現在は、「完成形」を目指すことが当たり前になっている。勉強、学術、工業製品、構築物、建物など、完全をめざす。しかし、日本の文化には、「未完成の美学」というものがあり、あえて、完全なものを、一部を未完成にし、次なる進歩を追求する風土があった。完全を目指すことは、誰もができるものではない。できない者は、「おちこぼれ」として扱われる危険性がある。もっと、未完成・多様性を認める社会であって欲しい!
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お経なんか、さっぱり分かりません!
日本人の未完成の美学!
コントロールされている「ウソ」なら!
相手の地雷を踏む言葉!
自信がない!
ヨーロッパでは瞑想と思考に時間を割く!
お世辞を言ったほうがいい!
90%の人が第一印象に左右されている、と!
体験に基づいて行動ができると!
自分だけの片寄った考え!
人は感謝をされると幸せな気持ちになる!
嘘を見破るには直観力が必要!
記憶力向上は朝食をしっかり食べる!
辛味もいろいろ!
富士山、昔は1合目から歩いて!
日本では、空気のような神々のあり方!
日本の神様が生き残ったのはなぜでしょう? キリスト教などの論理的な宗教に、淘汰されなかった唯一の国、日本。知識と論理で成り立つAIにも、日本は何らかの競合策を生み出すことが出来るのでしょうか。日本神様は基本は自然崇拝でした。「自然を大切にする」ということは、日本の自然は予測できないことが起きることがあり、そのため多少の余力を残しつつ、農作などを行ってきました。この無意識に「余力を残す」ということは、論理的な考え方では組み込まれません。全力を出すことが良いこと、ということになります。最近、身内の介護で「全力で介護はしないで、自分がつぶれてしまうよ!」と言われ出しました。また、引きこもりの原因は「全力を出せてない自分に、引け目を感じる」ということも、原因の一つなのでしょうか? 自然からの感性を得られないまま、知識教育だけで育つ危険もあるのでしょう!
トコトン追求すると失敗する!
戦国時代の茶会!
戦国時代、戦国のリーダー達の間に「わび茶」が浸透した。織田信長が茶器などを、褒美として武将に与えたことも理由の一つでしょう。高価な茶器を褒美として貰った武将は、茶会を開き、貰った茶器を使い、自分のデモンストレーションを行うと同時に、ストレスの多い武将達の自律神経を安定させたのでしょう。ただ、武将の部下達はどう思っていたのでしょう。部下達はいくら手柄を上げても、「親分が茶器を貰って満足しているが、自分にはなんら収入アップがない」と、不満が蓄積していったことでしょう。また、織田信長や豊臣秀吉を頼っても、部下達は「自分の収入アップは期待できない」と、感じていたことでしょう。「お金の切れ目が、縁の切れ目」ですね!