| 子供の小遣いを幾らにするか、やっかいな問題です。置かれている状況によりそれぞれなのでしょうが、具体的に決めるのは難しいですね。子供が我慢できる程度、ということなのでしょうが。 家庭菜園があり、トマトやキュウリ、それに果物などがあると、それらがおやつ代わりになり、小遣い(お金)にあまりこだわらない状況ができます。 それに家庭菜園で獲れたものは、多少見てくれが悪くても、「もったいない」という気持ちが湧き、食べてしまいます。これも地球環境を保つには良いこと、子供に環境保護を引き継ぐことが出来ますね! |
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あなたには自由な道を歩んでほしい!
午後2時ごろ強い睡魔に襲われることが!
「正しさ」とは「自分の都合」にすぎない!
| 自分が正しいと子供のときから主張しながら育ちます。しかし、なかなかそれが「自分の都合からくる主張」だとは気がつきません。なぜなのでしょうか? これは大人になっても変わりません。ただ、主張の頑固さの程度は風土によって違っているようです。 日本は自分の主張にそれほど強くこだわっていないようです。それは、災害の多い自然環境から学んで来たのでしょうか。 台風、地震、津波、火山噴火、干ばつなど、予測がつかない自然災害が多く、なかなか論理的には対応できなかった環境の中で、なんとか対応していかなければいけなかった。その結果、自己主張より、今置かれている環境の中で、何をしなければならないか、という命題の中で生き続けてきた結果なのでしょう。 ただ、日本でも都会暮らしの人達は、どちらかというと自己主張が強いようです。これも自然環境の違いなのでしょうね! |
休眠から目覚める仕組みは?
| 植物は、条件さえ揃えば芽を出すと思っていましたが、そうでもないようです。多少条件が異なった環境で発芽することで、色々な場所で生き残こってきたのですね。 ただし、人間が植えている植物は、人間の都合で、同じ条件で発芽するように改良しています。このため環境の変化が起きてしまうと、今までの植物は植えることが出来なくなってしまいます。環境変化に対応できるまでは、食糧危機になってしまいますね。 環境の変化が激しい時代に対応するには、大量生産・大量消費は大変危険な考え方になる可能性があるようです。 近いうちに、秘境で暮らす人達から、多くの学びを得なければならない時が来るのでしょうか。単に暮らし方だけでなく、何代も続く体質づくりも学ばなければならない時が来てしまうのでしょうか。産業革命以降の資産を捨てて! |
防寒の準備は大事!
| ヒマラヤに登っている人達で、指を失ったなどの報道を目にします。しかし、防寒対策はつい簡単な対応で済ましてしまいます。自分はヒマラヤには行かないので安心しているのでしょうか? それとも、極度の寒さを体験しないと考えないのでしょうか? ヒトが数十万年生き残ってきたのは、生命に関わる危険な環境でも、それほど怖さを感じないようにすることが、生き残り作戦としてより有効な結果を出しているようです。というより、危険をあまり感じないヒトが生き残ってきたのでしょう。 いま蔓延しているコロナウイルスも、感染力の増加や重症化へのウイルス変異の可能性がある中で、「感染の恐れに対する不安の強弱」は、ヒトの生き残りにどのような結果をもたらすのでしょうか? |
落ち込んだときに立ち直るコツ!
| どうしても苦手な人がおられます。どうしていますか? 攻撃的になっていませんか? むかしは「おべんちゃら」といって、口先だけで御機嫌をとろうとすることをいいました。あまり印象が良いとは言えない言葉ですが、これも人付き合いの智慧ですね。 よく「気持ちが落ち込んだとき、表情だけで良いので笑い顔をつくりなさい」と言われています。表情が笑顔になると、気持ちをリラックスさせる物質が分泌されるようです。これと同じで、イヤな相手と会うとき「楽しみにしていました」と言ってみると、イヤな気分が薄れてくることもあるのでしょう。 相手が喜ぶ演技を、どんどんレベルアップして、最高のシナリオをつくり続けましょう。そして、どんな人でにあっても、自然に気分良く接することができるようになると良いですね! |
強く穏やかに生きていこう!
| 強く穏やかに生きていくことを目指すこと。出来ると良いのですが、これを自分の論理だけで実現することは大変なことです。 日本の風土は、出来損ないを認め、曖昧に生きることを認める風土があります。この風土を無視し、自分の考え方しか認めない時代は、日本においては戦いに明け暮れた時代ですね。 現存する日本最古の国が編集した「日本書紀」ですら、朝廷の成立はAが正統だが、Bもある、Cもある,Dもある,というように、国家が、曖昧さを許容しています。そんな国は世界中どこにもないようです。 日本書紀より古い聖徳太子の十七条憲法の最後の17条目には「物事は独断で行ってはならない。必ず皆で適切に議論しなくてはならない。とくに重大な案件については判断に過失・誤りが無いか疑い、慎重にならなくてはいけないので、皆で議論する必要があるし、そうしていれば(自ずと)道理に適った結論を得ることができる。」と、もとになった中国のものにつけ加えています。 自分の論理では補えない世界があることを、大昔から感じていたのですね! |
神社に参拝するとき!
| 正月は神社にお参りすることが多いですね。治承5年(1181年)に源頼朝が鶴岡若宮に参詣したことが初詣が広まるきっかけになったとの指摘もあるようです。 いつのころからか、生きている間の願い事は神社、亡くなってからはお寺にお世話になるとなっています。 お寺には、あらゆる病に効く薬が入った薬壺をもっている薬師如来、薬は生きている間に使うものです。死んだあとに救済するのではなく、この世で利益を授ける如来として人気を集め、飛鳥時代には信仰が広まったのですが、新コロナが伝染している今、お参りに行く人はそれほど見かけません。 仏教は本来、生きている人を救っていたようですが、今はなんとなく、生きているときの願い事は神社になってしまったようです。新年はやはり神社にお参りですね! |
生活の快適さはなかなか放棄できない!
読書が成長と結びつかない!
睡眠がうまく取れない!
豊かな人生とは物質的豊かさ?
冬至の日には、ユズ湯に入る!
落ちぶれた時にだけは平等を望む!
自然の理に逆らっていない土地をさがすのは大変!
| 土砂崩れが多くなっています。斜面を崩し、低いところを埋め立て、大規模な団地を造ってきました。クルマを通すため、傾斜地を削り道路を造っています。自然のままなら土砂崩れを起こさないところでも、開発により土砂崩れを起こしてしまいます。 現在の法律は、車が通れないところには家を建てることは出来ません。そのため、どうしても斜面を削り、道路をつくざらるをえません。これも土砂崩れを誘発する原因になっているのでしょう。 現在の技術では、道路に頼らず斜面エスカレーターでも対応できると思われます。エスカレータの屋根に太陽光発電パネルや電気配線を設置し、床下には上下水道を配置し、所々に消火栓をつければ、クルマ用の道路がなくても生活可能と思われます。 エスカレーターの下に商店街や公共交通機関などがあれば、かなり便利になると思うのですが。それに元気なうちは、エスカレータを使わずに階段で上り下りすれば、健康にも良いのでしょうが! |
自分なりの人生哲学を身につけること!
自分の意見を堂々と主張!
| 自分を主張しして成果を上げながら、社会の中で生きていくには、それなりの能力が必須です。その能力がある人と、それが少ない人との間には、どうしても格差が生まれます。 旧来の日本は、その欠点を重要視し、その対策として「年功序列」という方式を社会に取り入れてきました。 しかし、海外との取引が増え、同時に能力主義が社会の中で重要と考えられるようになってきたため、旧来の年功序列方式は難しくなりました。 ただ、能力というものは、ほとんどの人が限られた部分でしか発揮できません。すると、社会が変化、あるいは、技術が変化するなど、環境が変化してくると、その変化についていけなくなる人が出てきます。 新コロナの影響で社会が変化するときが来てしまい、今まで評価された能力が、これからも有効であったらよいのですが! |



















