地球最強の生物といえばクマムシ!

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 生命の誕生は宇宙ではないか、ということで「はやぶさ2」などでの調査が進められています。「クマムシ」の体質を知ると、生命の誕生は宇宙という説が、現実味をおびてきます。その背後にあることは、地球の寿命を考え始めたからでしょうか。人間って、なんでそんなことまで考えるのでしょうか?

尾道 新しくなった「尾道駅」

 今日(2019年3月10日)から、尾道駅が新たらしくなり、開業記念に「記念入場券」が9時より販売されました。せっかくでしたので列の後ろに並んでみましたが、二列の列が1時間たっても30~40mほど進んだだけでしたので、購入を諦めました。二列の列が1時間に40mほど進むというのは、かなりの好記録なのでしょうか? もしかしたら、世界記録かも、と思いながらひとつの思い出が出来ました。

笑っていられる人!

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 笑う、泣く、好きなどの感情を表現することは、からだにとって、何らかの良いことがあるのでしょう。しかし、恨む、悲しむといった長く尾を引く感情は、マイナスの影響がからだにおよんでいるのでしょう。東北大震災の悲しみは、まだ尾を引いているようです。関西の過酷な歴史から学んだ「笑いの風土」のようなものがあれば、もっと長引かなかったのでしょうか?

鎌倉 天井画《白龍の図》がある「円覚寺 仏殿」

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 1964年(昭和39年)に建造再建された鉄筋コンクリート造の建物。もとの仏殿は1923年(大正12年)の関東大震災で倒潰し、その40年後に、1573年の図面をもとに再建された。 禅宗様の建築様式で、本尊は宝冠釈迦如来坐像。
 円覚寺仏殿造営図は1573年、同寺の仏殿を再興するため作成された断面図(縦約2.2m、横約3.5m)と平面図(縦約1m、横約0.9m)の清書本。制作年代などが分かる安土桃山時代の設計図として珍しく、当時の禅宗様建築の構造形式を細かく伝える点でも貴重。

悪口を言いたくなったら、深呼吸!

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 「ほめること」、これがなかなか習慣になりにくいですね。競争社会では、常に「自分が優位でいたい」が習慣になっています。「ほめること」は、相手より自分が下位だと感じる場面も多いですね。それにプラスして「自由」を大事にする価値観では、「ほめる」ことは相手との関係が深くなり、束縛されるようになるのでは、と心配してしまうので、なかなか「ほめる」ことができないのでしょうか!

鎌倉 円覚寺、石段を143段のぼると「鐘楼弁天堂」

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 急な石段を上ると、正面に弁天堂があります。その左側には、「正安三年」(1301年)の年号が記された梵鐘(国宝)があります。この梵鐘は、北条貞時が物部国光に造らせた鎌倉時代の代表的な名鐘の一つで、高さは2.59mもあり、関東地方最大の鐘です。

マイナスの感情は体内に毒素をためる!

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 最近、味のキツイものが好まれる傾向があるようです。ストレス社会のため、体内の毒素を早く排泄するためでしょうか。また、農薬が使われたり、いろいろと化学物質が食品に添加されているため、その排泄を促進するためなのでしょうか。都市生活や核家族と方法で、個々人が手にいれた「自由」というものは、「自己解決」を要求されるため、ストレスの増加につながっているのでしょうか?

厚木 日本三体地蔵尊の一体「子合地蔵尊」

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 保元・平治の乱の折、義隆は妻子をおいて相模国毛利荘荻野郷に落ちてきました。義隆の死後その終焉の地に参ろうとこの地にやってきたのは、義隆の遺児の僧・浄慶でした。浄慶は、子合に住まっていた義隆の郎党・毛利主計(かずえ)のもとを訪ねました。主計は、義隆追善のため上京、河内国(大阪府)壷井にて義隆縁の地蔵尊をいただき、郷里・荻野郷子合に戻り、浮慶に託して、義隆公三十三回忌の法要を営みました。その折に建立したのが、子合地蔵尊です。

UFO、幽霊を信じますか?

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 幽霊やUFOなど、不可思議なものに興味を持つのはなぜでしょう。未知なものに出くわしたとき、生き残るための対応力を、身につけるための訓練の一つなのでしょうか? このようなとき、体内には何らかのホルモンが出て、からだは、日常と違う状態になる。そのような状態を体験することで、本当に未知なものに出会ったとき、対応できるようになる、といったことでしょうか!

江の島 台湾近代化の尽力者を祀る「児玉神社」

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 明治時代の陸軍大将・児玉源太郎(1852(嘉永5)年~1906(明治39)年)を祀った児玉神社は、創建が1918(大正7)年。その後1921(大正10)年に後藤新平らの尽力により、主要な社殿が建立された。
 児玉が生前、江の島の風景を愛し、しばしば清遊した由縁により、この地に神社が創建された。ことに境内には台湾総督時代の関係者による献納の燈籠・水盤などが見られる。

すり傷、切り傷には消毒薬?

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 子供時代は、山でよく遊んでいたので、少しのケガはヨモギで治療していました。いまは、ケガをさせない環境が行き過ぎているので、子供が自分で治療する場面は、ほとんでないのでしょう。ただ心配なのは、”ケガの痛み”を体験しないと、他人の痛みを考えることが、できないことになるのでしょう!