これか』の中で!

 「確固たる思想を持つ」という考え方が主流です。しかし、これは「自分だけが正しい」という結果を生み出します。そして、多様性が阻害されます。
 日本のように、征夷大将軍(将軍)や天皇いて、神様も仏様もいて、クリスマスも祝います。「好(い)い加減」が広く許容される国は、日本ぐらいです。
 1つの考え方でしか生きていかなければならない国は、日本から見ると「かわいそう」と思ってしまいます。しかし、その国では、正解とされています。
 これは自然環境に多様性がないためなのでしょうか?
 日本は、地震、台風、洪水、干ばつなとど、多様な自然環境の中で、生き延びていくための智慧の結果なのでしょうか!

自分と目先のことだけを考えて行動?

 「目先のことしか考えない」、それもNETからの情報で。
 事実(現状)を洩れなく把握することに、ほとんどの時間を使い、結論を出すのは、総時間の5%程度の時間配分が望ましいのでしょうが、現在は、現状把握ではなく、NETでの情報集め中心になってしまいました、これからは「生成AI」が結論を出す時代になるのかもしれません。
 「目先のことしか考えない」という事態は、核家族という社会も関係しているのでしょうか。「あれ、これ」考えることができなくなってしまっているようですね!

50代、新しい一歩を踏み出す年齢だ!

 子ども時代から、100点を目指すように取り組んでいると、大人になり、働くようになっても、やはり100点を目指すようになってしまいます。
 そのままそれを40~50年も続けていると、そこから外れたときも、その影響が強く残ってしまいます。しかし、退職すると、その力を発揮するところがなくなってしまいます。
 早いうちから、趣味や習い事に取り組み、対策をしておくと、その後の20~30年、愉しく生きることにつながります!

意志をあまりにも強調する人!

 むかしは、自然や周りをを観察し解決策と考えました。それでも解決できない困難に出会うと、しかたなく神仏に頼っていました。
 現在は、言葉でネット検索し、あるいは「ChatGPT」に質問したりします。その結果、「観察し、考える」ことが激減してしまいそうです。
 人類の生き残りのための進化は、周囲を観察し、考えることが出来るように進化することで、生き残ってきました。
 考えることが不要なほど便利になることは、人類の生き残るという視点から見ると、どのような結果に導くのでしょうか?

相手のことばかりに気持が向き過ぎてしまう!

 子供の時に「自分」というものを、どのように造っていくか。知識教育だけでは、「自分」というものを造ることは出来ないのでしょう。
 自然を五感で感じ、自分でどのようにその環境(自然)に対応するか、考える経験を積み重ねることが大切なようです。
 ただ、現在は子どもの事故を防ぐため、安全対策がされているため、本当の思考力は身につかないのでしょうが。そうかといって、危険な環境を放置することもできないので、難しいですね!

究極に到り着きそこに住(とど)まる重い病気!

 最近は、スペシャリストを目指す人が多い感じがします。しかし、専門知識のそばに、雑学を置いといてほしいです。
 専門知識一辺倒になると、思考の幅が狭くなっていきます。曖昧さが許せなくなります。
 日本の平和な時代は、「曖昧を許容する」ときです。思考の狭さは、社会から見ると、危険視されることもあります。
 その状態で年齢を重ねていくと、いっそう執着心が強いまま、思考が狭いまま、過ごすことになります。仕事をしているときは、まだ良いのですが、リタイヤすると、大きな弊害になることもあります!

片づけのコツは「戻しやすさ」を優先!

 昔と比べると、豊かになっています。豊かさは、「片付けの力」を要求してきます。取り出しやすいと、どんどん取り出し、いつの間にか散らばってしまいます。取り出しにくい方が良いのでしょうか?
 また、環境でも変わるようです。仕事場ではキチンと片づいています。田舎に帰ったときも片づいています。
 自分の性格より、自分が置かれている環境で、片付けの感覚も違ってくるのでしょうか!

目標に向かって努力をした人の脳!

 ChatGPT(相談型AI)サービスが開始されました。これは、結果的に「考える」ことが少なくなるようです。これは、認知症につながる心配はないのでのでしょうか?
 半世紀ほど前に「知的生産の技術」という本が発行されています。カードに情報を記入しておき、それをいろいろな視点から組み合わせ、「新たな知的発見」を行う方法です。
 その後、カード型データベースソフトが発売され、そしてSQL型のデータベースソフトになり、多くのデータを蓄積できるようになりました。その結果、多くの情報から「単語検索」が可能となり、いろいろな情報が見つけやすくなり、その見つけた情報を組み合わせ、新たな「気づき」が生まれやすくなりました。
 特に日本語は、同じ単語でも、使い方が多様なので、面白い気づきも生まれやすいですね。
 出来れば、自分でデータベースを作り、そして、単語検索をし、その情報を組み合わせて遊ぶと、歳をとっても、思考遊びを楽しむことが出来ますよ!

視覚から得られる情報が圧倒的に多い!

 私たちは、眼の情報を頼りにしています。でも、よく考えてみると、初めて訪れる土地、知識・情報が先にあって、その部分だけしか見ていませんか?
 視覚情報がありながら、そのほとんどを見過ごしていませんか。
 最近は、初めて行く土地の場合、移動するための情報以外は、見ないようにしています。そして、その場所に行くと、五感で感じることが第一優先。ただし、その場所にはもう一度、いろいろ調べてから訪れます。
 話は変わりますが、クルマの自動運転技術が進んでいます。しかし、視覚に障害がある人用の、自動案内装置はどの程度進化しているのでしょうか?

いつのときにも選択をしているのかも!

 人間が、行動するとき、結論を出すとき、何らかの「判断」をしています。でも、その多くは、「無意識の判断」です。
 歩くとき、からだの判断を意識していますか? 道を歩くとき、どのように足を出し、体のバランスをどのようにするか、判断していますか? 普通は、手を振ってバランスをとりますが、両手に荷物を持っているときは、足の指からの信号で、足の右側に力を入れるか、左側に力を入れるか、判断しています。これは無意識で判断しています。
 人間のほとんどの判断は、他の生物と同じように、無意識の判断です。言葉による判断は、ほんのわずかなものなのでしょうね!

手先を動かすことはボケ防止に!

 「便利」ということは、仕事の能率化には欠かせません。しかし、子ども時代から、この便利さに馴れてしまうと、脳の発達に悪影響があるようです。また、歳をとってからは、どうもボケにつながるようです。
 人類の歴史上、こんなに便利になってしまった時代はありません。手先を簡単な動作にしか使わないだけでなく、ChatGPTに質問して文章を作ってもらい、頭で考えなくてもよい時代になりそうです。これは、脳の退化をいっそう進めてしまうのでしょうか?

「器用貧乏」という言葉!

 「器用貧乏」と言われますが、器用な方がボケ防止になるようです。
 器用になるためには、子供の時から、手先でいろいろなものをつくり、鍛えなければなりません。
 指をこまめに動かすと、脳(大脳皮質の表面に見られるシワ)が発達し、結果として器用になるようです。
 小刀で鉛筆を削り、プラモデルを組立、人形の洋服づくりなど、指を動かしていると、器用になっていきます。
 文字や言葉で記憶することが、「成績が良い」ということになるのですが、これだけに執着していると、脳の一部しか使っていないことになるのでしょうね。
 選択すと自動的に作動する電気器具、自動化された道具類などは、ボケの促進につながっていくでしょうか!

毎日が日曜日になった途端!

 毎日が日曜日になった時、それまで蓄積したものから、どれだけ離れることができるか、という視点も必要なのでしょう。専門的であればあるほど、蓄積したものからどれだけ離れることができるか、それが出来れば、違った視点から、今まで蓄積したものを見ることが出来、新たな発見があるかも知れません。
 日本には「曖昧さ」が許容される風土があり、いままで築いてきた視点を変えても受け入れてもらえます。
 毎日が日曜日なのですから、異なった視点を持つために、広く歴史(過去)を学び、いろいろな視点があることを学びたいものです!