ひとりの人間の内側にはさまざまな感情が! 感情は、あるがままにし、その感情を「外から眺めているような自分」がいた方が良いのでしょうか? 将来や過去を考える癖があると、悩みが増え、現在を主に考える人は悩みが少ない、と言われます。「過去は過去に置いて」、現在中心で行くと良いのでしょう!
自己投資の効率が良いのは「本」! ネットから得ることができる情報は、自分が得たい情報が中心になります。しかし、本の内容をデータベース化し、そこから、単語で検索し、その情報を組み合わせていくと、自分が思ってもいなかった組合せになったりします。自分の「思い込み」は精神的な老化です。それを取り払って行くには、自分のデータベースは、最初のうちは、自分流のデータが蓄積されますが、数千件、数万件とデータが増えた結果、検索すると、思ってもいないデータが出てきたします!
「決めつけ」、その最たるものが「年齢」! 表面的に「若返る」という思いが、かえって老化させてしまう、という一面があるとのこと。やはり、若返りは、精神面だけにしたほうがよいのでしょうか。精神面での老化は、ものの見方が一面的に成り、実際に目や耳に情報が入っていたとしても、その認識が行われず、思い込みでの行動になってしまうのでしょう!
都市の人口の増加が環境破壊! 東北大地震もそうですが、都会の大規模化が、地方の災害の原因になることもあるのですね。多くの人たちが一部の地域に集まり、大都会になり、それが大規模災害に襲われると、ある意味、大自然の原則で、戦争と同様に人口の増加対策の一つとして、大災害を起こすのでしょうか? 恐竜の絶滅は、地球規模の大災害だったのですから!
結果至上主義の危うさ! 「勝利至上主義=結果さえよければ、やり方はどうでもいい」の考え方が、世間に定着してしまった、という背景があるのでしょう。それは、過程を評価するという視点は面倒なため、ついつい、結果だけを見てしまう(報道してしまう)というようになったため。今回のアメリカンフットボール事件もそうですが、ソ連の組織的な筋肉増強薬物事件も、そうなのでしょう。育てる側は、育成の信念がなく、「世間の要求に追従した正しい方法だ」と、無意識に思っているのでしょう!
上手に感情表現できない! 「負の気分」のとき、その負の気分を“悪い状態”と、とらえるようになったのでしょうか? やはり、人間の“生き残りに作戦”の影響があるのでしょうか? それとも、人間が“集団”で生きるようになって、その集団の中で、より有利に生きるために生じた機能なのでしょうか? どこかに研究した報告があるのでしょう!
努めて聞き役に徹する! テレビで見かけるアナウンサーの方、特に女性のアナウンサーの方の表情や動作は、素晴らしいですね。でもなかなかアナウンサーのレベルにはなりません。日本人は、昔ながらの「以心伝心」から抜け出せないのでしょうか。ただ、昨今は外人の方々を見かけることが多くなったので、そろそろ表情や手の動作などがゆたかになっていくのでしょうか!
ほめられて効果が高まる言葉を! 核家族が一般化しています。そのため、日頃の生活で、子どもが大人と接するのは、両親と先生だけとなりました。この両者は子どもに対する実務的、といったような話が中心です。無駄話がほとんどありません。その結果、その地域の方言や風土といったものに対する会話が激減しています。子どもの視野が、子どもにとっての実務的なものだけになっています。都会においては特にそうでしょう!
古代、氷と水晶は同じものと! クオーツ時計は、セイコーが1964年の東京オリンピックに壁掛け時計並のサイズまでになんとか小型化し、その時計を大会公式時計として提供、実用に耐える技術水準を達成したのでした。1967年、世界初のアナログ回路を用いたクォーツ腕時計のプロトタイプが登場。世界初の市販クォーツ腕時計は1969年のセイコーによって提供されました。ただし、価格は小型自動車並みだったようです。
最後に富士山が噴火したのは! 災害時の防災用品の準備が叫ばれていますが、「現金」の準備については、あまり言われていないですね。噴火災害の時は、電子機器がまったく使用できないため、カード類は一切使えません。もちろん仮想通貨も使えません。噴火以外の災害でも、多くの場所で停電になるため、「現金」の備えは必要ですね!
多くの男の子たちは大人になりたくない! 核家族での子育ては、子供の成長に関する問題で手一杯です。その中で育つ子供は、いろいろな刺激や体験、情報が少なくなります。祖父や祖母からの情報がとぎれ、地域の風土や方言なども失われていきます。視野が狭くなると、何かに悩んだときに、相談する相手も、視野が狭い同年代の子ということになり、当然、それから抜け出す手立ても、見つけにくくなります。また、共働きになると、子供に手が回らないため、少子化になってしまいます。厄介ですね!
いつかは別れる日が訪れる! 江戸時代の初期、五代将軍綱吉が将軍になるころ、病人は捨てられていたようです。家族だけでなく、旅先で病気になると、旅籠から簡単に捨てられていたようです。もちろん、辻斬りもあったのでしょう。「死」という概念が随分異なっていたのです。その視点と踏まえて、歴史を見ていく必要がありますね!
縄文の昔から寄生虫と共生してきた! 戦後生まれの人は、「寄生虫は害しかない」という思いが定着しています。しかし、多くの寄生虫は、宿主が死ねば、共に死ななければならない運命のため、宿主とうまく共生する機能を持っていたから、生き残ってきたのでしょう。もっと「正の効用」に目を向けなければいけないのでしょう!
トップを目指すのならば! 「忖度」という言葉が定着してきました。しかし、大昔より組織内での出世を目指すなら、上司の顔を見て、ご機嫌伺いをしながら仕事をすることが常識。 官庁の人事を、2014年より官邸主導で行うようになり、より大臣などの顔色を伺う必要性が高まった結果、「忖度」が定着したのでしょう。 いまの国会での野党の政府追及は、法律を整備する国会議員の役割から言うと、制度・システムの不具合を追求すべきなのでしょう!
「頑張ります」は、“何をどうする”に! 「頑張ります」と言うタイプと、まったく言わないタイプの人がいます。「頑張ります」と言っている段階では、まだ原因の追及ができていないのでしょう。もっと「どうしてだろう?」と、何回も、何回も、考えるクセがつくと良いのでしょう!
でも、あるときから人のためだけに! 「仕事」という概念を、変えなければいけない時代が近づいているようです。AIが進歩し、ロボットが人間の多くの仕事を肩代わりすると、「仕事」という概念はどのように変化するのでしょうか? 団塊の世代は、人間史上もっとも変化に対応してきた人達です。その最後の変化がAIロボット時代なのでしょう。変化を起こす側にはなれないのでしょうが、見届けることはできるのでしょう!
「老後」という言葉はマスコミが大好き! 熟年になって、いままで積み上げてきたものを、遠くまで転がしていく気力が大事になってきます。しかし、”遠く”といっても、「自分が生きている間」と思っていませんか。「遠くは」子孫代々まで、100年以上、何百年先までと考えてみたらどうでしょう。「それは無理」と考えないで、”智慧の蔵”を作ってみてはいかがですか!
「現代版」の贅沢な食事! 昔からの郷土食は、腸内細菌の構成を、その土地に適した状態にしてくれるのでしょうか。現在は、昔から地元で生産された食べ物だけで、料理することが難しくなってしまいました。また、大学や就職、転勤で、育った地域でずっと暮らすことも難しくなったいます。クルマを前提とした町づくり、社会づくりしか考えてこなかったためでしょう。ネット社会が進歩し、地方で地産地消の社会が復活する可能性が広がってくるのでしょうか!
いい仕事をしている人の“美学”! 現在の国会を見ていると、野党議員の質問にがっかりする。議員1人当たりの国費は年1億円程度。そのお金が「文書改変の追求」や「忖度の有無の追求」に使われるのはもったいない。その役目をする組織を作れば、たとえ一人に一千万円かかったとしても、大幅に経費節減になる。参議院を廃止し、官庁の監査機関を改変強化したほうが、はるかに少ない費用で成果が期待できる、と主張する人たちがいても、少しも疑問はない!
「先人の智慧」は何でも手に入る時代! 出来合いの知識・答え、あるいは価値観やパターンを、そのニーズのない人間にいくら叩き込んでも、叩き込まれた方にとっては、それはただ記憶したにすぎない。ほとんど役に立たない。さらに重大なことは、知識や答え、価値観やパターンという、他の人間力によって生み出された結果を至上のものとし、それらをすべてに与えていくことを是としてしまう。人間として生きていくプロセスを、人びとから奪い取り、人間力を失わせていくことになる!https://risetu.net/01tisiki_asobiba/blog_up/180422a.html