昔の木造家屋はマイナスイオンを増やす!

 昔の建物は、自然に適応し、自然の効果を生かす工夫がありました。昔の家屋はまだ残っているので、いろいろな研究ができます。
 また、現代の建物に取り入れる工夫も、少しづつ生まれているようです。

 昔の子育てにもいろいろと工夫があったようです。ガキ大将が、いろいろな遊びを教える中で、安全を自分達でどのように確保していくか、大人に聞きながら、自分達で考え、また、小さな子供達に分かるように、体験しながら教える知恵がありました。
 この知恵は、単に教わるのではなく、自分で考え、テストし、対策をつくり上げていました。
 しかし、こんな体験をした人は、どんどん少なくなっています。また、核家族化し、孫達に伝えることもなくなっています、積極的に取り入れる子育て組織もあまりないようです。
 数十万年の人間の子育ての歴史が、消えてしまうのでしょうか!

尾道 花崗岩で出来た大石門をくぐり延命「持光寺」

持光寺の石の門(延命門)
 「ええ門は福善寺、かたい門は持光寺」…童歌までに唄われた同寺の門はそのものズバリ、主体だけ17個からなる花崗岩を組みあわせトンネル状に築きあげた石の門。これだけの石を据え微塵の狂いを生じていない。
 付近の古老のはなしでは、門の上に柱をたてるためのものであろう穴が数個あったと聞かされ、梯子を借りて屋根まで登つたが、薄くセメントがはられ穴の確認はできなかつたが、おそろく天寧寺などで見られるように鐘楼門にする計画であったのが石の基礎だけ出来あがったところで挫折したのであろう。

知っていますか? 会社の窮地!

 NET社会になり、NET中心のビジネスの形態が新しく生まれてきております。
しかし、まだその形態は安定していません。老舗と言われるようなビジネス形態は生まれてくるのでしょうか?
 能力主義といわれている昨今ですが、この能力といわれているものは、個人能力のようです。しかし、ビジネスでの能力は、組織としての能力です。一時のことなら、個人の能力で大きな成功を摑むこともできます。が、長期に渡り組織の繁栄を維持して行くには、組織としての能力を高めていく必要があります!

厚木 イチョウの古木が残る「荻野神社」

 当社は 旧荻野村の中央に位置し祭神は 大己貴命、配祀は素戔嗚尊。

 創立年は不詳 1687年再興し自然石をご神体とし牛頭天王を合祀し石神大明神と称した。1870年に荻野神社と改称された。
 1591年 徳川家康より社領に三石の朱印を附せられ1873年に郷社に指定された。
 境内は約七百坪で御神木の大公孫樹を中心に構成する一大高森は荻野郷総鎮守に相応しい様相を呈している。

西欧の大航海時代、オスマン帝国の存在!

 歴史は「お金の流れ」で、調べ・考えると理解しやすい面があります。
 武器などの軍事物資も、基本的には貿易です。古くなった武器についても、自国で処分するより、戦争をしている国々に売却すると、儲かると同時に、武器の処分費も不要になります。アメリカの南北戦争で余った武器も日本に流れてきています。
 そして、自国の優位性を永く継続していくために、宗教を利用します。宗教家も儲けるために、武器も取り扱います。
 お金の流れで、歴史を考えてみましょう!

鎌倉 もとは泰澄山瑠璃光寺ともいった「寶善院」

 宝善院(真言宗大覚寺派)は、加持山霊山寺・泰澄山瑠璃光寺という2つの山号寺号をもち、院号が宝善院。
 開山の泰澄は、「越の大徳」(越前(福井)・越中(富山)・越後(新潟)で並ぶ者のいないほどの徳の高い僧)と呼ばれていた。加賀の白山を開いた人物。
 江戸時代には、この寺の僧が龍口明神社の別当に任じられたこともある。
 村人の信仰を集め栄えたが、明治の神仏分離によって、静かな寺となった。
“越の大徳” 泰澄大師の十一面観音伝説がいきるお寺さん腰越にある真言宗のお寺さんです。腰越の海近くの山裾にあり、とても静かで清々しい空気があります。白山信仰の神の山、白山を開き“越の大徳”といわれた泰澄大師が開いた寺院としても存在感があります。

自分のホンネをさらけ出すのは危険な場合も!

 パワーハラスメントが、ニュースで取り上げられる事が多くなっています。
 事実をきちんと把握して話しができるのか、気分で話すのか、でも違ってきます。
 1980年頃から製造業に広まっていった「トヨタの小集団活動」の方式。この方式では、「現状把握」に活動時間の9割以上の時間をかけていました。もれなく現状を把握することを、活動の重要事項としていました。
 現状の把握が出来れば、対策は自然に思いつくもの。
 コミュニケーションにおいても、まず、事実・現状把握を伝え、それをもとにして話しをしていくと、良い結果が得られるのではないのでしょうか!

尾道 生口島 1936年建立始まる「耕三寺」

 大阪の元実業家耕三寺耕三が、昭和10年より建立した浄土真宗本願寺派の寺院です。
 お母さんが旅行に行けないためか、堂塔伽藍は奈良・平安時代の浄土教の寺院を参考に建立されています。
 仏教を日本に広めるために奈良時代や平安時代当時のお寺を彷彿させる賑やかさがあります。
 そして、有名な堂塔の建築様式の建築された当時の姿をを一挙に見ることができます。

こんな儲け話がありますよ!

 「もうけ話には裏がある」と昔から言われています。しかし、このような話に乗り、一生苦しみをかかえてしまう人が増えているようです。
 オレオレ詐欺から始まって、高額アルバイトなど、もうけ話に乗ってしまう人が広がってしまいました。
 アンテナを高くし、人生の先々まで考えるスタイルが定着すると良いのですが。
 今の学校教育のスタイルでは、多様な考え方が受けいられないため、狭く、浅い考え方になってしまうのでしょうね。生成AIが普及すると、広く・深く考えることが、もっと難しくなってしまないか心配ですね!

鎌倉 一向宗開祖が創建した「向福寺」

 1282年創建。開山は一向俊聖上人。本尊:阿弥陀三尊(木造南北朝作)…… 南北朝時代の作。

 一向俊聖上人は、時宗の開祖一遍上人同様、鎌倉時代、各地を遊行回国し、踊り念仏を広めた。しかし、一遍と違い一向の教えは踊り念仏を行うとはいえ、念仏そのものに特別な宗教的意義を見出す事は少なかったとされている。
 一向俊聖上人の一向宗は、江戸時代に幕府により強制的に時宗に統合された。その後、一向宗の復活をはかったが実現されていない。  大正12年の関東大震災によって、文政年間に建てられた本堂と表門が倒潰してしまった。現在の本堂は昭和5年に再建されたもの。