秋葉山大権現というのは、本山は静岡県の松の方の秋葉神社で、火事を防ぐ夫伏(ひぶ)せや水難除けの神として、江戸時代には各地に秋葉講中という信者の団体がつくられ、代参という代表者の本山詣でが盛んに行われました。光明寺やその信者を火災や水難から守るため、1714年(正徳4年) に神社を秋葉山から光明寺裏山へ移してまつりました。材木座や小坪をはじめ各地に秋葉講が作られ、火災と海上安全を祈願する人々が訪れ、社殿も立派だったそうです。
2月 2019のアーカイブ
ビニールハウスで作られたいちご!
かなり以前から、食べ物が「見た目」中心になっています。言い方を変えれば、「小さな虫ですら食べない」ものに、なってしまいしました。多くの日本人は、生物としての基本原理すら忘れたしまったのでしょうか。生産者は、農薬を使わない野菜を食べ、商品として出荷する野菜は、農薬を使う、といったことが、普通になっているのでしょう!
鎌倉 山門に、十字架?「光照寺」
石段を上ると、山門の右側に「子育て地蔵」と呼ばれるお地蔵さまが立っています。このお地蔵さまに、子どものことについてお願いするとかなえてくれると信仰されています。
山門は明治のはじめごろ廃寺となった東渓院(とうけいいん)から移したもので、「くるす門」ともいわれ、キリスト教の十字の紋がある珍しい門です。江戸時代に鎌倉にもキリスト教の信者がいたのではないかと思われい本堂内にはキリシタンが使用したとみられる燭台が2基あります。
上手な嘘のつき方を教えるべき!
日本では、単純に「嘘をつくな」では、世間のなかに溶け込めないですね。日本には「三本の指に入る」という言い方があります。自分が一番だと思っている人でも、「三本の指に入る」という言い方をすることになっています。このようにトップになった人でもウソを言います。自分を、自分が思っているより低く表現する、という風土が日本にはあるのです!
尾道 巨岩に不動明王が住む「不動岩」
浄土寺山の8合目あたりに巨石が「不動岩」です。巨岩に不動明王が刻まれています。
不動明王は、真言宗をはじめ、天台宗、禅宗、日蓮宗等の日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されています。
密教の根本尊である大日如来の化身で「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王、無動明王、無動尊、不動尊などとも呼ばれており、特に日本において根強い信仰を得ております。真言宗では大日如来の脇待として、天台宗では在家の本尊として置かれる事もあります。
浄土寺山の麓に真言宗の浄土寺があり、不動明王を刻み込んだのでしょうか。
「運命」より、「因果応報」の原則が優位だ!
「情けは人のためならず」は、科学的にも正しいようです。良いことをすると、自分自信の気分がよくなり、また、相手からも感謝され、その結果、免疫力を強くする物質が分泌されるようです。これは、人類の歴史の中で、協力していかないと生き残ることができない、という環境の中で、からだの中に組み込まれた、生存機能なのでしょうか?
福山 鞆の浦で2番目に古い「医王寺」
「医王寺(いおうじ)」は他の社寺から少し離れた山手に位置しています。医王寺までの坂道は少なからず急で遠いのですが、境内からの眺望はその苦労に十分値するものです。
医王寺の足下の街道沿いには、江の浦・「焚場(たでば)」の集落が道沿いに細長く広がり、その向こう側に鞆港が大きく弧を描いています。さらに、港の北に広がる鞆の町並みの向こうには、仙酔島(せんすいじま)が望まれます。晴れた日の早朝にここを訪れれば、その景色を茜に染める朝に出会うこともできます。
自信は子供時代に身につく!
「優越感」は、知識でも身につけることができるのですが、ほんとうの「自信」は、体験・経験から身につくのでしょう。優越感を自信だと思っている人も多いと思われますが、優越感には脆さがあります。子供時代に多くの体験・経験をし、成功はもちろん、失敗(こうしたらダメだ)も自信につながっていきますので、自然の中にある多様性に接してほしいものです!