人間は手を使ったから進化した!

 現在「知識」というもののほとんどが、経験を伴っていないものになってしまいました。いろいろな知識を、発達した頭脳で処理し、解ったつもりで生活するようになりました。
 そのためか、感覚が鈍くなっているようです。食べ物でも、ニオイで食べることが出来るのか、出来ないのかは、ある程度は判断できました。また、腐っているかも?、と思うと、口に少しだけ入れ、おかしいと感じると吐き出ていました。
 これが出来なくなってきているのは、ヒトの生物としての劣化なのでしょうね!

「細胞」はあらゆる器官になるための情報を持つ!

 生物の細胞は、あらゆる器官になれるDNAを持っているとのこと。動物の細胞は、どのような役割をさせるか、個別に指示されているようです。
 運動選手が、毎日トレーニングをしているのは、それぞれの筋肉や関節の細胞に、どのような役割をさせるかを、訓練しているのでしょうか。
 とすれば、快適で楽な環境で暮らしていると、各細胞も、なんら努力することもなく、楽をしているのでしょうね。
 子ども時代から快適な環境で育っていると、環境変化への適応力が弱くなっていくばかりなのでしょう。そして、それが次の世代に引き継がれていき、ますます環境の変化に、ついて行けなくなるのでしょうね。
 実際に魚介類に起こっています。ここ2,3年で取れなくなった貝や魚がいます。魚介類は、安定した水温の中で生活しているため、より環境変化に弱いようです。
 人間の快適な環境での生活は、その生活環境を維持できなくなったとき、魚介類と似た運命をたどるのでしょうか?

植物の構造はブロックを積み上げるような構造!

 生物は、「生活する環境(育つ環境)に、いかに適応するか」で、進化してきています。
 ということは、現在の先進国のように、冷暖房完備で、過ごしやすい環境、安全とされる食品を食べて育ってしまうと、環境適応の進化は止まってしまうのでしょうか?。
 そう考えると、SDGsが叫ばれている現在、一番適応できる進化を遂げている人類は、アフリカ人の中におられるのでしょうか?
 もしかすると、文明の発達は、生物としてのヒトの進化を、妨げてきたのでしょうか?

細胞内でエネルギーを供給するしくみ!

細胞内でエネルギーを供給するしくみ!

 自分達のからだのエネルギー消費量は、百万年以上もほとんど変化がないのに、生活で使用する消費エネルギーは、比較できないほど増えているのでしょう。
 自給率が低い日本の生活エネルギー問題、やっかいですね。しかし、現状の生活スタイルを大きく変えてまでは対応しようとしていません。というより、そこまでは対応できませんね。
 いま、江戸時代の生活スタイルをやってほしいといわれても、その生活スタイルすらよくわかりません。しかし、1950年代後半の三種の神器と言われた電化製品の利用が始まった生活スタイルなら、まだ経験者もいますので、なんとかなりそうです。
 物流も含めて、もし現在の技術で1950年代後半の生活スタイルを行った場合、現代とどれほどエネルギー消費に差が出るのでしょうか?

無菌に近いものを口にする機会が多い!

 人類の歴史において、米とか麦を食べ始めたのは最近のわずか1%の期間です。それまでは、動物の肉、果実、根菜などを食べていたのでしょう。
 農耕が始まる前の99%の期間でヒトの体の基本ができてきました。それまでは、多くの人が一箇所に定住することはなく、食料や水がなくなれば、分散して移動して食料や水を入手していたのでしょう。
 しかし、人が定住するようになり、農耕が始まり、多くの人が一箇所で暮らすようになり、病気も増えてきました。
 それが150年ほど前に産業革命がはじまり、厖大な人達が狭い地域に暮らすようになり、その結果、病気の種類も増え、危険度もより高まってきています。薬があるものは乗り越えられるようになっていますが、薬がなければ危険度は高まっているのでしょう!

防寒の準備は大事!

 ヒマラヤに登っている人達で、指を失ったなどの報道を目にします。しかし、防寒対策はつい簡単な対応で済ましてしまいます。自分はヒマラヤには行かないので安心しているのでしょうか? それとも、極度の寒さを体験しないと考えないのでしょうか?
 ヒトが数十万年生き残ってきたのは、生命に関わる危険な環境でも、それほど怖さを感じないようにすることが、生き残り作戦としてより有効な結果を出しているようです。というより、危険をあまり感じないヒトが生き残ってきたのでしょう。
 いま蔓延しているコロナウイルスも、感染力の増加や重症化へのウイルス変異の可能性がある中で、「感染の恐れに対する不安の強弱」は、ヒトの生き残りにどのような結果をもたらすのでしょうか?

手回し充電ができるラジオが人気!

 キャンプが流行っているようです。これは災害訓練として良いことですね。できれば、比較的簡単な装備でキャンプを体験していると、災害時には多いに役立つのでしょう。できれば、食べられる野草などでの食事体験があると、もっといいのでしょう。
 温暖化での天候の異変や地震が多発しています。いろいろな条件の中でも生きる術は体験しておきたいもの。その先達はホームレスの人達なのでしょうか。
 動物で環境変化に最も強い種族は、恐竜の子孫である鳥たちなのでしょう!

自然に起きる山火事は樹木の世代交代を可能に!

 気候変動のためか、大きな山火事が外国で起きています。人間が手を加えたほうがよいのか、自然に任せたほうがよいのか、迷いますね。
 山里での生活が引き継がれているところでも、生活スタイルは70年くらい前とは異なっており、迷ってしまうことでしょう。
 焚き木や落ち葉か燃料として使われなくなり、うっそうとした山々が増えているので、山の植生も変わってしまいました。むかしから引き継がれてきた智慧も、そのまま適応できるのか、慎重にならざるを得ないですね!

海底で活動する火山の噴火はわかりにくい!

 いま沖縄に軽石が流れ着いています。海底で活動する火山については、ほとんど関心がありませんでした。でも、よく考えると陸上より多くの火山が、海底で活動していてもおかしくないですね。
 海底火山は海水で覆われているので、噴火があってもわかりにくい。そのため関心を持ちません。しかし、縄文時代に100m海面が上昇する前は、火山島がたくさんあったのでしょうね。そういえば、数千年前に海面が100m上昇していたのですね。すると、いま海面上昇で大騒ぎしていますが、縄文時代の人達は、どのように考えていたのでしょうか?

ゴキブリの強さは体内に棲む細菌による!

 ゴキブリも細菌と共存しているのですね。ヒトも腸内細菌と共存しています。食べ物の種類が少ないところでも、昔からそこに住みついているヒト達は、その少ない食材で、からだに必要な栄養を腸内細菌達がつくり出りだすようになっているようです。
 そのために「地産地消」といわれるのですね。また、からだもその環境に適するように細かな改善がされてきた歴史を背負っているのでしょうね。
 温暖化で変化する環境に適応できる生物はどんな生物なのでしょう。少なくとも移動できる生物のほうが有利なのでしょう!

南の島で気分転換するのも!

 旅行などにi出かけることで、気分転換する人が多いのでしょうが、長い間、出かけられませんでしたね。趣味が多彩で、屋内で、絵や彫刻、手芸などの趣味がある人は、気晴らしもできたのでしょうが、それでも、まったく出かけられないとストレスが溜まりますね。
 出かけるとしたら、いい季節になっていますので、瀬戸内などの静かな島に渡ると、のんびりとした気分になります。
 まずは一度、気分をのんびりとさせた後、気持ちを盛り上げる娯楽がよいのでしょうか。最初から気分を盛り上げると、新コロナが再拡大し、規制がかかったとき、もっと落ち込むことになりかねない、ということも起きかねないですから!

原始地球では、酸素はあらゆるものを錆びさせる悪者!

 地球の温暖化が叫ばれています。人類にとっては厳しい環境になっていくのでしょう。ただ、地球の歴史から考えると、その時の環境に適した生物が繁栄していくのですから、まだまだ、地球が亡びることはないのでしょう。
 炭酸ガス以上に厳しい問題は、地球の人口増加スピードなのでしょう。この問題は対応が難しいですね。この問題を鎮める方法は、歴史的には、疫病と戦争だったのですから!

農耕が始まるまではたいてい空腹でした!

 米や麦の食べ方(料理)を見つけたのは、どこに棲んでいたヒトなのでしょうか?
 料理というものは、ヒトの「口と消化器官を補助」するものです。米や麦の食べ方を見つけることができたので、安定的に食べられるようになりました。しかも、それらは保存ができ、そのことで、より安定的に食物を手に入れることができるようになりました。そして、農耕を知ることで、人はどんどん増えていったのでしょう。
 ほとんどの動物は、せいぜい殻を割るくらいの料理しかできず、食べられる物の種類を増やすことができませんでした。
 米や麦の料理方法を知ったことで、農耕文化が拡大したのですが、農耕文化は争いの文化も生み出してしまいましたね!

論理が重要なのか、感情が重要なのか!

 自然淘汰の法則の「弱いものが消えてゆく」というものですが、この解釈が「自然の中での出来事」ではなく、「社会の中での出来事」として解釈する人が多くなっています。
 ヒトの場合、食料を運ぶことが大変だった時代は、秘境や小さな島では、その土地で生産が可能な量で生活が可能な人数しか生きていけません。
 その中で、生物としての本能に基づく自然淘汰のしくみが必要でした。日本でも、「口減らし(人数を減らすこと。特に,子供を奉公に出したりして,生計の負担を減らすこと)」や「間引き」というしくみがありました。また、団塊の世代の就職時期から言われ出した「集団就職」なども、ある意味では口減らしなのでしょう。
 自然淘汰の法則は、社会現象との関わりが深いため、「社会の中での出来事」と思われるようになったのでしょう。
 ただ、新コロナの蔓延対策は、「社会の中での出来事」という発想では「民主主義国家で強い人=投票に行く人」中心ではなく、「自然の中での出来事」という視点で、新コロナ蔓延地区の人、その地域に出入りする人」のワクチン接種を優先する対策をしてほしいものです!

「いただきます」「ごちそうさま」は誰に!

 天の恵み(太陽や雨)、地の惠(水)に感謝することは、ヒトが生き続けてくることができた原点にあります。秘境に生きている人達には、それが今も残っているようです。
 文明の惠を受けてきた人々は、やっと文明が必ずしも「恵ではないのでは?」と疑問を感じ始め、持続可能な開発目標(SDGs)が叫ばれるようになってきています。
 しかし、秘境に生きている人達から見れば、まだまだ中途半端なのでしょう。
 経済発展がヒト属が生き残っていくためのに良いのか、悪いのか、この判断が適正に行われるのか、難しい問題ですね。多数決で決める民主主義社会では、なおさら難しいのでしょう!

上司が部下を信頼して権限を!

 社会においては、多くの人達は仲間よりは上の者(組織では上司)を重視します。多くは利害関係が関係しているようです。もちろん尊敬できる上司の場合もあるのでしょう。
 農耕社会がはじまって、一家が必要とする食料以上に収穫できるようになると、物々交換がはじまりました。そして、より生産性を上げるため栽培技術が上手な人の言うことを聞くことがメリットを生むため、その人に従うようになりました。
 軍も、戦いが強い人に従えばメリットが大きいため、その人に従うようになりました。
 自給自足ができる地域では、経済がそれほど発達していないため、生物本来の姿である「子孫を残す」ということが第一優先です。そのため、生きることの経験が豊富なお年寄りの言うことに従うようです。
 地球環境が大きく変わったとき、自然条件が厳しいところで自給自足をしている人達が、ヒトの生き残りに有利な時代がくるのでしょうか?

好き勝手に生きていない人は「いい人」!

 新コロナで疫病が蔓延しているときのエチケットの代表は、正しくマスクの着用をすること、なのですが、「オレは好き勝手に生きるんだ」と主張したいのか、マスクを着用しない人がいます。
 少し昔までは、疫病が流行したとき、対策をしなかった人の多くは自然淘汰されてきたのでしょうか? 医療が発達してくると、自然淘汰から経済格差へと移行するのでしょうか? これも広い意味で自然淘汰なのでしょうか。
 サルの社会でも、オスサルの中には群れから離れて単独で生きるサルもいます。そして、いろいろな群れに入ったり、出たり、その中には長期間単独で暮らすサルもいるそうです。人間も、集団の中から離れる人もいますが、集団の中に入り込もうとする人もいますね。

人間は、サルから進化した動物!

 生物の進化についての解明が進んでいます。ウイルスもDNAに影響を与え、その進化に大きく影響しているようです。環境の変化への適応能力が「進化」というものなのでしょうか。皮膚が進化し、味が分かるようになり、目ができ、耳ができ、ニオイもわかり、自分が生存していく上での情報が入手できるようになり、ときには移動して生存できる場所を見つけて生き延びてきたのでしょう。人間は、環境を作り変える力さえも持ち、自分たちに有害なものを駆逐するまでできるようになったもの(人間)もいます。生物は、いつまで環境の変化に対応できるのでしょうか!

カンブリア紀(約5億年前)に生物が大発生!

 古代期の生物が情報を収集する方法は、皮膚からしか情報収集ができなかったそうです。それがカンブリア紀に皮膚が変化し「目」ができ、その目から情報収集ができるようになり大進化をしました。耳や鼻も皮膚が進化してできたのでしょう。その結果、情報の量が圧倒的に増え、脳ができ進化していったのでしょう。私たち人類は、進化の過程で木から下り、食料を得るために長時間の運動が必要となり、放熱のため体毛がなくなりました。その結果、古代に持っていた皮膚からの情報収集力が復活したのでしょう。「殺気」とか「第六感」とかいわれる感覚は、皮膚からの情報収集なのでしょうか? 

定住生活が始まると富が不平等に!

 「定住生活」という生活スタイルが、社会風土というものをつくり出すことに大きく関係しているのでしょう。同じ場所で水と食べ物がが手に入るか、そして、そこで何人が安定して暮らせるか、ということが、集落の大きさを決めていったのでしょう。縄文時代、東日本は比較的大きな集落があり、西日本、特に中国地方にはあまりない、ということは、東日本は水が安定して手に入るが、中国地方は夏には水を確保しにくいことが一因なのでしょうか? そう いえば、井戸に石仏があるのは瀬戸内に多く、東日本では灌漑など田園に水を引く事業に石碑が建てられていますね!