尾道 奇祭ベッチャー祭の「吉備津彦神社」

 寶土寺西側の鳥居のある一劃は吉備津彦神社、俗にいう一宮さんで、毎年11月3日文化の日に、尾道全市の子供たちを湧き立たせる奇祭ベッチャー祭の祭神で、ベタ、ソバ、ショーキーはこの神社から繰り出すのである。

 神輿と獅子頭を先頭にベタ・ソバ・ショーキーの三鬼神が市内を練り歩き、子どもたちを追い回す神事。「ベタ」「ソバ」が持っている「祝棒」で突かれると子宝に恵まれ、「ショーキー」が持っている「ささら」で叩かれると頭が良くなるとされ、子供達は「ベッチャー、ベッチャー」とはやし立てる。江戸時代に流行した疫病退散祈願から始まった西日本有数の奇祭。

上司も部下は、単なる役割分担!

 日本にも、能力主義が叫ばれ、取り入れた企業もある時代。ただ心配なのは、若くしてリーダーになった人が、長期間その地位にいると、組織の流動性が阻害されるのではないか? という心配です。
 若ければ若いほど、その権力・地位・収入にこだわる危険性があるからです。
 江戸時代のように、権力や財力、名誉が分散されるしくみがあれば、ある程度はその危険から遠ざかることも考えられるのですが、そうでなければ、危険なリーダーが、長く支配することも起きてしまいますね!

厚木 相模観音霊場27番札所だった「聖眼寺」

 江戸時代には相模三十三観音霊場の二十七番札所として観音信仰で栄えていた寺院です。寺は三田寺と呼ばれ、参道入口の門塔に「當国二十七番三田寺」と彫り込まれています。
 相模三十三観音霊場は、宮の藤巻寺から始まり大磯、平塚を巡り秦野の太岳院に至るまでの巡拝ルート。

人間の力の及ばない大きな力の存在を知る!

 地球上の急激な人口増が続いています。それに加えて温暖化が進んでいます。今までは、ある程度の人口の増加は、食べ物を工夫すればなんとかなる、と思っていました。
 しかし、少し心配も出始めてきました。温暖化により、雨の降り方が大きく変わり始めています。植物も、今までのように育ってはくれません。魚も同じ海では捕れなくなってきています。
 これに権力争いや、食料の争奪による戦争も増えてくる心配もあります。
 これからは偉人の歴史ではなく、庶民がどのようにして生き残ってきたかの歴史を学ぶ必要があるようです! 

福山 鞆 「心を観る行」ができる「顕政寺」

 ここの観心行では、目を閉じて合掌をしがら、太鼓を叩きに合わせて、南無妙法蓮華経とお唱えながら、自分の心の中を見つめてます。
 様々な日々の出来事を思い出して、「あれは悪いことをしたなぁ」、「こんな良いことがあったなぁ」と思い出しながら、お題目をお唱えます。そうすることで自分自身がきれいになっていくことを感じてください。
 良い出来事は改めて感謝し、悪い出来事は反省する。そして、それらに固執することなく、手放していく。これは心に溜まった垢を洗い流すということ。心がきれいになれば、また新しいものが入ってくるようになります。

バテバテなのに「がんばれ、がんばれ」と!

 健康寿命を出来るだけ長く保ちたいもの。坂の上のほうに住んでいる方のほうが、感覚的には健康のようです。
 そう言えば、坂の上にある小学校の先生が、「入学して1年ほど経つと、風邪をひく児童が少なくなる」と話していました。
 歳をとっても同じなのでしょうね。やはり、ある程度からだに負担をかけていないと、健康寿命は保てないのでしょうね!

鎌倉 奥の岩屋に不動明王が「岩窟不動尊」

 ここの堂守の僧が勝長寿院(鎌倉市雪ノ下にあたる相模国鎌倉大御堂ヶ谷に、鎌倉時代初期に源頼朝が建立した寺院)に参詣した帰り、路上で急死、84歳の命を落としたと「吾妻鏡」の1188年10月10日の記事にあるから、お堂がそのころにはあったようです。

 今では個人宅にある社のようで、お茶屋(不動茶屋)なのかと思えます。お茶屋の奥にお堂があり、不動明王が祀られています。

高度成長期は環境や安全よりも……!

 高度成長期の後には、大きな危険がひそんでいます。そのことに気づけなかった日本でした。しかし、日本は歴史に学ぶことができます。いつも何とか学ぼうとします。
 中国は、日本病になると言われています。日本より環境の状況はかなりきびしいようです。
 日本は経済の低成長の時代が長く続きました。しかし、政治は、一時野党に入れ替わったことはありますが、安定していました。
 中国では、「天」は共産党を選び続けるのでしょうか。混乱は少ない方が良いのですが!

尾道 明治の火災の時、三重塔が残った「向上寺」

国宝の三重の塔

 1階の軒は2軒本繁垂木の扇垂木。つまり二重になっている繁垂木で、垂木が平行ではなく隅の部分で45度になるよう、扇が開いたようになっている。
 組み物は唐様の柱上の組み物が3段に積み上げている構造。
 1階は全体的に唐様が強く出ている。
 和洋に唐様が取り入れられて形式で、各層に花頭窓があるほか、建物の装飾が見事。
 三重塔の周囲が日本画家・平山郁夫氏の幼少時代の遊び場だったとのこと。また、よくスケッチしたお寺でもあります。

人前では、誰でも外向きの顔をつくる!

 社会の中で生きていくため、「仮面(自分の本音を言わない)」をつけて生きています。
 ただし、その程度は国によって大きく違います。これは歴史風土の影響もあるのですが、政治の体制と大きく関わっています。
 中国、ロシア、北朝鮮……などは、歴史風土とともに政治体制もホンネを出して生活するにはやっかいなようです。
 日本も太平洋戦争の時はホンネを出すことは出来ませんでした。
 戦争で1人で千人の力を発揮するように、「千人針」というものを戦争に行く男性に持たせました。しかし、その中に、お金の5銭と10銭をお守りとして、「5銭というのは死線を超える」、「10銭というのは苦線を超える」という、そういう意味で縫い付けていたんです。この時代ですから、「生きて帰ってこいよ」とは、言えなかったのです。
 近所の人に、「あれは非国民だ」と言われるから、内緒で、要するに「何しろ生きて帰ってきてよ」と、願いを込めて持たせたのです!