弱さを人間関係の武器に!

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 「弱さを武器」にされると対応が厄介ですね。ただ、昨今の、社会への適応が苦手な人達は、弱さを武器にすることができず、自己否定、あるいは、社会否定になってしまうようです。これは、もっと厄介ですね。ネット社会になり、自分の都合の良い情報のみ集め、その情報をもとに、自分の論理を組み立て、厄介な事件を起こす人も出てきてしまいます。真夜中、人に見られないようにして、5寸釘でわら人形を立木に打ち込み、憂さ晴らしをしていた時代の方が、よかったのでしょうか?

お世辞を言ったほうがいい!

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 感謝するということは、その相手に「気持ちの安らぎ」を与えます。自分にとってみても、相手にとってみても、双方にプラスの働きがあります。それが、たとえお世辞であっても、素直な感謝ができれば、双方にプラスの働きになるのでしょう。ただし、その土地の風土も関係してきますので、悪い意味のお世辞と解釈されることもあるので、注意が必要です!

90%の人が第一印象に左右されている、と!

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 「第一印象が大事」とよく言われます。しかし、なぜ人々を見分けられるのでしょうか? 人によって、何らかの雰囲気というものがあるのは確かです。子供時代でも、何か「品」といった雰囲気を感じさせる子供もいます。 やはり、ちょっとしたしぐさ、ふるまい、物腰などを感じ取っているのでしょう。しかし、「歩きスマホ」の時代、そんな感覚が磨かれることも、少なくなっているのでしょう!

嘘を見破るには直観力が必要!

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 「直感力」というものは、いくら知識教育をやっても身にはつかないでしょう。後から、ほとんど音もなく自転車がせまってきたとき、何か「イヤな気配を感じる」ことができるようになるには、五感(あるいは第六感)で感じる力が身についているからでしょう。昔の人は、熊、あるいは、ヘビなどの野生の動物の「殺気」を感じ取ることができたのでしょうが、これは自然の中で育った経験が、DNAのスイッチをオンにしたからでしょう!

利己的に振る舞うと種は亡びる!

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 AI時代を目の前にして、暗記教育の弊害が予測されています。AIは、今までのテストでは、決して人間に負けることはないでしょう。そして、体力面においても、ロボットの時代がくると、人間は到底叶いません。でもひとつの希望が残っています。現代唯一の人類であるホモサピエンスは、知力・体力とも優秀だったネアンデルタール人よりも、生き残り作戦では成功したのです。利己的でなく、協力に喜びを感じる遺伝子が優秀だったからでしょう!

対人関係は、相手ではなく、自分を見直すこと!

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 江戸時代は、地位=権力、名声=名誉、お金=禄高が、集中しないように、権力は老中にあるが禄高は数万石まで、名誉は学術的なものもあるが、公家が名誉を担っていたのでしょう。この力の分散が、争いが起きなかった要因なのでしょう。現在は天皇が名誉の面で大きな力を発揮でき、ひつとのところに力が集中しない仕組みになっているのでしょう。もうすぐ「令和」の時代になりますね!

恨みは、もっとも深く根を残す感情!

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  むかしの人は「恨み」が、自分にとっても害があることを知っていたのでしょう。草木も眠る丑三つどき(午前二時から二時半ごろ)、寺社に参詣し、呪う相手に見立てた藁(わら)人形を境内の神木に取りつけ、人形の体に五寸釘を打ち込む。そうすると呪われた相手は、釘が打ち込まれた部分を損傷するという。「丑の刻参り」である。この丑の刻参りは、平安時代ごろから始まったようです。こんな時間帯になぜ寺社へ赴くのか。丑の刻参りは人に知られずにこっそり行なわなければならないとされているからです。

他人をばかだと思っている人!

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 「評価」という行為は、本来は生き残りのために備わった機能なのでしょう。それが、生き残りのためではなく、「何でも評価してしまう」ということになると、どうでもいいことまで評価し、結局は、自分が息苦しくなってしまうことになるのでしょう。やっかいですね!

よいことを思えば、よいことが起こる!

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 「人づきあい」は、ホモサピエンスが生き残れた大きな理由のひとつ。ネアンデルタール人よりも、大きな集団をつくることができたので、個人の能力では、ネアンデルタール人より劣っていたホモサピエンスが生き残れた。お互いに良い関係を広くつくり、血縁関係に必ずしもこだわらない大家族をつくり、協力する“しくみ”をつくり、大災害を乗り越えてきたのでしょう!

「運命」より、「因果応報」の原則が優位だ!

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 「情けは人のためならず」は、科学的にも正しいようです。良いことをすると、自分自信の気分がよくなり、また、相手からも感謝され、その結果、免疫力を強くする物質が分泌されるようです。これは、人類の歴史の中で、協力していかないと生き残ることができない、という環境の中で、からだの中に組み込まれた、生存機能なのでしょうか?

「何となく」としかいいようのない直感!

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 「何となく」という感覚が身につくのは、教科書からでは無理、体験の積み重ねで獲得するのでしょう。しかし、人生経験を積んだ人でも、マンネリ化した生活では、言葉や文字中心の生活となり、体験が過去の忘れ去られたものになっています。「何となく」という感覚が、鈍くなっている恐れもあります。特に自然の変化が少ない都会暮らしだと、気をつけないと感覚は鈍くなってしまいます。人づきあいもヘタになるのでしょうか?

感謝は人づきあいのエッセンス!

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 「感謝する」ことが出来る人は、「いま」を大事にしている人なのでしょうか。感謝するには、いま現在どのようなことが起きているか、を敏感にとらえることができていないと、ついつい感謝することを逃してしまいます。過去や、この次に何が起きるのだろうかと考えていると、なかなか感謝できないですよね!


「ありがとう」は共感脳を活性化!

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 「ありがとう」と感謝されると、うれしくなります。親切にすることは、自分のためです。相手からの感謝は、おまけです。四国遍路の”お接待”は助けっぱなしです。助けられた側も、助けられっぱなしでよいのです。しかし「お返しとしなければ」と考える風土がある地域(東日本に多いようです)もあります。人類は集団で暮らし、当然のこととして助け合ったから、生き延びてきたのでしょう!


他人を励ますということ!

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 励ましは、どうしても”他人事”という一面があります。なかなか同じ立場に立つことができません。落ち込んでいる人は、それが分かった上で、対応しているのでしょう。そのためか、立ち直りに時間がかかってしまうのでしょう。やはり、自分で自分を励まし、立ち直っていくしかないのでしょう!


「良い恋愛」をしているとき!

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 「失敗してはいけない」、あるいは、「よく思われたい」を前提にした人づきあいは、ストレスが溜まります。それを避けるために、人づきあいがなくなっているのでしょう。地域によっては、「感じがいい人」だとか、「感じが悪い人」などと考えることなく、どんな人でも、そのまま受け入れてくれる地方もあるようです。教育やマスコミは、特定の「あるべき姿」を前提にして、教育なり報道をするため、その「あるべき姿」しか受け入れてはならない、といった考え方になるのでしょうか?


相手に対して抱く感情はブーメラン!

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 「他人に親切にする」ことは、脳の活性化につながっているのでしょう。まわりへの細やかな観察と、その情報をもとに、相手に対しての適切な方法を考え、そして、その実行の方法を考える、ということが脳の活性化に貢献するのでしょうか。また、ホモサピエンスが生き残ってきたことも、この他人への親切が、生き残りへの適切な手段だったのでしょうか!


努めて聞き役に徹する!

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 テレビで見かけるアナウンサーの方、特に女性のアナウンサーの方の表情や動作は、素晴らしいですね。でもなかなかアナウンサーのレベルにはなりません。日本人は、昔ながらの「以心伝心」から抜け出せないのでしょうか。ただ、昨今は外人の方々を見かけることが多くなったので、そろそろ表情や手の動作などがゆたかになっていくのでしょうか!


ほめられて効果が高まる言葉を!

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 核家族が一般化しています。そのため、日頃の生活で、子どもが大人と接するのは、両親と先生だけとなりました。この両者は子どもに対する実務的、といったような話が中心です。無駄話がほとんどありません。その結果、その地域の方言や風土といったものに対する会話が激減しています。子どもの視野が、子どもにとっての実務的なものだけになっています。都会においては特にそうでしょう!


閉ざす言葉……「うるさい」!

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 「うるさい」と思うことは、たびたびありますね。ここで”一呼吸”できるようになるといいのですが。なかなかできないのは、自分の世界で考えているからなのでしょう。自分が、周りの世界に立つことは難しいですね。修業が足りないのでしょう!