専門家と呼ばれる人はそこでしか生きられない人!

 「定住を基本とした社会」か、「移動を基本とした社会か」で、その地域の風土がかなり異なるようです。移動を基本としている社会は「能力主義」が基本になります。しかし、定住を基本とする社会では、個々人の能力が平準化した方が、その社会がより協力的になり、不満も少なくなると思います。現在の日本は、欧米の考え方の比重が高くなっており、能力主義がよいとされているようです。しかし、日本では「少しばかりの能力の差」が、過大に評価されないように注意する必要があるのでしょう!

「つまらない話ばかりして」!

 会議が時間オーバーすることは、ビジネス関係ではまずないと思います。出席者のほとんどは、予定を立てており、会議で予定された時間内で終わらせないと支障が出るためです。子どものときから学校の授業で、時間割をしてその時間内で終わらせる授業を受けており、企業に就職してからも、会議に出る立場になる頃までには、時間を守ることが習慣になっています。井戸端会議的な雑談の場でも、終了の時間は意識しています。その習慣が身についていない人もきっといるのでしょう。日本の事務効率が悪いと、他の国の人達から言われているのですから!

能力主義には限界がある!

 いまは能力主義の社会になっています。この能力というのは「お金」に関わる能力のことで、それ以外の能力は、それほど社会では認められません。戦国時代の能力は「いくさに関する能力」が評価されていました。そうした能力主義の時代は、自分が生きている時代中心のことしか考えません。子孫代々の繁栄は二の次です。そのためか、織田信長や豊臣秀吉は、実質一代のみです。そうゆう社会の弱さに気がつき、多方面の能力を社会に生かす時代ができたのが江戸時代です。社会に幸せをもたらすことは、お金による豊かさだけではないのでしょう。もっと多彩な能力が必要なのでしょう!

ヒマな人間も忙しいと思っている!

 「ヒマな人間も忙しいと思っている」と思う人は、おそらく要領(物事をうまく処理する方法・手段)が良い人なのでしょう。要領が良い人は、やはり仕事の量が増えていきます。成果主義の時代には有利です。ただし”人生”において、ほんとうに有利かどうかは、なんともいえないですね。現代の価値観は、自分の時代だけを見て「成功したかどうか」ですから、子供や孫に対して、家庭内で冷遇していないか、という心配もあります!

人は誰でもが出来損いである!

 中国の主君に対する格言で、一番良い主君は、人民から見て「主君が、いるのか、いないのか、分からない社会が一番良い」とされています。庶民が自由に生活しながら秩序が保たれ、安定した社会が理想の社会ということです。その風土か現在でも何とか残っているのは、日本だけになっているのでしょうか。今でもたくさんの神々がおり、仏教があり、いろいろな宗教もそれほで否定しない風土があるのも珍しい国です。ただ、外国の情報が大量に流れ込み、英語教育も強化される社会、強いリーダーが良いとする社会に移っていくのでしょうか? 生物としての人間は「子孫に繁栄を引き継いでいくこと」が大切とされています。織田信長も豊臣秀吉も、子孫に繁栄を残していません。しかし、現代では、すごい英雄と考えられていますね!

ミスを報告してくれたことを評価する!

 いまはミスに厳しい社会になっていますね。その基本にあるのは、損害賠償の判決で、賠償金が入るようになったからなのでしょうか? クレーマー社会のためなのでしょうか? ミスに厳しい社会のため、専門家を目指す人が増えいるようです。専門家は自分の分野だけやっているので、ミスが少なくてすみます。しかしミスをした場合は、ミスに対して厳しいですね。しかし視野が狭いため、専門領域以外は口を出さないですね。もっとミスに対して、優しい社会になって欲しいですね!

ただ単に大声で訴えても!

 「大声」で話すときは、おそらく自分に自信がないときなのでしょうか? もちろん、多くの人に伝えるときには大声を出します。しかし、2~3人程度のときに大声を出すのは、「威圧」しようと思っていることが多いのでしょう。筋の通った説明ができないため、しかし、なんとかやらせたいため、大声になりやすいのでしょう!

会社から飛び出して何ができるか!

 親の言うこと、先生の言うこと、上司の言うこと、などを聞く(従う)ように育ってくると、現在の新型コロナウイルス対策においても、政府の言うこと、知事の言うことなどに従おうとして、ハッキリした指示がでないと不満を漏らします。テレビに出てくる評論家達の多くも、「国からハッキリした指示が出ない」とこぼしています。世の中には「指示待ち人間」が明らかに多くなってきているようです。高度な教育を受けるほど、他人(指導者・専門家)の知識で判断・行動するようになるのでしょうか? ハッキリしたことが分からないときには、自分の「体験や経験」で推測し、判断するしかないのですが、指示待ちになる人が多いようです!

相手の話をじっくり聴こう!

 余裕のない時間の過ごし方に馴染んでしまったためか、新ウイルスで自宅待機がつづくと、戸惑ってしまう人が多いようです。家の中の片付けや、季節の移り変わりで衣類の片付けも良いのですが、忙しくしてじっくりと調べることが出来なかったことを、自分の「手持ちの本」をもとに、ネットで調べてみてもいいのではないでしょうか。ただし、ネットだけで調べると、今までの日常と変わらないので、「手持ちの本」の内容をもとにすると、時間の使い方が変わりますね!

仕事を部下の教材として意識!

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 組織運営で、上司が、仕事を教材として部下にどのように提供するか、あるいは、工夫改善の力がある部下に、どのような仕事を担当させるか、かなり厄介な問題なのでしょう。実力主義の社会では、目先の成績を上げることになりがちのため、中長期で考えることが難しいですね。これは日本を代表する国会を見ていても、野党の質問は、政治に携わる人達を“育てる”という視点はまったくなく、目先のことだけにとらわれていますね!

予期せぬ事態が発生すると!

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 言葉による知識教育を受けていると、考えることが「知識優先」になってしまします。「“五感”から得られる事実に基づく思考」をしなくなってしまいます。知識で思考したほうが圧倒的に楽なためでしょう。行き過ぎてしまうと、五感からの情報の取り方さえ出来なくなってしまうようです!

大将的な性格のリーダーは!

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 豊臣秀吉のように「人たらし」の人は、組織を「しくみ」で動かすことが苦手です。これは、現代でも同じですね。大きな成功をしても、その立役者がいなくなると、じわじわと力を失っていきます。「人たらし」という単語の意味は、「他人を騙す人」という意味が正式だそうです。騙しはやはり一時的な成功(?)でしかないのですね!

都合の悪い情報が推理力を鍛える!

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 報告するとき(報告を受けるとき)、「良い・悪い」という判断をすることは、報告者(非報告者)の都合です。組織として、「事実に基づいて判断する」という基本が、出来ていないのでしょう。上司の顔色を見て動く組織になっているのでしょう。これは、変化の少ない時代、大組織においては、都合の良いこともあったのでしょう!

議論のとき、相手の逃げ道を!

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 「自分が正しい」と思っているときほど、聞き役に徹することが大切なようです。もちろん、「笑い」を引き出すことが出来れば最高ですが、それは難しいので、せめて、聞き役に徹することを目指したいですね。別の手法としては、カードを利用する方法がありますね。いろいろな意見をカードに記入し、似通ったもの、関連がありそうなものをグループ化し、整理する方法も有効ですね!

組織はたえず異化作用が必須!

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 いまは、社会の変化、あるいは、自然の変化が激しくなってきています。絶えず異化(差異の著しい二つの性質を接近させるとき、両者の差異がさらにきわだつこと)作用をすることで、明日を見据えた変化を受け入れることが必要ですね。そのためには、同質化をさけ、個性を尊重することが必要です。学校教育も転換する必要が迫っているのでしょう!

重要な意志決定は午前九時から十一時に!

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 「決めごと」は、A.M9時~11時までに行うこと、とのこと。統計的な分析結果なのでしょう。ただ、ここでいう「決めごと」は、思考的なものごとに対する決めごとであり、五感を通じた情報に基づく「決めごと」は、対象ではないのでしょう。五感による情報は、その都度決めなくてはならないものが、ほとんどですから。なぜ違いがあるのでしょうか?

「なるほど、そうだね」と言おう!

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 組織内で、あるいは、同じ業界内で、偉くなっていくと、多くの人は「思い込み」が、どんどん強くなっていくようです。いろいろな人達の意見を、「なるほど、そうだね」と聞くことができる人は、「思い込み」が少ないのでしょう!

人は感謝をされると幸せな気持ちになる!

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 「感謝する」という行為が、お互いの「生き残りに有効だ」ということが、DNAに刻まれているのでしょう。ネアンデルタール人は、体力や思考能力がホモサピエンスより優れていたのでしょう。しかし、環境異変に遭遇したとき、お互いに協力し、感謝するということのDNAスイッチが、ONにならなかったため、亡びてしまったのでしょうか? いろいろな組織においても、長く長く生き残っている組織は、感謝DNAスイッチがONになっているのでしょう!

戦国時代の茶会!

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 戦国時代、戦国のリーダー達の間に「わび茶」が浸透した。織田信長が茶器などを、褒美として武将に与えたことも理由の一つでしょう。高価な茶器を褒美として貰った武将は、茶会を開き、貰った茶器を使い、自分のデモンストレーションを行うと同時に、ストレスの多い武将達の自律神経を安定させたのでしょう。ただ、武将の部下達はどう思っていたのでしょう。部下達はいくら手柄を上げても、「親分が茶器を貰って満足しているが、自分にはなんら収入アップがない」と、不満が蓄積していったことでしょう。また、織田信長や豊臣秀吉を頼っても、部下達は「自分の収入アップは期待できない」と、感じていたことでしょう。「お金の切れ目が、縁の切れ目」ですね!

「叱る」という行為!

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 現代は、五感ではなく言葉で他人と伝えることが多く、言葉に隠された“思い”はわかってもらえません。そのため、「叱る」場合、その言葉だけで解釈されてしまいます。表情や音色、視線、口元の表情などの変化で、“思い”を感じて貰うことは無理、と考えなければならないのでしょう。いわゆる状況感受の受信能力が衰えているのでしょう。ネット社会やAIが定着するほど、状況感受能力は衰えるのでしょうか?