完成形に至ると活力を失う!

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 現在は、「完成形」を目指すことが当たり前になっている。勉強、学術、工業製品、構築物、建物など、完全をめざす。しかし、日本の文化には、「未完成の美学」というものがあり、あえて、完全なものを、一部を未完成にし、次なる進歩を追求する風土があった。完全を目指すことは、誰もができるものではない。できない者は、「おちこぼれ」として扱われる危険性がある。もっと、未完成・多様性を認める社会であって欲しい!

お経なんか、さっぱり分かりません!

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 お寺さんと関わる機会が、ごく限られたときだけになってしまいました。昨今、ストーカー、閉じこもり、いじめなど、心の問題が日常化しているとき、心を救うべく成立した宗教の教えや手法は、できが悪かったのか、あるいは、退化しているのでしょうか? これだけ多くの宗教施設がありながら、生きている人達を、もっと救うことはできないのでしょうか!

日本人の未完成の美学!

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 日本には、茶道具などに、ある意味未完成を尊ぶ文化があります。また、浮世絵などに、後にいる人も、前にいる人も、同じ大きさに書くという、遠近法という論理では説明のつかないものがあります。日光東照宮の「逆柱」、姫路城の天守閣にある「逆さ家紋」など、あえて完全というものを否定するものがあります。たとえ、自分が日本一になったと思っても、「やっと三本の指に入ったよ!」といった言い方もします。この発想にAIは対応できるのでしょうか?

コントロールされている「ウソ」なら!

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 「罪にならないウソ」を上手に使うには、日ごろから、年齢を超えた、いろいろな方々との接触が必要です。ネット上では、一方的な書き込みもできるので、なかなか上達しません。ネットでは“コトバ”によるコミュニケーションのため、五感で感じ取る情報が得られません。そんなことを感じてか、瀬戸内などの人口が少なくなった島に、都会から移り住む人が出てきているのでしょうか!

相手の地雷を踏む言葉!

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 「ほめ言葉」は大事ですね。その時の状況、タイミングなど注意が必要です。でも、ネット社会でメールなどを多用していると、「ほめ言葉」のノウハウをどのようにして習得するのでしょうか? 習得していないから、ちょっとしたことで、トラブルになるのでしょうか!

自信がない!

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 「自信」とは、本来は何なんだろう。むかし、狩の場面を想像してみると、その場面、場面で、「あれは獲物だ」、「捕ることができるか」など、事前に考えると言うより、「その瞬間で判断する」ということだったのでしょう。それが、より成功の確率を上げるために、現実の場面に出会う前に、いろいろと予測し、考えるようになり、「自信がある」とか「自信がない」とか、考えるようになったのでしょう。自信のある人は、何も考えないで現実の場面に挑むのでしょう。出来そうになければ、逃げれば良いのですから!(逃げる自信が必要ですが!)

ヨーロッパでは瞑想と思考に時間を割く!

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 座禅などで瞑想することに慣れていない人は、あまり人がいない海辺で、波の音を聞きながら、のんびりとするのが良いですね。穏やかな波のところが良いのですが、大きな波の所では、少し高いところの方が良いのでしょう。潮風に当たっていると、無心になれますね。春に、瀬戸内の島に渡り、海岸から、のんびりと景色を眺めているのが最高ですね!

お世辞を言ったほうがいい!

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 感謝するということは、その相手に「気持ちの安らぎ」を与えます。自分にとってみても、相手にとってみても、双方にプラスの働きがあります。それが、たとえお世辞であっても、素直な感謝ができれば、双方にプラスの働きになるのでしょう。ただし、その土地の風土も関係してきますので、悪い意味のお世辞と解釈されることもあるので、注意が必要です!

90%の人が第一印象に左右されている、と!

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 「第一印象が大事」とよく言われます。しかし、なぜ人々を見分けられるのでしょうか? 人によって、何らかの雰囲気というものがあるのは確かです。子供時代でも、何か「品」といった雰囲気を感じさせる子供もいます。 やはり、ちょっとしたしぐさ、ふるまい、物腰などを感じ取っているのでしょう。しかし、「歩きスマホ」の時代、そんな感覚が磨かれることも、少なくなっているのでしょう!

体験に基づいて行動ができると!

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 自分の要求水準は、どのようにして決めているのでしょうか。親の要求水準、あるいは、地域環境での要求水準などがあるのでしょう。できることなら、おおらかな親、変化に富む自然環境などの中で、育っていきたいもの。理想を言えば、知識でなく、体験から学びたいもの。私の小学校の時の体験で、家庭科の教科書に。「新鮮なさかなの見分け方」で、「新鮮な魚の目は透き通って見える」とか「エラの中が、鮮やかな色合いだと新鮮」とか書いてありました。しかし、さわって動くかどうかで、、すぐ新鮮かどうかわかる地域だったので、教科書に疑問をもったものです。知識や理論は、ある一面でしかないのでしょう!

自分だけの片寄った考え!

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 今迄の教育で大事にされてきたことは「知識」ですね。知識を習得していく場合、同じ系統の知識を習得したほうが効率が良く、専門性を認められるので、その方向を目指しがちです。すると、自分の中に「思い込み」が出来上がり、定着していきます。そして、どんな現象や事実があろうと、自分の思い込みがベストと思い、判断するようになりがちですね!

人は感謝をされると幸せな気持ちになる!

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 「感謝する」という行為が、お互いの「生き残りに有効だ」ということが、DNAに刻まれているのでしょう。ネアンデルタール人は、体力や思考能力がホモサピエンスより優れていたのでしょう。しかし、環境異変に遭遇したとき、お互いに協力し、感謝するということのDNAスイッチが、ONにならなかったため、亡びてしまったのでしょうか? いろいろな組織においても、長く長く生き残っている組織は、感謝DNAスイッチがONになっているのでしょう!

嘘を見破るには直観力が必要!

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 「直感力」というものは、いくら知識教育をやっても身にはつかないでしょう。後から、ほとんど音もなく自転車がせまってきたとき、何か「イヤな気配を感じる」ことができるようになるには、五感(あるいは第六感)で感じる力が身についているからでしょう。昔の人は、熊、あるいは、ヘビなどの野生の動物の「殺気」を感じ取ることができたのでしょうが、これは自然の中で育った経験が、DNAのスイッチをオンにしたからでしょう!

記憶力向上は朝食をしっかり食べる!

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 最近、脳の活性化のため「朝食が大事」と言われています。しかし、肉食動物のライオンやチーターは、一週間に1回程度度の食事、草食動物の牛などは、反芻するので、ほぼ一日中食べているともいえます。人間の脳活性化の「朝食効果の理論」は、人間以外の動物には当てはまらないようですね。それとも、正しくないのでしょうか??

辛味もいろいろ!

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 お寺に「葷酒山門に入るを許さず」とあります。くさいにおいのする野菜と、酒を指しているのですが、辛味は許可されているのでしょうか? ただし、山椒、生姜、パクチー(コリアンダー)を含むこともあるとのこと。唐辛子を使った「きんぴら」は精進料理にあるようです。宗派により違いがあるので、はっきりしないのですが!

富士山、昔は1合目から歩いて!

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 日本は約400年ごとに災害が多発するという。平安時代が始まる頃、戦国時代、そして現在。やはり災害が多発すると、農産物に大きな被害が発生、争いが激しくなるのですね。現在は世界のあちこちから食料の輸入が可能なため、私たちは比較的のんびりしていますね。日本人は科学が発達した現在でも、いろいろな災害の体験から、科学ですべてが分かるとは考えていませんね。神様が、まだまだ生きていますね!

日本では、空気のような神々のあり方!

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 日本の神様が生き残ったのはなぜでしょう? キリスト教などの論理的な宗教に、淘汰されなかった唯一の国、日本。知識と論理で成り立つAIにも、日本は何らかの競合策を生み出すことが出来るのでしょうか。日本神様は基本は自然崇拝でした。「自然を大切にする」ということは、日本の自然は予測できないことが起きることがあり、そのため多少の余力を残しつつ、農作などを行ってきました。この無意識に「余力を残す」ということは、論理的な考え方では組み込まれません。全力を出すことが良いこと、ということになります。最近、身内の介護で「全力で介護はしないで、自分がつぶれてしまうよ!」と言われ出しました。また、引きこもりの原因は「全力を出せてない自分に、引け目を感じる」ということも、原因の一つなのでしょうか? 自然からの感性を得られないまま、知識教育だけで育つ危険もあるのでしょう!

トコトン追求すると失敗する!

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 子供時代、自然の中で育つと、危険対処のためか余力を残しておくことが、無意識に身につきます。すべてを出し切ることの危険性を、肌で感じるためでしょうか。今は都会育ちが多く、指導者も全力を出し切ることを要求する。そのためか危機に陥ったとき、周囲の情報を、五感で感じとる力をも、失ってしまう人が増えているようです!

戦国時代の茶会!

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 戦国時代、戦国のリーダー達の間に「わび茶」が浸透した。織田信長が茶器などを、褒美として武将に与えたことも理由の一つでしょう。高価な茶器を褒美として貰った武将は、茶会を開き、貰った茶器を使い、自分のデモンストレーションを行うと同時に、ストレスの多い武将達の自律神経を安定させたのでしょう。ただ、武将の部下達はどう思っていたのでしょう。部下達はいくら手柄を上げても、「親分が茶器を貰って満足しているが、自分にはなんら収入アップがない」と、不満が蓄積していったことでしょう。また、織田信長や豊臣秀吉を頼っても、部下達は「自分の収入アップは期待できない」と、感じていたことでしょう。「お金の切れ目が、縁の切れ目」ですね!

古代の人々にとって鏡は神秘的なもの!

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 このところ精神に異常があるのでは、と思われる凶悪事件が頻発します。昔もあったのでしょうが、それなりのしくみがありました。「わら人形を、丑三つ時に神社の森の木に釘で打ち付ける」、「呪いの祈祷をお寺に依頼する」など、精神面での気晴らしの方法がありました。というより、神社やお寺が、生きている人をどう救うか、ということに真剣に取り組んでいました。神社やお寺は、自分たちの存在価値をどのように考えているのでしょうか?