人間らしい四つ機能が前頭葉に!

 前頭葉の発達が「人間らしさ」を作り出しているとのこと。一般的に人間として大人になるのは25歳程度とされているようです。これは前頭葉の発達と関係しているのでしょう。そうすると、若者の多くは前頭葉がまだ未発達、年寄りの頑固さは前頭葉の老化ということになるのでしょうか? 今回の新コロナ時での行動を見て、「あの若者は、前頭葉が未発達なんだ」とか、「あの中高年は、もう前頭葉の老化が始まっているのだ」とかと思って見ている人もいるのでしょうね!

良いこともあれば悪いこともある!

 人の悩み事を聞くには、まづ「思い込み(先入観)」を捨てることですが、これが難しい。テストで満点が多いほど、経験が深いほど、専門的な知識が豊富なほど、長く生きていればいるほど、自分の考え方で相手を理解しようとします。これは、相手の話を、相手の立場で理解しようとはしていないのでしょう。自分の立場で理解しているのです。このような場合は、自分の意見は言わず、ただ、ただ、聴くことに徹した方がいいのでしょう!

恋人から突然別れを切り出されたら!

 悩み事で相談を受けたとき、社会的なしくみや法律に関することは別として、説得や提案で解決しようとすると、相手にとっては迷惑なこともあるのですね。ついつい説得しようとする人が多いと思うのですが、単に”聴くだけ”も大切なのですね。その道の専門家はともかく、単に聴くだけということは、思っている以上に難しいことのようです!

人には親切にしたいもの!

 何も見返りを期待していない「親切」というものがあります。四国のお遍路のときの御接待(おせったい)など古くからあります。西日本に多いようですが、「てごうする」といって、「お手伝い」と無意識に使い分け、お返しをまったく気にしない手伝いがあります。この基本になっているのは、仏教の考え方なのでしょう。自分が生きている内に、できるだけ施しをすることができれば、極楽に行ける、と。そういえば、何かもらい物をすると、すぐお返しをする地域と、ついでのときに何かを上げる、といった地域があります。日本の中でも、各地でいろいろな風土があります。情報発信が東京中心になってしまったため、各地域の風土に無関心な人が多くなってきているのでしょうか?

女性の学びは男性と異なった特性を持つ!

 「学び」は長続きさせたいもの。できれば一生学び続けたいものです。人間、前頭葉が未発達、または老化すると、自分の制御が難しくなってしまいます。新コロナの伝染防止対策がうまくいかない若者、カラオケで歌いまくる高齢者、ともに前頭葉の働きがうまく機能していないのでしょうか? 元気であり続けるには、からだを動かし、足から、あるいは、手から、そして皮膚からの情報で、からだのあちこちを刺激することが大事なのですが、「学び」で前頭葉の刺激を続けることも大事です!

お経は何かさっぱり分かりませんが!

 日本ではお経は漢字で書かれています。そのためか、その意味を知ろうとします。でも、分からないですよね。仏教の宗派によっては「文字で書かれていないところに真理がある」と考える宗派もあります。生物として考えれば、その種が生き続けていく真理は、決して言葉ではない、と考えることが当然の真理です。人間以外は生物は、言葉は持っていないのですから!

彼のウソを見分ける女の第六感!

 男女が平等(すべての個人が身分・性別などと無関係に等しい人格的価値を有する)であることが強く叫ばれています。しかし、平等より公平(かたよることなく,すべてを同等に扱う)といったほうが、なんとなくしっくりします。年のせいなのでしょうか。男女だけでなく、個々人についても、それぞれ違いがあり、その違いを知った上で、接することも大事なのではないのでしょう!

過去の思い込みの思考を見る!

 能力主義の時代は、自己中心的で能力が優れている人が成功する。日本では戦国時代がその典型である。しかし、この能力主義の時代は、戦が多く、災害や疫病の蔓延する時代でもある。その原因は、生命体が生き残るためには、「助け合い」の性質が一番重要で、原生生物の粘菌ですら、環境変化で生命が危険な状態に陥った場合、同じ遺伝子の細菌が集まり、協力して胞子を作り、自分は死んでしまうが、胞子が生命をつないでいく。
 仏教も、ガンダーラで「生前に人のために助けを行うと、極楽に行くことができる」という考え方を折り込むことで、国際的な宗教に発展したとのこと。大阪商人やその風土を受け継いだ商人の町でも、儲けたお金の多くを、民衆のための事業につぎ込んだ歴史がある。現在は、儲けたお金を民衆のために使おうとしても、株主が大反対するため、それができない社会になってしまった!

自分しか見えない「自己中」!

 現在の都会は、能力主義を基本としているため、自己中心思考の人が集まりやすく、どのような場面でも「自分は正しい」ということを基本にして、自分の能力を発揮しようとします。疫病蔓延や災害時には、このような人々に、行動を変えてもらうのはやっかいですね。その人たちに異なった意見を分かってもらうには、現状認識を正確にやってもらう工夫をするしかないのでしょうね。もしかしたら、「自己中心の人達が、人類の生き残りの障害になる」ため、疫病を蔓延させてきたのでしょうか? 極端ですが!

道に迷うことも歩く楽しみ!

 自然が多くあるところで育つと、周囲の状況に敏感になるようです、大人になって街中を歩いていても、周囲の状況を皮膚で感じて楽しんで歩くようです。「皮膚感覚」という言葉があります。この感覚は生物が古くから持つ感覚で、人間で言えば「第六感」というものに相当するのでしょう。脳で判断する前に、皮膚感覚で判断しているようです。危険を感じたとき、脳が危険と判断する前に、第六感で、その危険を回避する感覚です。無意識に皮膚で周りを感じることは、重要な感覚ですね!

社会に出てからは学びの質を変えること!

 定年退職後は、特に学びの質を変えなければなりません。組織の中で身についた思考を続けていると、いわゆる“老害”という状態になりかねません。定年後、年月がたつにつれ、ひどくなっていきかねません。過去に蓄積した“思い込み”を捨てるためには、まずは学ぶこと、それも、「学びの質を変える」ことが必要です。たた注意しなければならないことは、定年になってからでは少し遅いようです。少なくとも、定年の五年前から、できれば十年前から学びの質を変える準備が必要だと思います!

うるおいに満ちた精神性!

 日本の風土の基本に、「相手を思いやる」ということがあります。災害が多く、大小の争いも西日本(琵琶湖周辺以西)では数多くあったためか、庶民か生き残っていくために「相手を思いやる」ことが大事になったのでしょう。いくさでは、武士が農民たちから食料を略奪し、京都の昇ると織田信長のように、無理矢理に米を庶民に貸し付けて三割もの利息をとるなど、庶民たちはお互いに助け合わないと生き残れなかったのでしょう。新コロナで緊急事態解除が首都圏で予定されています。この地域の風土は、他の地域に比べて助け合いが弱く、能力主義で自己中心の人が集まっているため、再度コロナ蔓延の心配がありますね!

文化のことは自然に任すのが一番!

 日本の文化は、歴史を尊重しながら、新しいもののなかから、受け入れられるもの、そうでないものを見極め、協力しながら風土を造り上げてきました。年配の人の多くは、日本人は単一民族、と思っている人が多いと思います。しかし、実際には多くの人種の遺伝子を持っているようです。異なる人々が、災害が多発する環境で、協力しながら生き延びていくことで、現在の私たちが生存しているのでしょう。ただ残念なことに、新コロナ伝染の状況を見ていると、その風土が首都圏では、弱体化していっている気がしています。自己中の人が多くなっています!

自分は冷静だ、騙されるほどバカではない!

 詐欺が横行する社会になっています。それも災害が多発し、お互いの助け合いが必要な時期にです。人間が生存し続けることができたのは、なにも求めることなく、「助けっぱなし」ができたからだと考えられます。災害が多発する日本では、四国路での「おせったい」のように、見返りを求めない、見返りの意識すらない、助け合いが、生存に大きく関係していたのでしょう。能力主義の時代では、自分の利益が中心になり、「未来に何かを残す」という発想は消えてしまいます。災害や疫病などで、物資が不足し、独占したり、奪い合いで戦争になったり、人類の生存にとって、危機的な状況が起きやすくなるようです!

平気で身勝手なことをしている人!

 戦国時代のような能力重視の時代(現代もそうですが)では、自己中の人も能力が発揮できるようです。織田信長や豊臣秀吉は、“未来に何か残そう”と考えていたのでしょうか? 詳しくないのでよく分かりませんが、“現在”にしか興味がなかったような印象です。能力重視の風土を持った国々でも、成功する人は、自己中で優秀な人達なのでしょう。ただの優秀な人は、学者や研究者になっているのでしょうか?

潮干狩りは三月はじめの巳の日に!

 温暖化や河川の清浄化の行き過ぎで、アサリの生息域が少なくなっているようです。以前の生息環境に戻すことが必要なのですが、それもなかなかうまくいきません。現在の環境で生活できる生物を受け入れた方がよいのでしょうか? 江戸時代、富士山が噴火したとき、神奈川県の西部の秦野では火山灰が数十cm積もったため、今までの野菜が収穫できなくなりました。そこで、行者さんが指導してタバコを植えるようになったとか。やはり、環境の変化に応じて工夫していくしかないのでしょう!

自分自身と「競争」する!

 新コロナの伝染での社会の変化にうまくついて行く人は何パーセントくらいなのでしょうか? 回りが変化の状況を正確に(思い込みなしに)把握し、現在の自分も正確に把握し、やれることを見つけ、実行に移すことができる人。学校での学びでだけは社会の変化にはついていけません。ただ、幸いなことに、劇的な社会変化にはならないのでしょう。
 日本は、四季があり、自然災害があり、地域風土の違いもあり、日常的にある程度の変化に、ごく普通に対応できています。このように変化が日常的にある環境は、ある程度の社会変化にも対応できるのでしょう!

本当に愛しているのでしょうか?

 国会で、菅総理の息子の接待に関する責任を親(総理)に要求していますが、国会議員は、法律を担当する立場にあり、親の責任を問うなら「どのような法律を作るつもりか」を審議してほしいものです。異常な犯罪が増えていますが、その犯罪者の「親の責任」に対して、法律をどうするのか、考えているのでしょうか? ただ、票を集めるだけの批判なら、週刊誌を利用する策を考えればよいのではないのでしょうか。また、ネットでの誹謗中傷(根拠のない悪口を言い広め,その人の人格や名誉を傷つけること)についても、裁判では親の責任(損害賠償)を問われることはありません。統計学的・科学的に「子育て」について、親の責任が明確になった場合、どのようにしたらよいのでしょうか?

「できないに決まっている」という思い込み!

 「思い込み」には気をつける必要があります。特に、一神教の社会では多彩な考え方の受入が難しいようです。アメリカ大統領のトランプ氏が選挙の時に、「選挙に不正があって実際は俺が当選してるんだ」という情報を流した。トランプの支持者たちは、「トランプが選挙に負けることははずがない」と思い込んでいるため、「選挙に不正があるかどうあるか」は関係なく、自分の思い込みを正当化する情報を信じている、ということだそうです!

プラスの感情でさえ穏やかな心を失うことに!

 人と接するとき、“相手に合わせるか”、“自分のままでいるか”、無意識に使い分けているのでしょうね。そんなことをしなくてもよい「自分」ができるとよいですね。ついつい置かれている状況に合わせて行きますね。それが世間での付き合い方ですからね。ただ、それが大きな負担になり、外に出ることが苦手になっている人もいます。「自分を造り上げる」には、長い時間と鋭敏な観察力を鍛えたえ上で、多彩な考え方を理解していく必要があるようです!