目は口ほどにものをいう!

 人と接するとき、相手が「ウソ」を言っているかどうか、どのように見分けているのでしょうか?
 ヒトがまだ言葉をもっていなかった時代、言葉でウソを言うことはできませんでした。すると、ジェスチャーでウソをいっていたのでしょうか?
 他に方法がないので、そうなのかも知れません。しかし、当時でも「目はウソをつくことができなかった」のでしょうね。
 「目は口ほどにものをいう」といいますが、目はウソをついていないようです。ただし、訓練した人を除いてですが!

初めての町で通りがかりの人に「こんにちは」!

 初めて行った町で、見知らぬ子供に「こんにちわ」と挨拶をされることがあります。鎌倉では「まち案内のホームページ」作りで写真を撮っていたら、中学生の男の子に神社で声をかけられ、「約束した友達が来ないので、町を案内しますか?」と声をかけられ、二時間ほど案内をしてもらいました。
 尾道でも、観光客があまり行かない坂道で、子供達に「こんにちわ」と声をかけられました。こんな子供達に出会うと、その町がとても好きになりますね。
 突然見知らぬ人に挨拶されると、最初はすぐにはこちらから返事ができなかったのですが、少し慣れたからは、挨拶をされたら、いつでも挨拶を返せるようになりました。
 こんな町がどんどん増えてくるとよいのですが!

ついていい嘘、ついてはいけない嘘!

 「ウソ」というものは、「自分の生き方で決まってくるもの」のようですね。ついても良いウソは、相手を気遣う生き方ができているかどうか、で決まるようです。ただ、都会生活では、周りの干渉が少ないためか、自分を成長させるチャンスが少なくなっています。自分の自由を多く手に入れることは、自分の成長にとって、良いことなのか、悪いことなのか、難しい問題ですね!

自分の弱さを見せる効果は!

 子供時代にいじめが深刻だと、「自分の弱さを見せられない」という状態になります。そうなると大人になっても、自分の弱さを見せないようにするようになります。これでは他人と親しくなることができません。
 表面的な付き合いに終始するようになります。残念なことに、これが一生続くことになりかねません。難しい社会になっていますね。
 もっと楽な社会を目指したいですね!

幸せは失ってはじめて気づくこと!

 いつも「笑顔」は人とのつながりの最高の方法ですね。世界中を一人旅する人達は、初めての場所では、まず笑顔、言葉が通じなくても笑顔、怖い人に会っても笑顔、これが基本のようです。
 毎日顔を合わす人達には、笑顔を忘れてしまいます。これには特に注意が必要です。たとえ文句が言いたくても、まず笑顔、それから文句を言った方が良いですね。
 ガンなども笑顔が効果があるといわれています。新コロナに対しては効果があるとはいわれていませんが、免疫力アップの効果があるのなら、笑顔がプラスに作用する可能性も期待したいですね!

パソコンがあったらいいな!

 パソコン用の表計算ソフトが普及し始めたのが1980年代の半ば、ほぼ半世紀前です。当初は分厚いマニュアルがあるだけで、教えてくれるところはほとんどありませんでした。分厚いマニュアルも機能についての説明が中心で、入門書といった内容はありませんでした。でも、それにも良い面がありました。「きっと、プラグラムを作った人は”こう考えるだろう”」という発想で、習得できました。それほど基本的な発想でソフトがつくられていました。しかし現在は、ソフトが何でもできるようになり、思いがけない発想でつくられています。そのためか、プログラムミスもときどき起きてしまいますね!

コミュニケーションをとりたいのに!

 ライオンのオスは、家族とどのようにコミュニケーションしているのでしょうか?
 家族に対する役割は、縄張りを守ること、人間で言えば武士が田畑を守るようなものでしょうか?
 しかし、食べ物を入手する働き(ライオンで言えば「狩」、人間で言えば、数千年前からは「農作業」)は行いません。
 農民と武士のコミュニケーションがそれほどないように、役割を中心に集団を作っていれば、それでいい、ということなのでしょうか?
 今の社会では、家族のコミュニケーションがものすごく大事なものとして、情報が発信されています。でも、1970年代頃まででしょうか、「亭主元気で留守が良い」が常識でした。ほんとうはどちらが良いのでしょうか?
 2012年の研究では、夫婦で、男性が仕事で最も忙しい40代のとき、女性の幸福度が高く、男性の年齢が上がって行くにつれ、女性の幸福度が下がっているそうです!

ヒューマンタッチ感覚が薄れていく!

 新コロナ伝染病で、人同士の接触が難しい状態が続いています。これが原因で人づきあいも下手になっていくのでしょうか? 人付き合いが下手になってきたのは、昭和の高度成長期の少し前から、電話が普及し、核家族が増えていき、その後は、携帯電話になり、インターネットが拡大した結果なのでしょうか?
 言葉による情報が多量になってきた現在でも、「痛みに関する言葉」は、オンライン診療がささやかれている現在でも、まったくといっていいほど整備されていないですね。方言の中には、その地方特有の病気に対する言葉が多くあると思われるのですが、一般的な言葉にはなっていないですね。
 数万年かけて人同士が築いてきたノウハウ、特に視覚や言語以外の感覚が鈍くなってきているのでしょう。 また、人だけでなく、自然が発している危険信号を受信する感覚も、劣化しているようです!

自分の中のかわいらしさを引きだす!

 どんなときでも、「自分のいいとき」のイメージを思い出して、人と接することが大事ですね。いつお眉間にしわをよせているようでは、相手は警戒してしまいます。「いいとき=微笑(笑顔)」を顔に浮かべて人に接していると、いいことが増えてくるのでしょう。
 その特性を利用して人をだます人もいるので、笑顔を浮かべながらも、無防備ではいけないのでしょう。今はそんな時代になっているようです!

人は、聴く能力の四分の一しか使っていない!

 「聴く」という技術は、かなり難しいものですね。どうしても、自分の知識、そして先入観をもとに聴いてしまいます。相手の価値観をもとに聴くことは、かなり難しいものです。また、話す方も、聴く方を観察しながら話す方もいれば、一方的に話す方もいます。もっとも、話の中で、真剣に意思疎通が必要な会話はごく少ないので、それほどは気にしなくても良いのですが、重要な話しを、軽めに話す人もいますので、見逃してしまいます。話す方も、聴く方も、真剣な話しかどうか、見逃さないようにしなければなりませんね。難しいですね!

行きずりの人からも情報を得よう!

 日本の風土もいろいろあります。西日本では隣町でもかなり違っています。関西の大阪、京都、奈良、神戸などと、関東の東京、神奈川、千葉、埼玉などと比べると、関西のほうが風土の違いが大きいです。そのためか「行きずりの人」への対応も、地域によってかなり違うようです。その地域の写真を撮りながら歩いていると、大きな川を隔てて、西と東でも違っているな、と感じることも多いです!

恋人から突然別れを切り出されたら!

 悩み事で相談を受けたとき、社会的なしくみや法律に関することは別として、説得や提案で解決しようとすると、相手にとっては迷惑なこともあるのですね。ついつい説得しようとする人が多いと思うのですが、単に”聴くだけ”も大切なのですね。その道の専門家はともかく、単に聴くだけということは、思っている以上に難しいことのようです!

プラスの感情でさえ穏やかな心を失うことに!

 人と接するとき、“相手に合わせるか”、“自分のままでいるか”、無意識に使い分けているのでしょうね。そんなことをしなくてもよい「自分」ができるとよいですね。ついつい置かれている状況に合わせて行きますね。それが世間での付き合い方ですからね。ただ、それが大きな負担になり、外に出ることが苦手になっている人もいます。「自分を造り上げる」には、長い時間と鋭敏な観察力を鍛えたえ上で、多彩な考え方を理解していく必要があるようです!

感謝の心をもって接するように努力!

 感謝の心は、「ありがとう」などの言葉にしないとなかなか伝わりません。関西や西日本では「ありがとう」という言葉をよく聞きます。バスの運転手さんや、役所の窓口などでも聞きます。しかし、関東ではあまり聞きません。「ありがとう」を口にしていると、いつの間にか周りに対して感謝の気持ちが生まれてきます。何気ないことでもいつも「ありがとう」と言いたいものです!

女性の井戸端会議は必要!

 妻田薬師、正しくは、西隣にある遍照院というお寺の薬師堂です。
 伝説によれば、本尊の薬師像は聖徳太子によって造られたといわれています。お堂がいつごろ建てられたのかはわかりませんが、室町時代の末には信仰を集めていたようです。
 薬師堂のある地名は、白根といいます。言い伝えによれば、良(ろう)弁(べん)という僧がお堂で休んでいて夢を見ました。東の方を見ると、庭の大楠が灯籠になり、お堂は昼のように明るくなりました。良弁が身を清めようとして池の側へ行くと、一夜のうちに蓮の花が咲いて、白い根が池一面に広がりました。そこでこの地を白根と呼ぶようになったそうです。

目は多くを語ります!

 人と接するとき、「自分=思い込み」をいかに捨てて接することができるか。子ども時代は「自立」がひとつの目標でしたが、歳を刻んで行くにつれて、自分の中に溜まってくる“思い込み”を、いかに横に置いて、他人と接することができるか、が大事ですね。子どもはやむを得ない面もあるのですが、大人は、ものすごく意識していないと、“思い込み”から脱出することができないですね!

相手の自由を侵害しない!

 自己中心は、二十代の前半までに何とか卒業したいもの。もちろん、もっと早く卒業する人もいます。しかし、老後まで自己中心を続ける人もいます。今回の新コロナ伝染病に接すると、自己中心の人が、少しづつ少なくなっていきます。死者が人口の半分くらいまで行くと、自己中心の人は、生き残っていけなくなるのでしょうか!

友人はひとりでにやっては来ない!

 「友達を作ろう」と思っていると、なかなかできないものですね。自分の”ありのまま”で、人と接していると、友達が出来てきます。自分が演技していると、友達が出来たと思っていても、つきあいは短いものです。しかし、情報化時代、”ありのまま”で生活することが、昔よりは難しくなっているのでしょうか?

生活の中でスタンディングオベーションを!

 日常で「一生懸命やっているな」と感じたら、必ずほめたいものです。「自分には出来ない」と、あるいは、「出来るかも知れないが、ものすごくがんばらないとできない」と感じたら、スタンディングオベーションをするくらいがとよいですね。現在の新コロ感染時代は、医療関係者が一番頑張っています。そのガンバリをほめてあげたいですね。現時点では、医療関係者が一番知識があり、しかも異常を感じたら、素早く検査を受けられる環境にあるので、一般の人に比べると「他人に感染させるリスクが一番低い人達だ」と考えることが正解と考えるべきでしょう。マスコミの報道は、このことをもっと報道してほしいものです!

多くの人に支えられて生きている!

 最近、人間関係を表す言葉として「絆」という表現が多くなっています。それにはどうも違和感があります。絆の語源は「馬の足にからめてしばるひも[漢字源]」です。人を束縛する義理・人情などのたとえです。すこし重すぎる言葉なのですが、東日本の風土では重く感じないのでしょうか? 「人との繋がりを………」という言い方の方が自然に感じるのですが、風土によってかなり違うのですね。