定年という生活の転機は!

 定年になってから、「どうしようか」といろいろ考えても、長く続くものは見つからないでしょう。少なくとも、定年の10年くらい前から、準備をして行かなければならないのでしょう。それも、ある意味、精神的には仕事よりも多くの比重をかけて、取り組む必要があるようです。仕事は、経験をつぎ込んで能率アップを図り、負担を低減し、休みの日は、定年後の準備のための技術の習得とデータを蓄積し、そこから、何かしらを生み出す練習をしていく必要があるようです!

毎日難しい顔して生きてへんか?

 現在の不自由なときこそ、笑顔で、やさしい目をしていたいものです。最近、テレビで横断歩道で歩行者がいるときに、一時停止をしないクルマが多いと報道されています。こんなとき一時停止すると、歩行者さんは、感謝の会釈し、急ぎ気味で渡っていく人が多いですね。運転している側も、感謝されて優しい気持ちになります。新コロナで落ち込んだ社会でも、こんなことがあると優しい気持ちになりますね!

求めたいものは一つに絞る!

 社会が変化せざるを得ないとき、やはりお金のことを考えてしまいます。昔の人はどうだったのでしょうか? 生きて行くには「食べ物」だったのでしょう。食べ物を求めて、アフリカから全世界に移動していったのでしょうから。今の日本は、過疎化が進み、休耕田や昔は畑だったところがあちこちにあります。テレワークと組合せ、昔の半農半漁のように、半テレ半農の生活様式は広がっては行かないのでしょうか?

生きていくのが強い人!

 新コロナウイルスによって、社会での過ごし方を変えざるを得ない今。変化していく社会の現状を、正確に、先入観なく把握し、その中で、心に余裕を持ち、他人に対し寛容であり、しかも、何らかの利益を与えることが出来る人は、生きていくことが強い人ですね。社会の変化に柔軟に対応していくのでしょう。また、そのような人に、ついて行くことが出来る人達も、社会の変化について行けるのでしょう!

意識の変革ができなかった人は絶滅する?

 「行動」が、動物の生存の原点にあるのでしょう。言葉がない動物たち、そして、人類がまだ言葉を使っていない時代でも、「行動=体験」したもののうち、生き残りに優位な情報を、子供達に伝えていかなければならない。そのしくみが遺伝子スイッチのOn/Offなのでしょう。このスイッチのOn/Offは動物の歴史から考えると、言葉ではなく、広い意味での行動なのでしょう。言葉を使い出したのは、人類の歴史から考えるとつい最近です。歴史的な体験が浅いため、言葉では遺伝子スイッチのOn/Offが出来ないので、文字にして伝える方法を見つけたのでしょうか? そして最近ではインターネット情報で、言葉に振り回されることになるのでしょうか?

「いい言葉」に接し美意識を養おう!

 現在は、情報の発信が簡単に行われる時代になりました。そのためか、過激な言葉で批評する情報が多くなっています。マスコミも、個人の情報発信に負けまいと、過激な場面を報道することが多くなったり、あるいは反省して、あえて過激な場面を外したりしているようです。しかし、大人からは、「いい言葉」はあまり聞かなくなったように思います。逆に、子供達から「いい言葉」を聞くことが昔より多くなってきた感じもします!

行動することによって変わることができる!

 むかしは、「宗教人の言葉」で行動していました。現代は「専門家の言葉」によって行動しています。もっとも、それらの言葉を、信じて行動する人と、否定して行動する人がいますが。しかし、その人達の言葉に縁がない人達は、自然を観察し、その中から正解を見つけ出していました。その行動が、科学を生み出したのです。そして、その情報が比較的手軽に入手できるようになると、観察より、情報入手が優先するようになってきたようです。でも、現在のように変化せざるを得ない状況では、やはり、観察主体の行動が大事なのでしょう!

今この時をどのように生きるのか!

 まず、「いま」をキチンと見ることが重要ですね。平時は、「いま」をそれほど見なくて将来を考えても、「将来」と「いま」がそれほど違わないので、大きな問題にはなりません。しかし、混乱期に入ると、まず「いま」を冷静に見て、その「いま」から、新しい「将来」が始まるかどうか、考えていかなければなりませんね。今は、テレワーク方式の仕事や学びの場が、どの程度社会に定着するかで、社会が変わるかどうかが決まりそうですね!

周囲に同調していると!


 激動の時代になってしまうようです。このようなときは「多数は正しくない」と思ったほうが良いようです。多数とは、今までの延長で物事を考えてしまう人が多いからです。今回は、専門家といわれる人達の意見は、二転三転しています。過去に学んだ知識から答えを出そうとしているからでしょう。
 人類は同じような経験を数多く体験してきています。視点を変えて歴史を見て、そこから答えを見つけられるといいのですが。例えば、「挨拶はお辞儀」、「寺社では手水舎で手洗い」、「履き物は脱いで部屋に入る」……、感染予防の風土が根づいているのですから!

才能をもっていない人は幸せ!

 現在の社会は、どちらかというと専門家を目指す人が多いようです。しかし、世の中が変化するときは、専門分野も大きく変化します。専門的すぎると小回りがききません。変化について行けません。また、歳をとりリタイアすると、専門的な経験ばかりでは社会に溶け込むことができず、暇な老後になってしまいます。社会の変化は、戦争や大災害、そして、今回の疫病(悪性の伝染病)の蔓延でも起こってきます!

第三者の立場に立って自分を眺める!

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 ストレスは免疫力を低下させます。ストレスは「事実」を事実として把握するのではなく、“自分の思い”で把握する結果、「良い・悪いで判断」してしまいます。自分の価値判断で「悪い」と判断した場合、事実を正確に把握することを忘れ、ストレスにつながっていきます。とはいっても、トヨタが改善活動に使っているような「現状把握」は、なかなか難しいですね!

人からの批判は成長の糧!

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 「後悔 臍(ほぞ)を噛む…(自分の臍(へそ)を噛もうとしても届かないように、後で悔やんでも及ばないこと)」ということわざのように、後悔にはメリットがないことに気がつきながら、後悔をしてしまう。反省するところまで、たどり着ければよいのですが。この原因は、その事柄が発生したときの、状況把握が不十分なことが原因なのでしょう。状況をきちんと把握するだけの感覚が、育っていないのでしょう。つねに「現状把握」が充分であれば、いつも的確な反省をすることができるのでしょう!

1ヵ所だけからでは陰のところは見えない!

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 一般的には、知識が増えていくと、固定観念ができ、どんどん視野が狭くなっていきます。いまは専門家が尊重される傾向があるので、自分が蓄積してきた知識の延長で学んでいきます。その結果、ますます視野が狭くなります。一方的な見方が強くなります。人間以外は、感覚で情報を得て、先入観無しで、その情報を中心に判断するため、現状については人間より正確に判断しているのでしょう!

品とは何か?「恥を知っていること」!

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 古くからの商業の町の商業高校で、商業法務を学ぶとき、「法律は最低のマナーだ」と教わりました。当時でも、世間はそうではないこともあったのでしょう。ビジネス中心の都会のいまは、「法律が最高のマナー」となっています。また、むかしの商売人の町では、「豪商」の仲間に入るには、お寺を1つ持たなければ(スポンサーにならなければ)なりませんでした。当時のお寺は、学びの場であり、病院であり、福祉の場であり、精神的な救いの場でした。弱者に対する社会的な救済の責任を果たさなければ、一人前の商人として扱われなかったのですね!

生きるとは、ガラクタを捨てること!

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 「今日、ちゃんと食事ができた。しあわせだなぁー」と思う人達が、アフリカにはいらっしゃるという。自然の中で生きていると、“今日(いま)”を大切に生きる、ということが身についているのでしょう。日本でもそうだったのでしょう。奈良時代以前は80万人程度、奈良時代で450万人程度、外国からの移民が多かったのでしょうが、それでも、現在の30分の1です。いま住んでいる土地の20~30倍の自然がまわりにあったのです。そこから食べ物を得ていたのでしょうが、自然災害も多かったのでしょう。そのとき、クルマなどありませんから運搬は出来ず、生きて行くには厳しかったのでしょう!

自分が思っている世界しか見えないもの!

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 多くの人は、自分が見たいものしか見えてはおらず、その見えている世界がすべてです。その見える世界をどのようにして広げていくか、を工夫するしかないですね。工夫していかないと、歳とともに、どんどん見える世界が狭くなってしまいます。悟ることができれば別ですが、それは、もっと難しいことなのでしょう!

自分勝手なレッテルを貼っている!

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 私たちは、自分の近くの人達に何かしらのレッテルを貼ると、そのレッテル(思い込み)から、なかなか抜け出せません。そのレッテルは、それを貼った当時のものです。その人がいろいろと勉強し、経験してきたことを反映していない場合が多いのです。思い込みから抜け出せないということは、新しい情報を取り込めないということで、時代について行けなくなる、ということなのでしょう!

落とし穴があると知っている!

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 慣れてくると「落とし穴」が見つからないですね。いつの間にか“思い込み”が定着してしまっているのですね。クルマの運転もそうです。いつも通っている道は注意力が落ちてきます。「この路地からは、自転車や人が出てくるはずがない」、「横断歩道では、飛び出してはこない(一時停止し、左右確認する)」など、いつの間にか思い込んでいますね!

恨みからは何も生まれない!

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 昨今、災害が多く辛い思いをしている人が増えてきています。災害が少なかった地域に住んできた人は、経験がないだけに大変な思いをされています。災害は、経験しているか、未経験かで、心におよぼす影響が大きく違ってきます。子供時代に、安全、安全と、危険な経験をしていない人達は、もっと大変なことになるのでしょう!

「感情のセーブ」がしにくくなる!

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 年を取ると同時に、同じ分野の取り組みが長いと、思い込みが固定化し、他の意見や、他の分野の考え方を理解しようとしなくなりますね。小学校から文部省が管理した教科書で教わり、社会に出てからも、その延長で考えて行くと、今の韓国のように、考え方が偏ってしまいます。まとまった力を出すときには効果があるのですが、多様性を求め、その過程を踏まえた社会をつくることは、難しいのでしょう!