大成功してしまったが、後が怖いなア!

 日本の武将のお墓が高野山に数多くあります。生前の行為に対する罪滅ぼしなのでしょうか?

 鎌倉もそうですが、武将がお寺を多く建立しています。これらもある意味、悪いことをしたということに対するお詫び、また、自分が地獄に行くことを避けたいためなのでしょうか?

 よく言われることですが、「悪いことをしていると自覚しながら、悪いことをするのはまだ良い」、最悪は「良いことをしていると思って、悪いことをする人」と言われています。

 プーチンさんは、「良いことをしている」と思っているのでしょうね!

江戸の身近な菓子は饅頭だった!江戸の身近な菓子は饅頭だった!

 饅頭には面白い話しがあるのです。諸葛孔明が、荒れ狂う川を鎮めるため、人の生け贄がいるとの話を聞き、人の代わりに、大きな人の頭に似た饅頭をつくり、川の神にささげたという話など。
 いまでは温泉饅頭のように、おみやげの饅頭が多いのですが、食べ物にお話がプラスされると食べる楽しみが増えますね。
 「きびだんご」にプラスされた「桃太郎の伝説」のようになると、長い間、商品としても価値を保つことができます。
 もっともっと増えていくといいですね!

地に足の着かない生活!

 一定の形を保って生きていると、そのパターンで売り込みやお願いをされると、ついついOKしやすいようです。この形の多くは、教育でなどつくられるのでしょう。また、宗教などでもつくられるのでしょう。
 歴史だけでなく現在でも、国民を従えるために、教育や宗教を利用し、情報統制をして支配しています。
 歴史で残されている文献などのほとんどは、勝者側の視点で書かれており、歴史学者は文献を分析し、教育に利用しています。
 お寺や神社などが造られた経緯も、立派なことをした、という視点で書かれています。でも、自分が非常な残酷なことをしたきたので、その罪を許してもらうために造営したとは、書かれていません。
 小説も、残酷なことをした人でも、英雄扱いで書かれています。そうしないと売れないからでしょう。
 ということは、一般的な人は、残酷なことは見たくないし、早く忘れたいのでしょうね。感動できる部分だけ見たいようにパターン化されているのでしょうか?

時は金(かね)なり!

 みんな時間は平等だと思っていませんか? でも、頭の中を流れている時間には違いがあるようです。
 これは特別な例ですが、自分が本当に命を落とす危険があると感じたとき、時計の1秒が、10秒くらいにゆっくりと流れます。おそらく、危険な状態を抜け出す方法を見つけようとしているのでしょう。
 これは特別な例ですが、一級レーサーの人達は、一般道でのクルマの運転の時は、まるで散歩をしている時のように、ものすごくゆっくりと時間が流れているようです。
 アタマの回転が早い人は、情報の処理の能力がものすごく早いのでしょう。その情報処理能力を、思い込みを深くする方向でなく、範囲をどんどん広げて行く方向に向けてほしいものです。
 どこかの独裁者のようにならないために。

食料の豊かな地域でも農業を受け入れたのか!

 戦争の原点は、種子の食べ方(料理の仕方)を見つけたこと。種子は、生きたまま眠り続けるので、貯蔵ができます。その結果、食べることができる種子は、富になりました。狩猟時代のように、食料が余れば分け合っていた時代から、余れば貯える時代になりました。そして、たくさん食べられる種を貯蔵している人が、力を持つようになったのでしょう。そういった力を持つ人に、分けて貰うチャンスを増やすため、日ごろからご機嫌を伺うようになり、尊敬されるようになったのでしょう。尊敬されると、気分が良くなる物質が分泌されるのか、より多くの種子を貯え、言い寄ってくる人(部下)に分け与え、いい気分になったのでしょう。これも生きるための本能なのでしょうか!

日本人の体温は50年前に比べ、0.7℃下がった!

 病気は、検査機器で測定し、そのデータを見て判断する時代になっています。漢方は、50年とか100年も人体実験(征服した人達を実験に)をし、症状を観察し、薬を見つけ出したようです。当時は体温計すらない時代でしたので、病人の言葉、触った感覚などで、薬の効果を判断していたのでしょう。
 ところで、症状を伝える言葉は、なかなか整理されていませんね。方言の中には特有の痛みを表現する言葉があるのでしょうに。いま思いつくのはのは、「はしる」、「にがる」ですが、きっともっとたくさんあるのでしょうね。インターネットでの診断が普及すると、症状を伝える言葉が整理されるのでしょうね!

人生とは、止(とど)まることのない変化である!

 青春時代の頃から、誰かをマネし、成長していく時代に入ります。その時代、周りにどのような人と出会えるか、そして、どの程度マネできるか、人生を大きく左右していくようです。もちろん、独特の創造性を持った人もおられるでしょうが、そう多くはないのでしょうが。
 ただ、どこかで単なるマネから脱して、自分流を持つことができる時代がやってくると理想なのですが、なかなか厄介ですね。
 というのは、独自性より、自分の都合の良い情報のみ収集しはじめ、どんどん「思い込み」を溜め込み、それを自分の個性だと思ってしまうことがあるからです!

民主主義の最大の欠点は誤導された世論!

 民主主義は、投票で決まっていきます。しかし、その背景には、教育も含めた情報操作があり、民意に大きく影響します。
 京都の言葉で、単語の意味通りに解釈してはならない場面もあるそうです。
 古くからの政治の中心都市京都、言葉遣いに苦労してきた結果なのでしょうか?
 地域の風土の中には、上からの命令に従っているフリをしながら、実際には、自分達のやりたいことをやれるように、工夫している地域もあるようです。
 ロシアもそのような風土づくりに取り組んでほしいものです!

本当の自分の気持ちを見極めること!

 幼い時は、できるだけ自然環境の中で生活することが良いのでしょう。自然環境が、生物としての基本的な生きる機能を、身につけることができるのでしょう。
 多くの生物は幼い時に、その生物としての生き方を学んでいます。人間も同じなのでしょう。
 しかし、先進国の人々は、過ごしやすい環境で、言葉を基本とした教育を受けています。動物としての学びが少なくなっています。
 子供達が育っていく場面も、言葉による情報がほとんどの部分を占めており、なかなか自然から学ぶ環境がありません。
 いろいろな精神的な障害も、背景にはこのような問題があるのかも知れません。
 危険察知の能力が身についていないこと、これが一番心配ですね!

日本の大学の多くはムラ社会!

 有力者を頂点とした序列構造を持ち、古くからの秩序を保った排他的な社会を「ムラ社会」というのですが、この制度はなかなか崩れないようです。
 ネット社会で、もっと横のつながりが広がるかと思っていたのですが、同じような考え方をする人がつながっているようで、組織の枠を越えたという面では広がっている面もあるのでしょうが、思考という面では、広がりが少ないようです。
 もちろん、日本の中でも地域の風土差があるのでしょうが、もっとゆるいつながりが思考の面でも広がると、独裁的な指導者の防止に効果的なのでしょうが!

いかなる心境で選ぶか!

 柔軟に外からの刺激・情報を受け取ることが出来るか、そして、自分のエゴ、意地、思い込みの影響を受けないで、無心の心境で判断が出来るかどうか、これができるようになった人が、悟った人なのでしょう。
 現在のように、知識・情報が飛び交っており、そのなかには、個々人の思い込み情報やフェイク情報もあり、またそれにAIまで絡んできているので、それらの情報が、プラスになっているのか、マイナスになっているのか。判断することは大変ですね。
 むかしから、悟る方法はいろいろ開発してきたのですが、新たな悟りの方法も開発されなければならないのでしょうね!

心の養成には、ぜいたくをしろ!

 「虚栄の心」「偽善の心」「嫉妬の心」、これらの自分の内にある心には、なかなか気がつかないもの。これに「小心」が加わると「自己保全の心」がどんどん強くなっていきます。
 歴史を見ると、独裁的なリーダーには、小心者が多いようです。というより、優秀な小心者でないと独裁者にはなれないようです。世間の評価は、このような人を高く評価するようですね。
 「曖昧な人」「いいかげんな人」は、世の中を平和に保っているのですが、世間の評価は低いようですね。
 人の基本には、「自分達が争いに勝つ」を高評価する、という性質があるのでしょうね。戦争だけでなく、競技もそうですね!

すぐに「キレる」人が増えている、と!

 すぐキレる人が増えているようです。社会全体が、正解を求めすぎているのでは、と感じることが多いようです。それも「一つの正解しかない」と思い、その一つの正解から外れると阻害されることになり、その阻害された人はキレることになります。
 「正解はほんとうにひとつしかないのですか?」、視点が変われば、「正解も変わるのでは」と思うのですが。
 もっと「曖昧」を許容する世の中であってほしいですね。曖昧が許容される社会は、極端な独裁者が現れることもなく、ある意味、いいかげんな政治も許容され、ゆるやかな社会になると思うのですが!

一目惚れとは免疫力の見抜き!

 さまざまな状況に応じて、からだの内部状況を一定に保つからだのしくみ、適正に機能していますか?
 先進国の多くは、人工的なしくみが発達し、エアコンや予防注射などを利用するようになっています。
 SDGsで「持続可能な未来を築く」ことが叫ばれています。できるだけ人工的なしくみに頼らず、生命体としてのヒトのからだの対応力の向上も必要です。しかし、この部分に関しては、どんな取り組みをしているのか、わからないですね!

相手や状況に合わせてコントロールする能力!

 牛丼チェーンの吉野家の常務が、大学の社会人向け講座で「生娘シャブ漬けの戦略」の話をし、「人権・ジェンダー問題の観点から到底許容することのできない職務上著しく不適任な言動があったため」との理由で解任されました。
 相談gotoの場面を除くと、あまり相手のことを考えて、発言していないことがありますね。自分が言いたいことを、ただ言って終わり、ということが多いですね。無意識に、国会での野党の質問をまねしているのでしょうか?
 まず、きちんと聞く、という習慣ができている人は、話すときも、ワンテンポ置き、相手のことを気にかけながら話しているのでしょうね!

人間は手を使ったから進化した!

 現在「知識」というもののほとんどが、経験を伴っていないものになってしまいました。いろいろな知識を、発達した頭脳で処理し、解ったつもりで生活するようになりました。
 そのためか、感覚が鈍くなっているようです。食べ物でも、ニオイで食べることが出来るのか、出来ないのかは、ある程度は判断できました。また、腐っているかも?、と思うと、口に少しだけ入れ、おかしいと感じると吐き出ていました。
 これが出来なくなってきているのは、ヒトの生物としての劣化なのでしょうね!

穀物を主食にしたのが1万年くらい前!

 糖質制限など、健康志向で食べ物に気を使うことも多くなってきています。健康食品も増えており、「からだにいいですよ」というものが目につきます。
 しかし、気になることもあります。「健康に良い食べ物」、「快適な環境」など、ヒトが快適に暮らすことが、生物としてのヒトの進化に貢献するのかどうか、言われることはないですね。
 地球環境の悪化、新たに生まれるウイルスなどへの、ヒトの対応力は、ヒトの生物としての対応力を変化させなくても、乗り切れるものなのでしょうか。細胞の対応力より、きっと意識の変化で乗り切れる、と信じましょう!

歴史の陰には謎の死が後を絶ちません!

 歴史の景には、謎の死を遂げた例がたくさんあるそうです。また、古代中国では、自ら不老不死の薬として水銀を含む薬を飲んでおり、秦の始皇帝や漢の武帝が丹薬の副作用で死んでおり、唐の時代には皇帝21人の内6人は水銀中毒だったそうです。
 「この薬はは効果がありますよ」と言って、毒薬を進める医者(専門家)がいると、やはり、それを飲んでしまいますね。
 「これはパーキンソン業に良く聞きますよ」と、だれか?に勧める人が出てくるかも知れませんね!

いざこざは、相手のせいだ、と!

 いざこざが起きると、「相手が悪い」と考えるのが普通です。なかなか「自分が悪かった」と思えないものです。これは、現在起きているロシアのウクライナ侵略戦争においても同様ですね。ロシアは「相手が悪い」と言い続けています。
 どうしたら、「自分が悪い」と思うようになるのでしょうか? 難しい問題です。
 自分の思い込みのからつくり上げた正義、これは、論理的な思考をする人には、改めることが難しいのでしょう。もっと「いい加減」・「曖昧」を許容し、穏やかな社会であってほしいですね!

固定観念から解放されよう!

 「本は害になる」と言う人もおられます。これは、ある一面を表現しているのでしょう。
 その理由は、自分で本を選ぶ場合、やはり自分が興味がある本を選んでしまいます。これが永年続くと、固定観念が出来上がってしまい、その枠から抜け出すことができなくなる人が出てきます。
 そうなってしまうと、「本は害になる」と言われても仕方ないですね!