自分が正しいと子供のときから主張しながら育ちます。しかし、なかなかそれが「自分の都合からくる主張」だとは気がつきません。なぜなのでしょうか? これは大人になっても変わりません。ただ、主張の頑固さの程度は風土によって違っているようです。 日本は自分の主張にそれほど強くこだわっていないようです。それは、災害の多い自然環境から学んで来たのでしょうか。 台風、地震、津波、火山噴火、干ばつなど、予測がつかない自然災害が多く、なかなか論理的には対応できなかった環境の中で、なんとか対応していかなければいけなかった。その結果、自己主張より、今置かれている環境の中で、何をしなければならないか、という命題の中で生き続けてきた結果なのでしょう。 ただ、日本でも都会暮らしの人達は、どちらかというと自己主張が強いようです。これも自然環境の違いなのでしょうね! |
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強く穏やかに生きていこう!
強く穏やかに生きていくことを目指すこと。出来ると良いのですが、これを自分の論理だけで実現することは大変なことです。 日本の風土は、出来損ないを認め、曖昧に生きることを認める風土があります。この風土を無視し、自分の考え方しか認めない時代は、日本においては戦いに明け暮れた時代ですね。 現存する日本最古の国が編集した「日本書紀」ですら、朝廷の成立はAが正統だが、Bもある、Cもある,Dもある,というように、国家が、曖昧さを許容しています。そんな国は世界中どこにもないようです。 日本書紀より古い聖徳太子の十七条憲法の最後の17条目には「物事は独断で行ってはならない。必ず皆で適切に議論しなくてはならない。とくに重大な案件については判断に過失・誤りが無いか疑い、慎重にならなくてはいけないので、皆で議論する必要があるし、そうしていれば(自ずと)道理に適った結論を得ることができる。」と、もとになった中国のものにつけ加えています。 自分の論理では補えない世界があることを、大昔から感じていたのですね! |
生活の快適さはなかなか放棄できない!
自分なりの人生哲学を身につけること!
知識は「広く」から、そして「深く」へ、そして「広く」へ!
イライラの原因は何か?
熱くならないと行動できない!
自然の感情を大切にしているか!
「自分であれ、他人であれ『気持ち』の理解は、言葉ではできない」と、もと京都大学の学長でゴリラの研究をされていた方が言っておられました。この方はゴリラの集団と一緒に生活をした体験があり、その中で気がついたそうです。 ゴリラとの気持ちのやりとりができるようになり、その体験をもとに人間社会を見たとき、「言葉」というものは気持ちを正確には伝えていないことが多く、自分が置かれた環境の中で、自分の都合が良いように話しており、本来の自分の気持ちは表現できないもののようです。 言葉だけで自分の気持ちを考えるようになると、同じように自分の気持ちを正確に捉えられなくなってしまう可能性がありますね。 やはり、自然の中でいろいろな感覚を磨き、その感覚を大事にしながら「気持ち」というものを摑んでいく必要があるのでしょうね! |
自分の弱点に気づかないと!
生涯を通じて快活に生きる!
それぞれの人々が生きている時代の変化は、決して同じではないですね。昔の時代、あるいは、異なる風土の人達のことを考えるとき、かなり努力したとしても、やはり自分の経験で考えてしまいます。真実在の世界を個々人が描くことは不可能ということなのでしょう。そんなことに気がつくことができれば、どんな世の中でも、できれば笑って暮らせば明るく乗り切ることができる、と思います。 しかし、世間では「オレが言っていることが真実だ」という意識で、あれこれ情報を発信しています(この情報もそうですが)。そのとき自分というモノにこだわってしまうと、視野がどんどん狭くなり、真実在の世界からどんどん遠ざかっていくのでしょうね。 新コロナ対策でも、医学関係の方がいろいろな意見を言っておられますが、もしかして、ヒアリ対策を行っているような昆虫学者の方のほうが、新コロナ対策においても、有効な提案を行うこともあるのかもしれないですね。そんな人が昔おられ、薬師如来のモデルになったのでしょうかな! |
緊急事態は突然やってくる!
緊急事態は突然やって来ます。この「突然=予想外の物事が前触れもなく急に起こる」のときは、自分でとっさに判断するしかないのでしょう。 ただ、都会暮らしのときは、事前に情報を集め、考えさえすれば、予想内の出来事です。 しかし、自然の中では、多くのことが突然起こってしまうことがありす。そこでの対応力は、やはり子供時代に自然の中でどの程度遊び回ったかでしょう。例えば、足をかけたら枝が急に折れた、石に足をかけたらぐらつき転がってしまった、枝を払いのけたら顔に跳ね返ってきた、スズメバチの羽音が急に耳元でうなった………。 こんな経験が多いと、突然の緊急事態でもなんとかなるのでしょう。もっとも、後から学ぶことが多いのですが! |
「自分らしさ」は幅広い学びから!
自分の世界を「公正」で「正しい」世界だ、と!
知性を獲得するのに年齢は関係ない!
思考の老化防止のため、まず「ほんとかな?」でスタートし、次ぎに「提示されていることの反対のやり方だと、どうなるかな?」と頭を使うと、思考の老化を防ぐことができるのでしょう。 現在は専門家指向が高くなっているようです。これが思考老化の原因になります。また、ネットでの検索の結果がAIの活用で、ますます情報が絞り込まれてしまいます。情報を絞ると多様な考え方ができなくなってしまいます。 また、社会のしくみが整備されればされるほど、考え方が固定化します。 極端な例ですが、「一夫一婦制度が人類が生き残っていくために一番有効な制度か?」と問われたとき、新コロナが蔓延している現在、数人の子供ができ、その中で「免疫力が強い子供が生き残っていく」と考えた場合、その可能性を広げるには「一婦多夫」で、多彩な遺伝子を持つ子供をつくったほうが人類が生き残れるのではないか、という思考もあります。実際に現在もそんな社会は多少ですが存在しています! |
自己投資は年収の1割以内ならOK!
出身大学や資格に頼る時代は終わりつつあるようです。AIの進歩は、予測できないほど早く、知識をベースにした資格は、不要になってしまう可能性が強くなってきています。 AI中心の時代になった時、どの言語が専門分野において有効か、という現象も起きてくるのでしょう。単純な言語はAI化は行いやすいのでしょうが、機能的にはどうなのでしょうか。 自分で、本をもとに8万件以上の日本語のデータベースをもとに、単語検索をしながら、いろいろな知識を組み合わせ遊んでいる私からみると、日本語はAIには難しい部分が多い面があるようです。また、地域・時代によって意味の解釈が少し異なるため、より難しいのでしょう。 ただ、この面が、より面白く、意味深いものができる可能性を秘めていると思われます。 |
はつらつとして生きていること!
良いこともあれば悪いこともある!
人には親切にしたいもの!
何も見返りを期待していない「親切」というものがあります。四国のお遍路のときの御接待(おせったい)など古くからあります。西日本に多いようですが、「てごうする」といって、「お手伝い」と無意識に使い分け、お返しをまったく気にしない手伝いがあります。この基本になっているのは、仏教の考え方なのでしょう。自分が生きている内に、できるだけ施しをすることができれば、極楽に行ける、と。そういえば、何かもらい物をすると、すぐお返しをする地域と、ついでのときに何かを上げる、といった地域があります。日本の中でも、各地でいろいろな風土があります。情報発信が東京中心になってしまったため、各地域の風土に無関心な人が多くなってきているのでしょうか?