日本の文化の礎は稲作にある!

 米が高くなっています。米離れが起きなければ良いのですが、稲作は日本の風土の原点にあるので。
 神社やお寺などで「雨乞い」をしますが、農作においては欠かせないものです。その中心が稲作です。
 また、年貢も稲作が基準です。安定した米を生産するには、水の安定供給が必須です。
 西日本では大きな川が少ないため、溜め池が中心ですが、関ヶ原より東(関東)は、大きな川が多いため灌漑施設が重要です。
 溜め池造りに較べ、灌漑施設造りは多くの人が必要です。推論ですが、関ヶ原より東側の武士達が日本の統一が出来たのは、多くの人を統一して動かすノウハウを知っていたからでしょうか?

厚木 その昔、草競馬の催された「長谷寺」

【観音堂】 (重要文化財)

 建久年間(1109~1198)源頼朝公が秋田城介義景に命じ造営を加えしめられた。
 だが、嘉吉二年(一四四二)春一山炎上する処となり、ついで六間半四面の堂宇を再建されたのが堂宇であります。宝形堂で斗棋の組み物や、十二支を素朴な彫りに飾った墓又等によった格調高い建築様式です。内陣には寛文十二年(1672)に旧飯山村の大工西海氏によって造られた厨子が安置され観音堂と共に重要文化財に指定されており、その中に本尊十一面観世音菩薩立像が納められている。

(「長谷寺案内」長谷寺発行より)

日本では昔から「湯治」が行われてきた!

 温泉のブームが始まる前、東日本地区の温泉巡りをしていました。
 温泉紹介の本づくりのため、取材がはじまり、徐々に温泉巡りを止めてしまいました。
 当時、宿泊するところで、夕方と朝方、そして昼間に三ヶ所の別の温泉巡りをしていました。
 出来るだけ無料の温泉巡りをしていたので、山の中が多かったのですが、そんなところまで取材に来るようになっていました。
 温泉は健康に良いのですが、山の中の温泉は気持ちもリフレッシュしますね!

鎌倉 タブの木が枝を広げる「八坂神社」

 八坂大神ともいう。祭神は須佐の素戔嗚尊(すさのおのみこと)、桓武天皇、葛原親王、高望王。つまり、桓武平氏の先祖を祀っています。
 相馬師常がいまの巽神社付近に勧請したもので、かっては相馬天王と称しました。相馬師常は千葉常胤の二男で、頼朝挙兵に参加、平氏との一ノ谷の合戦にも参加、奥州合戦にも加わり、源氏の武将ととして名を高めた人です。
 銭洗弁天は当神社の境内末社であったが、1970年に独立しました。

感情によって同じものが違うものに見える!

 「見る目=感情」で物の見方が変わります。ということは、見る目を広げるには、多彩な感情を持たなければならない、ということになります。
 すると、やはり自然の中で育つことも大事なのでしょうね。日本の四季は多彩な変化をしています。それだけでなく、台風や水害、地震もあります。
 子供の時から、都会で、危険の無い公園で遊んでいたのでは、やはり視野が狭くなってしまうのでは? 心配になります!

福山 鞆 神功皇后が海路安全を祈る「沼名前神社」

 ここは第十四代仲哀天皇の時代に始まりましたが、ちなみに初代の天皇は神武(じんむ)天皇が即位したんが紀元前660年。 この神武天皇が即位した年を「神武天皇即位紀元」とした「皇紀(こうき)」という年号が戦前まで使われていました。
 西暦2020年は皇紀2680年となり、日本という国は2680年の歴史があるということで、これは世界で一番長く続いている国ということです。
 現在の沼名前神社は、明治に渡守神社(わたすじんじゃ)・鞆祇園宮(ともぎおんぐう)を合祀し、『延喜式』神名帳の記載にならって「沼名前神社」と改称したものです。神社側では、渡守神社が『延喜式』神名帳所載の式内社で、同社が現在に至るとしています。現在の祭神二柱(大綿津見命・須佐之男命)は、それまでの各社の祭神です。

人の足を引っぱると、自分もまた同じ運命に見舞われる!

 SNSで情報発信が簡単にできるようになると、悪口も増えてきます。
 小さいときから過保護の環境で勉強ばかりし、自然の中で遊ぶことがないと、自分が置かれている状況を正しく理解しようとせず、勉強で得た知識だけで判断してしまいます。
 勉強で得た知識が正しいとしか考えない人は、SNSで発信された情報も、正しいものとして受け取ってしまうのでしょうか?
 歴史など見ていると、権力者に沿った情報だけが重要視され、権力を失った人達の良い情報は、廃棄されるか、無視されます。そして、権力者に沿った情報だけが残ってしまい、教科書ではそれが正しいと教わっているようです!

尾道 瀬戸田 地下の巡礼「耕三寺 千仏洞地獄峡」

 千仏洞地獄峡 – 約350mに及ぶ地下霊場。仏教世界の地獄観・極楽観を描く。

 1961年から着工し、内部は富士山と浅間山から運んだ溶岩が積み上げてある。完成まで3年を要した大工事だったという。これだけの長さ、しかも、立体的な洞窟が境内にあるお寺さんは、ここが初めてです。

 洞内は「往生要集」を体感するための空間とされている。