「自分は無力だ」と気づきながらも、社会に対し「少しは貢献できている」と思うことが出来れば、良い人生を送ることが出来るのでしょう。そのように感じている人は、顔つきが穏やかになり、見知らぬ人からも会釈されるようになるようです。不思議ですね!
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「人を見て法を説く」という!
相手を説得するとき、男性は理屈で説得しようとします。しかし、理屈は万国共通ではありません。宗教によって異なる場合もあります。例えばユダヤ教やキリスト教文化の地域では、人間の祖先はアダムとイブで、類人猿ではありません。「猿から進化した」は成立しません。大原則ですらこのようなのですから、細かい部分では、地域によって異なることもかなりあるのでしょう。理屈に比べれば、「笑顔」は世界共通なのでしょう!
人に好感を与えるための基本!
特定の要件で人と会うときには、服装の色に注意が必要です。表情や顔つきでも判断しているのですが、第一印象は、どうも服装の「色」のようです。そのためか、夢に色が出てきて、その色がバランスが崩れていた場合は注意が必要とのことです、その次に表情、「笑顔」のようです。笑顔は口元も大事ですが、目がほほえんでいるかどうか、これがやはり大事なようです!
人間関係を持続させたい!
人間関係づくりが、下手になってきているようです。これは人類初の出来事「核家族化」の影響もあるのでしょう。小さなときから、狭くて少ない人達の間で育ち、しかも兄弟も少なく、年の離れた上(親や先生達)からの指示で動くことが習慣になり、(自然の中で)自分で判断する経験が少なくなっています。また、教育の発達で100点を取ると、同年代の関係の中でも上位に立つようになっています。組織の運営は上下関係があったほうが安定するのでしょうが、組織を離れると同等の人間関係のほうが楽ですね!
ただ単に大声で訴えても!
「大声」で話すときは、おそらく自分に自信がないときなのでしょうか? もちろん、多くの人に伝えるときには大声を出します。しかし、2~3人程度のときに大声を出すのは、「威圧」しようと思っていることが多いのでしょう。筋の通った説明ができないため、しかし、なんとかやらせたいため、大声になりやすいのでしょう!
人間的なバランス!
十代後半から、「精神的に大人になるのは35歳までに」という意識があれば、若いときの思い上がりがもっと少なくて済んだことでしょう。二十歳になると、もう大人(精神的にも)と思ってしまい、他人の意見に耳を傾けることが、少なくなってしまいます(もちろん謙虚な人もいるのですが)。若いときから謙虚な人は、どんな危機的な社会であっても、冷静な判断ができるのでしょう!
肉体的な疲労は声に迫力を欠く!
迫力を持った声を出すには、体調が大きく影響します。実力がまだ未熟な若者は、周りの大人達と、声で同等に(無意識)なろうとします。そのため、大きめの声で話します。また、落ち込んだとき、元気がないときなど、カラオケや何かしらの応援に行って、元気を(無意識)取り戻そうとします。この特性が現在の新コロナ感染対策に弊害を起こす一つの原因なのでしょうか?
「存在感」は赤ちゃん時代の母親とのスキンシップ!
人の性格は、幼少期の母親との関係や、育った地域の風土が大きく影響するようです。育った地域の近所の大人達が、両親や子供達にどのように接する風土かで、それを見て育っていく子供達は、社会との関係の作り方を学んでいきます。その体験が生きてくるのは、知的に大人になる25歳くらいからでしょうか。青年期には、一度はそれまでの体験に反抗する時期もあるのでしょうが、ほんとうの大人になっていくようになると、その性格は、母親(両親)や地域風土の影響がでるようになると思われます!
きちんと「ありがとう」と言う!
ちょっとしたことでも、何かしてもらったら「ありがとう」と言いましょう。この繰り返しが、自分を見つけることにつながります。自分を見つけるということは、人が「自分の、どの能力を評価してくれているか」、これが自分を見つけることなのでしょう。人から評価してもらっていることを、人にしてあげ、その結果ほんとうの「ありがとう」と言ってもらえることが、自分を見つけることになるのでしょう。自分がやりたいことは、必ずしも自分を見つけることにはならないのでしょう!
「性根が腐っている」と言わなくなりました!
最近は「性根(しょうね)(行動・言葉などのもとになる、根本的な心の持ち方)」という言葉を聞かなくなりました。「性根が腐っている人(ばからしきほどあどけない人)」が、目立つようになってしまったようです。SNSの普及で、批判的な書き込みを見た人が、オレも、と、余り考えないで書き込んでしまい、拡散するのでしょうか? 書き込みをした人が分かれば、それなりの批判を受け、世間的な制裁になるのでしょうが、現在は厚い壁があるようです。しかし、他人に害をおよぼすようですと、やはり対策が必要なのでしょうね!
体に触れると親密感が高まる!
「体に触れると親密感が高まる」という事実がありながら、日本の挨拶の文化では、「握手」はありません。今回の新コロナウイルスの感染の広がりで感じたことは、日本の歴史の中で、伝染病の感染が多く、その対策で「握手」を止め、「会釈」をするようになったのでしょうか? 疫病の広がりを抑える御利益がある神社が多くありますが、免疫力の30%程度は精神的なものの影響があるので、神社に祈ることも、効果があると気がついていたのでしょうか?
“自分さえよければ”と!
いまや、「法律さえ守ればよい」が最高のマナーになった感があります。むかし商売の町では、「法律は最低のマナーだ、商売をやるなら、もっとよいマナーを目指すことが必要だ!」とされていました。小さな八百屋さんは、売れ残りそうな野菜があれば、お客さんに丁寧に料理の方法を教え、買ってもらっていました。そのため廃棄される野菜が大変少なかったのです。これは、お客さんへのマナーにとどまらず、社会に対するマナーでもありました!
互いに生きていくために家族がある!
群で生きる動物は、集団内でのルールを持ち、協力することで生き残ってきた。人間も、本来は集団で生きる動物、それが、豊かさを手に入れたためか、核家族といわれる3~4人の集団で暮らすようになった。そして、社会においても、年功序列というしくみが消えて行き、組織への帰属という意識も薄くなった。その結果、集団としての生存能力弱くなっていっているのでしょうか? 大きな災害があったとき、集団の力が弱いと生き残れない、ということも起こるのでしょうか!
生身の自分をぶつけ相手のフトコロに!
「断り上手」、「断られ上手」になれると、人生を気楽に過ごすことが出来るのでしょう。そのためには、子ども時代に、出来るだけ多くの大人とつながりがあると良いですね。また、子ども同士でも、昔のようにガキ大将がいて、年齢の違う子ども同士で遊ぶ場があるといいですね。核家族になり、同学年で遊ぶようになり、いつの間にか、人類が集団の中で生き残る術を磨いてきたことを失いつつあるようです!
「あなたなら大丈夫」とプラスの方向で!
「悩んでいるとき」、「落ち込んでいるとき」などは、まず聞き役に徹することでしょうか。そして、一段落してから「○○さんなら大丈夫ですよ」と声をかけるのでしょう。「ああせよ」、「こうせよ」というのは、良いことはないのでしょう。これは、子どもに対しても同じなのでしょう。アドバイスは必要なことでしょうが、押しつけは良いことはないのでしょう!
口は、食べるだけでなく、話す役割も!
“口”は話すという役割があるのですが、ネット社会では”指”が変わりをしています。ただ、音声認識が進歩してきたので、また”口”がその役割を取り戻そうとしています。日本語は同音異義の言葉が多いので、誤変換で「口は禍のもと」にならなければよいのですが。面と向かって話すのであれば、表情やその動作で、正しい解釈ができるのですが!
わだかまりが蓄積する!
声をかけた相手の反応が悪いと、ついつい“イラッ”としがちですね。これを直すには、いろいろな知識を仕入れ、いろいろな人と接触を重ねていくことなのでしょう。そして、人を評価することを止めることができるようになると、ストレスが少なくなっていくのでしょう。多彩な雑学を蓄積していくと、いろいろな見方が、無意識のうちにでくるようななつようです!
助けるという行為!
考え方が似ていると、あるいは、環境が似ていると応援したくなります。性格は育った地域も影響を与えるようです。県民会とか同窓会なども、その出身者になんらかの似た部分があるからでしょう。東日本の出身者と西日本の出身者も、日ごろは意識していないのですが、やはり違いがありますね!
人間関係は鏡のようなもの!
今の子供の多くは、人類の歴史上、外で遊ぶことが最も少なくなっているようです。これは、「人類が生き残ってきたノウハウはもういらない」という判断を、行った上で選択した結果なのでしょうか? 子供時代に、五感を通じた情報処理の基礎を訓練し、右脳と左脳のバランスをうまく調整し、環境に適応できたから、数十万年の歴史をつくってこられたのでしょう。恐竜(鳥たち)の歴史には及ばないのですが!
集まるとうまくいかないんだろう?
人は、なぜ優越感を持ちたがるのか? やはり、集団の中で子孫を残す上で、メリットがあったからでしょう。特に、男性陣が狩猟してきた食料が、充分ではないときに、どのようにしてその食料を手に入れるか、というとき、優先順位が必要だったのでしょう。どの時代でも、強弱はあるにせよ、優先順位は消えることはないのでしょう!