人を助けるのが大好きな人がたくさんいます!

 「自由に考える」という習慣を、いつのまにか失っているのでは、と感じています。小学校から「テストで答えは一つ」という習慣がつき、マスコミでは専門家の解説がほとんどになり、専門家達は答えは一つ、と考えがちです。そんな情報ばかりが周りに溢れていると、自分が自由に考えたと想っても、他人の考えに支配されているのでしょう。
 日本以外では、「答えは一つ」しか正解がないのですが、日本では「あれも正しい」、「これも正しい」ということが許されています。一人の人が、お寺に行くのも良い、神社に行くのもいい、「曖昧」が許されているのです。
 だからこそ、いろいろな知識を自由に集め、その情報を組み合わせ、昨日考えていたことと、今日考えることは、違っても良いという自由があります。
 Aさんとは“こう”、Bさんとは“そう”と、それぞれの場面に応じて良い方法が選ぶことがある程度は許されています。
 ただし、その自由な対応の背後には、多くの知識があればあるほど、的確な対応になるのでしょう。いくつになっても、自分の得意分野以外の勉強も大事なのでしょうね!

交通事故を起こした時のバイオリズムは!

 欧米には「バイオリズム」や「十三日の金曜日」というものがあります。 日本にも「七五三」や「七夕」、そして「石の上にも三年」「三度目の正直」「早起きは三文の得」」など数字に関係した行事や言葉がたくさんありますね。そのような区切りがあると気持ちの整理がつき、スッキリするという効果があるのでしょう。「区切り…物事の切れ目」は、自分一人では切り替えられない気持ちを、世間の力をかりて、切り替える方法として生まれてきたのでしょう。
 このような、ある意味「曖昧なしくみ」の多くを取り入れてきたのが日本の風土です。日本では、この「曖昧さ」が許容されている時代は平和な時代でしたね。現在の新コロナのときですら、日本は、ある意味政策は曖昧ですが、ほとんどの人は、守るべきことは守っています。強権政策による反発と、曖昧政策の遵守度と、どちらが効果的なのか、答えは結果でしかわからないのでしょうね!

自然に起きる山火事は樹木の世代交代を可能に!

 気候変動のためか、大きな山火事が外国で起きています。人間が手を加えたほうがよいのか、自然に任せたほうがよいのか、迷いますね。
 山里での生活が引き継がれているところでも、生活スタイルは70年くらい前とは異なっており、迷ってしまうことでしょう。
 焚き木や落ち葉か燃料として使われなくなり、うっそうとした山々が増えているので、山の植生も変わってしまいました。むかしから引き継がれてきた智慧も、そのまま適応できるのか、慎重にならざるを得ないですね!

記憶力アップのテクニック!

 脳は、基本的には「楽をしたい」性質があるのでしょうか?
 頭脳を駆使している専門家ですら、自分の思い込みから、なかなか抜け出しにくいようです。
 例えば、最近問題にされている資源の再利用の考え方も、不要になったものをリサイクルして資源に戻せば良い、という考え方です。
 しかし、昭和30年代までの電化製品は、修理が比較的簡単にできる設計になっており、機能しなくなった部品のみ交換すれば、再利用が出来ました。
 いま行われているWindows11へのバージョンアップに対応できないノートパソコンは、ほとんどは部品交換で対応することができず、液晶も含め使えなくなります。しかし、リサイクル法があるからそれで良いとされています。年配者はそれでも「もったいない」と思います。
 日本の1960年前後の設計思想や生活スタイルの基本は、「もったいない」だったように思います。近未来、単に部品交換だけでなく、性能アップの部品交換ができるようになるとよいのですが(自作のパソコンは、いろいろ対応できるようですが)。
 記憶にしても、自分が溜め込んだ情報記憶も、新部品交換のようにして、情報を多彩に追加・入替、新しい発想ができるようにしたいものですね!

言葉の発達こそ感受性世界の入り口!

 むかしは「環境に適応する能力」が、最も重要な能力だったのでしょう。しかし、現在は言語による知識になっています。それも記憶力が重視されていました。
 最近は、言語による知識には変わりありませんが、ネット検索やデータベースによる知識になってきました。
 その結果、情報を組み合わせながら、より深い知識、固定観念を打ち破る知識などにシフトしつつあるようです。
 しかし、情報を組み合わせ活用するために必要とされる能力は、言葉と同時に、環境に適応するために養った経験なのでしょう。子供時代に多くの大人と接した体験、自然の中で遊んだ経験などが大切になるのでしょう。
 ところで日本語は抽象的な能力を身につけることに適しているのでしょう。似たような言葉がたくさんあり、また、同じ言葉でも、意味が異なっていたり、また、例えば「ニオイ」でデータベースを検索すると、「……において……」などが出てきて、もとの「臭い」とはまったく違った発想にたどり着いたりします!

苦手な相手とうまくやる方法!

 苦手な相手は、やはりいるものです。このような人にうまく対応するには、子供のときから慣れておく必要があります。というより、子供のときに、出来るだけ多くの大人と接する経験が大事です。小学生くらいの子供時代は、自分の思っているとおりに大人を動かすことは難しいことです。そうすると、自分が工夫して、その大人とうまく付き合うしかないのです。その経験が大事です。
 違った視点で捉えると「いいかげん」に付き合うことです。出来ればそれを「良いかげん」に切り変えられれば最高です。この能力を身につけるには、子供時代からの長い経験が必要です。
 人類始まって以来の「核家族化」、子供時代に多彩な大人達と接する機会が少なくなっている今、なかなか難しい問題ですね!

ジャガイモと大航海時代!

 大航海時代は、南米で「じゃがいも」を見つけることができたので、壊血病にならず、健康で航海ができるようになったのですね。
 ヒトの繁栄の原点に「料理」があります。いろいろな食材を加工し、ヒトの口や消化器官に、適応させる料理ができるようになり、ヒトが生きていくことが出来るエリアが圧倒的に広がりました。そしていつの間にか「うまい」とか「まずい」とかしか考えなくなりました。
 しかし、半世紀で地球人口が二倍になり、温暖化がはじまり、食糧問題が浮き上がってきています。大昔、ヒト族が亡びるかどうかに直面していますが、また、真剣に対応しなければならない状態に、近づいてきているようですね!

海底で活動する火山の噴火はわかりにくい!

 いま沖縄に軽石が流れ着いています。海底で活動する火山については、ほとんど関心がありませんでした。でも、よく考えると陸上より多くの火山が、海底で活動していてもおかしくないですね。
 海底火山は海水で覆われているので、噴火があってもわかりにくい。そのため関心を持ちません。しかし、縄文時代に100m海面が上昇する前は、火山島がたくさんあったのでしょうね。そういえば、数千年前に海面が100m上昇していたのですね。すると、いま海面上昇で大騒ぎしていますが、縄文時代の人達は、どのように考えていたのでしょうか?

体温が1度下がると免疫力は約30%低下!

 新コロナのため、体温測定を頻繁に行うようになりました。体温の変化がどのようになっているのか、いままで自覚していなかったのですが、体温は免疫にも関係しているようです。体温は2度の変化でも、人間にとっては大きな影響があります。
 地球の温度変化は、「パリ協定」で「工業化以前(1850~1900年)とくらべた世界全体の平均気温の上昇を2℃より十分低く保つこと」となっています。これは、人間の体温で考えると、許容の範囲外ですね!

だらしなく聞こえやすい音!

 人に会う機会が少なくなり、話す機会も少なくなっていますね。現在はNET検索が音声入力ができるようになっており、発声練習に使っても良いのですが、単語入力が主力ですので、あまり発声の練習にはなりません。あとは、音声での文字おこしもあり、こちらは長文でも大丈夫です。何らかの工夫が必要ですね!

「思いやり」は自分に戻ってくるもの!

 自然に自分の中から出てくる思いやりと、世渡りのための思いやりが混在するのが世の中です。オレオレ詐欺には「やさしさ」を利用するものもあるようです。この二つを見分けながら、世渡りをすることが必要です。同じ人でも、この二つを使い分けている場合もあるのでしょう。どちらにせよ対応ができる準備をした上で、「自然に自分の中から出てくる思いやり」として、付き合いができる心構えができると良いのでしょうね。

イライラの原因は何か?

 現代はストレス社会ちっても言い時代になっています。SNSなどで簡単に情報発信ができるので、ストレスをかかえている人は、批判情報を簡単に発信できますね。また、マスコミですら批判情報を発信ることがあるので、「批判上を発信しても良いのだ」と思ってしまいます。
 修行して「どう思われてもなんでもない」という境地にたどり着けると、周囲に対して、やさしく親切な行動が、何気なく出来るようになるのでしょうね!

栄養過多が感染症を誘発するのでは!

 病気のとき食欲がなくなるのは、病原菌に栄養を与えないという面もあるのですね。また、食べ過ぎや食べ慣れない物を食べると、からだに不調がおき、病気にかかりやすくなるという面もあるのですね。ある孤島では、日ごろほとんど芋しか食べないとことでは、その環境に応じた腸内細菌が構成され、からだに必要な栄養を腸内細菌がつくっているとか。
 はなしは変わりますが、新コロナウイルスは油膜で覆われているそうです。石鹸で洗えば、ウイルスの油膜が壊され、死んでしまうそうです。水洗いより、石鹸洗いを丁寧にやるとよいようです!

玄米は子どもの胃腸にかなりの負担!

 玄米食はからだに良いそうです。でも、玄米食が食べられるようになったのは、比較的最近のようです。その理由は、燃料代がかかるのが一番の理由だそうです。江戸時代に1人が1年間に使う燃料は、20年育った木を10~20本使っていたようです。
 多くの料理は火を使います。そして料理は、ヒトの口や消化器官に適合するように加工し、食べるものの種類を増やしてきました。その結果、動物の頂点に立っています。他の生物にとっては、やはり迷惑なことなのでしょうね!

テンパってしまって、いじめてしまう!

 親から受ける暴力が問題になっています。親の子供についての「思い込み」が問題のようです。また、現在は核家族が多く、親を指導する人は役所頼みになっているようです。
 子供が、自由気ままに遊べる環境はほとんど無くなってしまいました。子供の事故によるケガや死亡は少なくなっているのですが、子供の自由もまた少なくなってしまいました。
 そして、答えが一つしかない100点主義の教育で育った親は、子供への対処方法も一つしかないという思い込みで、子供に対応しているようです!

肌の若さを保つユズ!

 健康の維持は、できるだけ天然の食べ物で保ちたいですね。実生の柚子(接ぎ木ではない実生の柚子)は、東北以南で広く栽培され、花言葉は「健康美」。ほとんど消毒の必要がなく、無農薬栽培が比較的簡単にできることが特徴です。柚子は果皮に栄養素が多く含まれているので、無農薬の柚子は「健康美」につながるのですね。
 輸入品の果物は日本では栽培できないものが多く、発芽しても収穫までは到底不可能で、種子が発芽しても、その種子はその果物や野菜の性質をそのまま受け継いではいません(味がイマイチとか、実が大きくならないとか、病気に弱いとか)。そのため食べても美味しく無いのでしょう。また、からだに良いとは思えないですね。やはり、地産地消なのでしょうか!

野菜には機能性成分が含まれている!

 植物は移動できないため、その場所に適応するための進化をしてきているのですね。害虫や有害物質、紫外線、あるいは水分量など、その土地に合った進化の歴史ですね。
 ヒトにおいても「地産地消」という言葉が日本にはあります。
 米国ミネソタ大学医学部の教授だったM・J・マレイ博士は、1975(昭和50)年に飢饒のサハラ砂漠を訪れ、遊牧民に食料を与えたところ、「しばらくして、突然にマラリアやブルセロージス、結核などの感染症が起こってきた」ことを経験したことから、「栄養過多が感染症を誘発するのではないか」、「我々が食べる食物中の栄養素は我々の体の維持よりも、病原菌の分裂・増殖の方にむしろ利用されるのではないか」と考えるに至ったそうです。
 やはり、ヒトにも地産地消が有効なのでしょうね。もしかしたら、日本で収穫されたものを食べると、新コロナ感染対策として有効だったりすることもあるのでしょうか?

「ありがたい」という感謝の言葉!

 「ありがとう」という言葉、このような社会が苦境に立っているとき、心を込めて積極的に使いたいものです。クルマを運転しているとき、横断歩道で待っている人がいれば、一時停止し渡らせてあげたとき、会釈してくれると、運転する側も、渡った側も、その一日、気分が良いものです。
 感謝の言葉、もっといろいろと増やし、表現を豊かにしたいものです。表現が豊かになると、気づくことももっと増えるかもしれません!

目標に対しさまざまな要素が入り混じった思考!

 大人になると「いま」を大切にしたいものですね。「いま」を、ありのままに、洩れなく、自分の思い込みを捨て、現状を把握し、対処が出来れば、良い人生になるのでしょう。
 経験を重ね、知識が増えてくると、「思い込み」が成長し、その思い込みに支配されるようになると、現在の状況の一部しか見えてこないし、見ようとしないですね。
 経験や知識に頼らず、ありのままに状況を把握していくことは、かなり難しいことですね。そのために「禅」などの修行がつくられたのでしょうか!

五十代以上の方は玄米菜食を中心に!

 玄米食は、からだには良いようなのですが、玄米食は近年になってからのようです。その理由は、玄米を炊くには多くの燃料を使用しなければならなかったためだそうです。
 現在は電気・ガスなど、燃料を手に入れることが楽になったので、玄米を炊くようになったのです。ということは、からだには良いのですが、炭酸ガスを多く出しているということ、ちょっと気になりますね。
 江戸時代の1年間に使用する燃料は、20年育った木材を一人あたり10~20本使っていたようです。いまの私たちは、20年ものの木材に換算すると、何本ぐらい使っているのでしょうね!