「ありがとう」と言うべきところ、「どうも」や「すみません」のように言ってしまいます。
日本語は「曖昧さ」が特徴です。単に、単語としての意味だけでなく、その時の状況、過去の出来事、その土地の風土など考えて、言葉の意味をつかむ必要があります。
日本で英語教育が拡大する中で、日本語の単語も単純な使い方になって行くのでしょうか?
言葉が単純になると、思考も単純になっていくのでしょう。
アメリカの大統領選挙のトランプ氏のように、単純な思考の方が支持者が増えやすいようで、日本の英語教育の拡大は、同じような現象が、将来起きてしまうのでしょうか?
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雑談をしながら互いの関係を築く!
知識教育が進み、五感からの情報をもとにして、自分で考えることが少なくなっているようです。
「自分で気づく」そして、「どうしてだろう」と考える。この能力が劣化しているようです。
自分が、自分で気づき、自分で考えることが増えてくれば、いつの間にか、自分を好きになってきます(嫌いではなくなってきます)。
自分で気づいたこと・考えが、他人に感謝されれば、自分をもっと好きになることができますね!
相槌は、話を好意的に聞いてくれている!
「聞く技術」の練習も必要ですね。「話す技術」はある程度の意識は向くのですが、聞く方は、どちらかというと疎かにしています。テレビで、聞く方の画像が画面の一部に表示されますが、私たちも見習う必要がありますね。
聞く技術が上がれば、聞くことができる内容も豊かになるのでしょうね!
人間が黙ってしまうのは!
雰囲気が悪いときは黙ってしまいがちです。もうひとつ、自分の頭の中の整理が、まだ出来ていないときも黙ってしまいます。これは頭の回転が悪いのでしょうね。
また関連する知識が多すぎて、どの視点から話すか迷っているとき話し出せない人もおられるのでしょうね。
ただ、雰囲気などに関係なく、べらべらと話す人もいますね。自分の話すスタイルが出来上がっているのでしょうね!
ゆっくりした口調は、考える時間も出来る!
ネット時代、もう一度「会って話す」ということを、大切にする文化を大事にしたいですね。ネットで会議をする場合、顔以外を見ることはほとんど出来ません。言葉でのコミュニケーションとなってしまいがちです。特に女性は会って話すと、手の動きや体の動きが多彩です。五感を動員したコミュニケーションは、第六感というものさえ生み出してきます。ネットで言葉によるコミュニケーションの限界を、もっと意識する必要があるようです!
人と話をしなければならないとき!
初めて合った人や、顔は知っているがあまり付き合いのない人と話すとき、話題が豊富であれば気楽ですが、そうでないときは、やっかいですね。基本は聞き手に回ることですが、できれば年齢とともに知識・情報の範囲を広げておき、対応力をアップしておくことも大事なことなのでしょう!
相手の地雷を踏む言葉!
「ほめ言葉」は大事ですね。その時の状況、タイミングなど注意が必要です。でも、ネット社会でメールなどを多用していると、「ほめ言葉」のノウハウをどのようにして習得するのでしょうか? 習得していないから、ちょっとしたことで、トラブルになるのでしょうか!
雑音の中にいても聞き分け可能!
子ども時代、夏は日の出と共にクマゼミの鳴き声がすごかったのですが、毎日聞いていると、まったく気にならないものですね。しかし、数年前からカラスがセミを襲うようになると、カラスが数匹上空を舞うと、セミがピタリと黙ってしまうようになりました!
悪口は、たまにだったら楽しい!
悪口を言ったつもりがなくても、巡っているうちに悪口に変化することもあります。印象が悪くなっている国や会社、人の場合は、その印象と結びついて、悪口に化学変化する場合が多いようです。言葉は事象と違って、簡単に化学変化します。現在のように、言葉中心の社会は、気をつけなければいけません。振込詐欺と同じようにね!
人の話をまず上手に聞く!
「話を聞くことが大事」なのですが、自分の「思い込みの範囲」で聞くことが多い。これでは自分の成長にはなりませんね。しかし、大人になると「自分の思い込み無し」で聞くことは大変難しい。言葉というものが、多くの思い込みをつくりあげているようです。もっと言葉以外の情報(視線、顔の表情やしぐさ、音の表情、周囲の状況など)に注意を向けていくことが出来れば、素直に聞くことができるようになるのでしょうか!
言葉は、頭の整理が大事!
メールなどの文字での連絡が多くなってくると、視線を感じ、読み取る力が弱くなっていくのでしょうか? 言葉を身につけていない赤ちゃんの時代は、コミュニケーションの多くは、目で見ることが中心なのでしょう。それが言葉中心になり、そして人間というものが分かってくると、また言葉では表していないものを、感じ取ることが重要だと気づきます!
「どうして」という言葉を使うとき!
「どうして?」はついつい言ってしまう言葉。そう言いたくなったら、「首をかしげ、疑問のしぐさ」ではどうですか。相手が何かを説明をしてくれる可能性がでてきます。SNSではムリですが、顔を合わせたコミュニケーションでは成立します!
世の中に話し上手は多いが?
「聞き上手」は好感を持たれる秘訣なのですが、ついつい自分が話してしまうものです。相手を観察する力が低いからなのでしょう。人間と動物とのコミュニケーション力は、異なった動物同士のコミュニケーション能力より低いとのこと(ある動物園の園長さんの言葉)。人類が言葉をつくり出した結果、観察力が低下したのでしょうか!
よい言葉は、話手もよいエネルギーが!
人類が言葉を使い出した時、最初に話し始めたのは何なのでしょうか? おそらく、自分の経験を、他の人に伝えだしたのでしょう。「困ったとき○○したよ」と、それを聞いた人は、対策を打つことができるようになったのでしょう。そして、人々の経験を伝え合うことで、つながりが深まっていったのでしょう。そうしているうちに、これからのことも、話すようになったのでしょう。どのくらいの年数が必要だったのかはわかりませんが!
コミュニケーションは相手の反応を確認しながら!
言葉によるコミュニケーションが中心の時代ですが、言葉の機能を考えたことがありますか。人間は人間同士だけでなく、3万年ほど前には、犬とコミュニケーションができるようになりました。猿など集団で暮らす動物は、コミュニケーションができています。しかし、そのコミュニケーションは「現時点」のことだけです。言葉でのコミュニケーションでは、「将来」や「過去」のことについて、情報を伝え合うことができます。ただし、現在のことを「言葉だけで伝える」ことは、情報不足です。言葉中心のマニュアルでの仕事は、大事故につながります。大会社で、大事故や不正が起こることは、言葉中心が原因なのでしょう!
上手に感情表現できない!
「負の気分」のとき、その負の気分を“悪い状態”と、とらえるようになったのでしょうか? やはり、人間の“生き残りに作戦”の影響があるのでしょうか? それとも、人間が“集団”で生きるようになって、その集団の中で、より有利に生きるために生じた機能なのでしょうか? どこかに研究した報告があるのでしょう!
本当は初対面の人とのほうが話しやすい!
アイコンタクトは対話をスムーズにする!
人は、共通の言語がないときに、手や顔によるジェスチャーを用いて、コミュニケーションを図ろうとします。人類の歴史の中で言葉によるコミュニケーションはつい最近(数千年前)のことなのでしょう。相手の目を見て、言葉には表れない情報にも、敏感になることも必要ですね!