ひとつの価値観だけで??

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 ものの見方に、多彩さが欠けてくるのはなぜでしょうか? 日本では、学校教育で、一つの答えを要求され続け、社会に出てからもその延長で、多数の思惑に合わせたほうが、生きやすののでしょう。一つの変わった視点で歴史を見る例として、米(あるいは麦)の立場で、イネの勢力拡大のため“人間を使おう”、その戦略として「米を作る人達が1年間消費する量の、倍を収穫できる」という戦力をイネが取り入れた。すると、収穫の半分を他の人達が利用できるようになった。その分け前を得ようとして、「イネが作れる土地を開発し貸し付ける」、「高価な青銅製の農機具を貸付る」、「他の場所に運搬し報酬を受ける」、「盗難から守る」等々の、人類の争いの歴史が始まり、イネや麦は、その勢力をどんどん拡大していった、という視点もあるのでは?

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