自分勝手なレッテルを貼っている!

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 私たちは、自分の近くの人達に何かしらのレッテルを貼ると、そのレッテル(思い込み)から、なかなか抜け出せません。そのレッテルは、それを貼った当時のものです。その人がいろいろと勉強し、経験してきたことを反映していない場合が多いのです。思い込みから抜け出せないということは、新しい情報を取り込めないということで、時代について行けなくなる、ということなのでしょう!

落とし穴があると知っている!

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 慣れてくると「落とし穴」が見つからないですね。いつの間にか“思い込み”が定着してしまっているのですね。クルマの運転もそうです。いつも通っている道は注意力が落ちてきます。「この路地からは、自転車や人が出てくるはずがない」、「横断歩道では、飛び出してはこない(一時停止し、左右確認する)」など、いつの間にか思い込んでいますね!

恨みからは何も生まれない!

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 昨今、災害が多く辛い思いをしている人が増えてきています。災害が少なかった地域に住んできた人は、経験がないだけに大変な思いをされています。災害は、経験しているか、未経験かで、心におよぼす影響が大きく違ってきます。子供時代に、安全、安全と、危険な経験をしていない人達は、もっと大変なことになるのでしょう!

「感情のセーブ」がしにくくなる!

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 年を取ると同時に、同じ分野の取り組みが長いと、思い込みが固定化し、他の意見や、他の分野の考え方を理解しようとしなくなりますね。小学校から文部省が管理した教科書で教わり、社会に出てからも、その延長で考えて行くと、今の韓国のように、考え方が偏ってしまいます。まとまった力を出すときには効果があるのですが、多様性を求め、その過程を踏まえた社会をつくることは、難しいのでしょう!

怒り出したら心の中で「1、2、3……」と!

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 “頭にきたら”一呼吸置いて「1,2,3~、10」と心の中で数える。なかなかできないですね。あおり運転をする人は、まったくできていないのでしょう。なぜなのでしょうか? 料理では1つの食材を、いろいろと多彩に料理できるにもかかわらず、頭にくることは、なぜ「怒る」という料理しかできないのでしょうか!

表情で、きれいにも、チャーミングにも!

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 女子ゴルフの渋野日向子の笑顔が話題になっています。全英女子オープンで、“スマイルシンデレラ”とのニックネームがつけられ、優勝。やはり「笑顔」は、幸運を呼び込むものですね。どんな場面でも、“屈託のない笑顔”ができることは、何よりにもまさるものですね!

ネガティブな思いにとらわれる!

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 今年のように、お盆の時期に台風が来てしまうと、予定が大きく狂ってしまいます。ここは「神様が、エネルギーを使いすぎだよ」と警告している、しょうがないと、むかしの人は考えたのでしょう。「雷神」という神様がいます。雷神は人びとを恐怖のどん底に突き落とす崇り神様ですが、一方で、雷神が稲穂と交わることで、稲は実を結ぶと信じられていました。実際に、空気中にある窒素(空気の80%)に、雷=電気が流れると、窒素酸化物になり、これが雨に溶けて降り注ぐことで作物の肥料になります。このように、日本の神様には二面性があります。ただ、昨今の人々には、「自分だけが正しい(思い込み)」、という一面だけの人が増えているようですね。世間の犯罪を見ると!

ひとつの価値観だけで??

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 ものの見方に、多彩さが欠けてくるのはなぜでしょうか? 日本では、学校教育で、一つの答えを要求され続け、社会に出てからもその延長で、多数の思惑に合わせたほうが、生きやすののでしょう。一つの変わった視点で歴史を見る例として、米(あるいは麦)の立場で、イネの勢力拡大のため“人間を使おう”、その戦略として「米を作る人達が1年間消費する量の、倍を収穫できる」という戦力をイネが取り入れた。すると、収穫の半分を他の人達が利用できるようになった。その分け前を得ようとして、「イネが作れる土地を開発し貸し付ける」、「高価な青銅製の農機具を貸付る」、「他の場所に運搬し報酬を受ける」、「盗難から守る」等々の、人類の争いの歴史が始まり、イネや麦は、その勢力をどんどん拡大していった、という視点もあるのでは?

劣等感は心がつくり出した妄想!

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 「思い込み」で日常を過ごすようになると、ストレスの多い日常になるようです。なぜ、思い込むようになるのでしょうか? 接触する人たちが少ない、知識の入手が偏っている、あるいは、少ない、五感から得る情報が少ないなどに、その要因があるのでしょう。歳を取るにつれて、思い込みが激しくなっていくようですが、いろいろな情報に接することが少なくなるためでしょう!

無理をすることなく「ありのまま」に!

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 「外界は自分に合うべきだ」と考えるか、「自分を外界に合わせる」と考えるか、という問題。「知識の学習」で常に正解を求めてきた人は、「外界は自分に合うべきだ」と考えやすいのでしょうか。日本では、多彩な自然があり、「常に答えはひとつだ」と考えることは無理があります。日本の文化にある「未完成の美学」は、「完成は崩壊の始まり」と考えています。「自然のなかで感性を学習した人」は、「自分を外界に合わせる」ことが、ごく普通のことと考えるのでしょう!

風格は自分の力だけでは身につかない!

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 風格というと、ある程度の年齢を重ねた人を思い浮かべますが、「品が良い」という言い方もあります。「品」は口が3つ、三人を表しているようで、「三人=いろいろな人」という意味もあるようです。品のある人、風格のある人は、たとえ、子供であっても、みんなついてきてくれるようですね!

日本人の未完成の美学!

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 日本には、茶道具などに、ある意味未完成を尊ぶ文化があります。また、浮世絵などに、後にいる人も、前にいる人も、同じ大きさに書くという、遠近法という論理では説明のつかないものがあります。日光東照宮の「逆柱」、姫路城の天守閣にある「逆さ家紋」など、あえて完全というものを否定するものがあります。たとえ、自分が日本一になったと思っても、「やっと三本の指に入ったよ!」といった言い方もします。この発想にAIは対応できるのでしょうか?

コントロールされている「ウソ」なら!

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 「罪にならないウソ」を上手に使うには、日ごろから、年齢を超えた、いろいろな方々との接触が必要です。ネット上では、一方的な書き込みもできるので、なかなか上達しません。ネットでは“コトバ”によるコミュニケーションのため、五感で感じ取る情報が得られません。そんなことを感じてか、瀬戸内などの人口が少なくなった島に、都会から移り住む人が出てきているのでしょうか!

体験に基づいて行動ができると!

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 自分の要求水準は、どのようにして決めているのでしょうか。親の要求水準、あるいは、地域環境での要求水準などがあるのでしょう。できることなら、おおらかな親、変化に富む自然環境などの中で、育っていきたいもの。理想を言えば、知識でなく、体験から学びたいもの。私の小学校の時の体験で、家庭科の教科書に。「新鮮なさかなの見分け方」で、「新鮮な魚の目は透き通って見える」とか「エラの中が、鮮やかな色合いだと新鮮」とか書いてありました。しかし、さわって動くかどうかで、、すぐ新鮮かどうかわかる地域だったので、教科書に疑問をもったものです。知識や理論は、ある一面でしかないのでしょう!

定年で、突然、することがなくなる!

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 定年だけが原因ではないのですが、「やることがない」ことは、辛いことですね。生物全般、それぞれの時間に、何らかの必要性があるから、生存できているのでしょう。そう考えると、もっと「何かをやる」ということの体制づくりが必要なのでしょう。クルマがなかった時代は、自分の家の前の道、プラス両隣の家の前の道などの掃除でも、それなりの意味があったのでしょう!

夢をなくしたときが「老人」だと!

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 人生100年時代、心持ちが年齢を決めるようです。思い込みが強いお年寄りが多いようですが、これは“こころの老化”のようです。テスト教育の普及で、幼いときから「テストの答えのみが正解」(正解を選ぶしろ、あえて不正解を選ぶにせよ)を続けていると、どんどんあたまが固くなってしまい、あたまの老化が進行します。そして、早い年齢から周りからのアドバイスを、受け入れることができなくなってしまうのでしょうか。クレーマーもそのひとつの現象なのでしょう!

正しい「気づき」を!

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 「事実を、五感を使って正確に認識する」ことは、大変難しいことです。しかし、このことを認識している人は、それほど多くはいないですね。どうしても、「自分の見たいように」、「自分の思いたいように」ということになってしまいます。「三人寄れば文殊の知恵」、一人では無理なのですね!

「相手」に「意識」を向ける練習!

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 人間、子ども時代から大人になるにつれて、「思い込み」が蓄積していき、「自分だけのモノサシ」が出来ていきます。これは「言葉」による蓄積です。言葉による蓄積は、現状が異なっていても、そのことには関係なく、今までの蓄積で判断してしまいます。しかし、感覚による蓄積(たとえば、自転車に乗れるとか)では、いつまでたっても、ありのままに現状を把握し、適切に対応できます。幼かった頃のように、常にいま現在を、五感+第六感を働かせ、その感覚情報を大事にして判断したいものですね!

眠る前に良い夢を見る準備を!

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 「いま」を大事にし、「いま」を生きていれば、夢の中でいろいろなアイデアが浮かびやすいようです。動物は「いま」を生きているので、悩むことはないようです。人間が言葉をつくり出したことにより、「過去」や「将来」を考えてしまうようになりました。それがマイナスに働くと、過去=不幸な出来事、将来=不安、となってしまうようです。自然の中で育った子供達は「いま」を大事にし、言葉で育った子供達は「過去や将来」を中心に考えてしまうのでしょうか?


世論がこういっているから!

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 学校での学びは○と×、電波で見聞きすることも、解説者の答えがある。これでは、自分で考えることがなくなる人も出てくる。夏休みや冬休みに、NHKラジオで「子供科学電話相談」があるが、この番組で相談する子供達は、自分で考えた上で相談している。この姿勢を学びたいものである!