むかし勤めていた会社でタイから来た人達、昼食の時、食堂の七味唐辛子がアッという間に無くなっていました。
暑い国ではトウガラシをたくさん貯めることを知りました。
トウガラシに含まれる成分が、暑さ対策に効果がある、とのこと、熊本の暑さ対策に効果があるのでしょうか?
現在からみ成分が強いものが日本の食堂でも発売されています。
でも、暑さ対策としてはどうなのでしょうか?
2026年のアーカイブ
尾道 聖観音に祈願して海難をのがれた「善勝寺」
厚木 飯山の観音さん「長谷寺」
性格は、人生のいろいろな段階で変わっていく!
海老名 江戸時代初期に創建されたか「龍昌院」
嫌われているなと思っている人には挨拶をしておく!
自然に話せる人がいたり、気お使いながら話す人がいますね。
相手が、自分の知識にこだわる人は、話しにくいですね。
知識というものの多くは、ある条件の中で正しいものが多いのですが、そのことを意識しないで、どの場面でも正しいと思っているようです。
それに気づいたのは小学校の家庭科の時間です。
「新鮮な魚の見分け方」で教科書には
①目の色の澄んでいるもの
②えらの色が鮮やかなもの
などが書いてありました。
しかし、私の育った町では、魚に触って動くかどうかでした。タコとかイカでは、吸盤にさわって吸いつくかどうかでした。
テストに体験をもとに答えを書くと「×」なのでしょうが、教えられる知識に疑問を持ちました!
鎌倉 退居寮として開創「白雲庵」
物質的な富を誇っても、その人自身の価値ではない!

自然にそって生きていくのが生物の基本。
その本の中で、状況に応じて協力しながら生きてきた人間。
しかし、文明が出来、産業革命を行い、いつの間にか自然は制御できると、思ってしまいました。
でも、自然はそう簡単には、人間の思うとおりにはなりませんね!
尾道 四十八夜念仏修行ののち入水往生「信行寺」
近日中にかたづけるべき仕事を列記する!
厚木 相模国式内社の「小野神社」
現在の拝殿は、嘉永(かえい)元年(1848年)に建てられ、わら葺屋根でありましたが、昭和四十三年に鉄板蓑きに替えられました。本殿は拝殿よりも1mほど高い地面に神明造(しんめいづく)りで造られています。「新編相模国風土記稿」に「閉香明神社(かんかみょうじんやしろ)、村の鎮守なり延喜式に載りし小野神社、当国十三社の一(いつ)にて祭神(さいじん)下春命(したはるのみこと)という」とあります。
明治時代になってから、この神社の祭神には日本武尊(やまとたけるのみこと)も加えられました。それは日本武尊が東国の賊の征伐に向かった際、野火の焼きうちの苦難にあうという「古事記」に記述の地が「小野」と関係するとして祭神に加えたもののようです。
(「玉川の歴史と民話を21世紀に」(玉川地区協議会)より)
マネジメントは、あくまで「継続的なもの」!
鎌倉 登り口に「星ノ井」のある「虚空蔵堂」
虚空蔵菩薩は密教で発達した仏です。果てしなく大きな智慧と福徳があるとされ、その智慧を頼って「虚空蔵求聞持法(ぐもんじほう)」という修法(しゅほう)が生まれました。この菩薩の陀羅尼(だらに)を百万遍唱えると、人並み外れた記憶力が授かるといいます。空海もこれを成し遂げ、利益を得たそうです。
また、五大虚空蔵菩薩を本尊とした息災・来福の祈願法もあります。五大虚空蔵菩薩とは、金剛界曼荼羅(まんだら)の如来が虚空蔵菩薩に変化したもので、菩薩の法力を五つに分けて五尊で表しています。
基本的なすがたは菩薩形で、蓮台に座しています。右手には智慧を象徴する剣を、左手には福徳を表す如意宝珠(にょいほうじゅ)を蓮華の上にのせて持っています。ただし、求聞持法の本尊となるときは、右手は与願(よがん)印です。
トリビア:虚空蔵菩薩を本尊とする寺では「十三参り」が行われる。数えで十三歳になると、福徳・智慧・健康を授かるようにとお参りする行事。
(『イラストでわかる「日本の仏さま」』 日本の仏研究会編より)
些細なことに対しても、ふらつかない胆力!
尾道 昔、夜毎に海上を照らした玉の岩の「千光寺」
顔の表情は感情の鑑!
座間 家康が鷹狩りの途中に寄った「宗仲寺」
夏の暑い日は体温と同じくらいまで気温が上昇!
鎌倉 女性にとって圧政の時代に救いの寺「東慶寺」

東慶寺といえば、駆け込み寺とか、縁切り寺とも呼ばれ、女性にはこの上なくありがたい男子禁制の尼寺だった。妻の方から離縁を申し出ることなど許されない封建時代にあって、ここに駆け込めさえすれば、「離婚できる」というのだから、江戸時代、多くの女性がこの尼寺に駆け込んだものもうなずける。江戸末期の150年間には約二千人の女性が駆け込んだともいわれている。江戸時代には女性の自由が極端に制限されていた時代である。そんな時代にこの東慶寺こそ、女性にとって人生をやり直せる稀有な緊急避難場所だった。
定年と同時に、妻から三行半(夫から妻または妻の父兄にあてた離別状…三行半に書く習慣からいう)をポンと渡され、おろおろする中高年の男性も多い昨今、往時の抑圧された女性達の境涯を想像するのは難しい。女性にとって圧政への時代に、この尼寺の担った役割はきわめて重要だっただろう。封建制度の矛盾のほころびを補う役割を果たすことで、ガス抜きの効果をも果たしていたのかもしれない。時代の必然の賜物だったのかもしれない。
(「鎌倉なるほど事典」楠本勝治著 実業之日本社 より)

















