厚木 弘法大師の伝説、荻野川「秋葉神社」

 祭神は、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)で伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)の子供。

 ここにも三尺坊というお天狗様が現れ、
 「われこそは秋葉大権現なり、全市全町の火災を防ぎ盗難を除く、われを念ずる者は火の災いをのがれしめ、願いのある者はその願いを成就せしめ、各家無病息災ならしめん……」
 との声を残して消えたのでしょうか?

 三尺坊の十三の誓願の中でも三大誓願に、
1、失火と延焼と一切火難を逃がす
2、病苦と災難と一切の苦患を救う
3、生業と心願と一切の満足を与う
とあるので、他にも対応できるのでしょう。

聖徳太子が実在の人物ではなかったという説が!

 誰も知っている、日本古代の偉人「聖徳太子」、近年、「聖徳太子が、じつは存在しなかった」という。
 教科書表記にも影響を及ぼすほどになっています。
 教科書では、いままでは「聖徳太子」と書かれていたのですが、最近は「厩戸王(聖徳太子)」とカッコつきの表記に変わってきています。
 「聖徳太子」と私たちが呼んでいるこの名前は、彼の本名ではありません。これは彼の功績を称える人々が、後世になり彼に贈った名前で、贈られた人物の名は「厩戸王(うまやとおう)」。この「厩戸王」は実在の人物です。

鎌倉 明治時代まで縁切り寺として連綿と寺法を維持「東慶寺」

 東慶寺は、山号を松岡山(しょうこうさん)という臨済宗の寺です。1285年(弘安8年)、北条時宗(ほうじょうときむね)の夫人の覚山志道尼(かくさんしどうに)を開山として、時宗の子貞時(さだとき)が建てたといわれていますが、源頼朝の叔母の美濃局(みののつぼね)が創建し、山尼が禅宗に改めたともいわれています。
 覚山尼は、時宗が仏門に入ったとき、一緒に尼となって東慶寺に入り、禅の修行に励みました。有名な「縁切寺法(えんきりてらほう)」をつくったといわれていますが、これが確立されたのは江戸時代だといわれます。
 江戸時代、鎌倉では鶴岡八幡宮・円覚寺につぐ寺領を持ち、建長寺よりも多くなりました。

避けて通れぬことは避け無い!

 自然な中で育つと、避けられること、避けられないこと、を体験します。
 避けられないことに出会ったとき、どう対処するか、考えざるをえません。
 その体験を繰り返していると、いろいろな場面に出会っても、冷静に「どうしようか」と考え、対応します。
 昔は「ガキ大将」がいましたので、自分が小さいとき、自然の中でどのように対応するか、学ぶことが出来ました。
 また、自分が大きくなり、ガキ大将になった時、その経験を小さな子に教えていました。
 今は「ガキ大将」がいなくなりましたね!

尾道 江戸時代の豪商橋本家の「爽籟軒庭園」

 橋本家は、江戸期から尾道を代表する豪商として知られ、尾道市街地の中で広大な当地は橋本家の別荘であり、爽籟軒と言われていました。橋本家は江戸期に代々町年寄を務め、田能村竹田、菅茶山ら多くの文人墨客と交友し、頼山陽や本因坊秀策を支えたことで知られています。

 また橋本家は、重要文化財浄土寺方丈建立(1690年)をはじめ、神社仏閣への寄進や、飢饉に際して慈善事業(1834年慈観寺本堂建立)を行い、更に1878年には県内初の銀行である第六十六国立銀行(現広島銀行)の創業、尾道商業会議所の創設(1892年)など、近代産業や諸機関の普及、育成に尽力しました。

 こうした江戸時代の茶園文化を伝える爽籟軒庭園は、尾道を代表する庭園として知られ、年間を通じて茶会が行われ、毎年、10月第2土曜日は夜間特別公開として、尾道灯りまつりにあわせ、優雅な姿を公開しています。また、今年はしまのわ大茶会として、10月19日に爽籟軒でも茶会が行われます。
(尾道市東京事務所便り 平成26年9月号より)

色彩は想像する以上に、行動に大きな影響を及ぼす!

 動画や文字情報は、“見ている”という意識がありますが、色については、見ているという意識はそれほどありません。
 しかし、気持ちや心への影響はかなりあるようです。
 商店など、人を引き込む所では、かなり意識されているようです。
 人は、意識していなくても、色は、人の行動を左右しているようです。
 色彩の認知度は、男女差があるのでしょうか?
 もっと注意して、色彩の影響を意識しなければ行けませんね!

相模原西部 庚申信仰の“青面金剛”が!「勝源寺」

 勝坂の金沢山勝源寺は、曹洞宗愛甲郡小野竜鳳寺末で開山は笑山充間(寛永五年没)、開基は村民伊右衛門(寛永10年没)である。ここの青面金剛は明治時代に養蚕祈願の庚申さまとして賑わったお寺です。
  厚木にある龍鳳寺の末寺で山号を金澤山(こんたくさん)といい、御本尊は千手観音(千の慈手・慈眼をそなえて、あまねく衆生を済度(さいど)するという変化観音。普通は、合掌手を除き四十手、掌中に各一眼を持ち、一手ごとに二十五有を救うといい、頭上に二七面または十一面がある。)です。本堂の一角には、青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)が祀られていて、六本庚申、千体庚申などと呼ばれていました。

終戦8月15日(9月2日)戦争報道で「シベリア抑留」は?

 終戦の日に、原爆に関する放送はそれなりにあるのですが、「シベリア抑留」に関する放送は、まずありませんね。
 物理的な情報が残っていないこともあり、また、話す人もそれほど多くないことが影響しているのでしょうか?
 しかし、シベリア抑留の話を聞くと、いまのロシア(当事はソ連)の風土が分かり、現在、ロシアがウクライナをなぜ侵略しているのか、より深く考えるキッカケになります。
 シベリア抑留の情報は、それほど多くはないのですが、機会があれば情報を手に入れましょう!

鎌倉 浄土、真言、華厳、律の兼学の寺「浄光明寺」

 北条時頼と長時により創建され、「浄光明寺敷地絵図」に示されるような中世の状況を残しています。鎌倉歌壇の成立を物語る冷泉為相(れいぜんためすけ)の墓があります。
  冷泉為相(1263~1328年)は異母兄弟の二条為氏と播磨細川荘の相続争いで、訴訟で鎌倉に来ていた。(「十六夜日記」の作者 阿仏尼は冷泉為相の母。京都から16日間歩いて鎌倉に来たとのこと)
 1335年、一時足利尊氏がこの寺に引き篭り、後醍醐天皇に対し挙兵する決意を固めたという。尊氏、直義兄弟の帰依は厚く、尊氏による寺領寄進、直義による仏舎利の寄進などが行われたことを書いた古文書が残っています。

自分が正しいと信じる生き方、それを他人に押しつけてる?

 「””自分が”正しい」を、他人(部下)に押しつける人。その中には、ロシアのプーチンや今の兵庫県斎藤元彦知事、日本の歴史では織田信長など。
 ””正しい”ためなら、平気で人お命を奪ってしまいます。正しいことをしているという感覚で悪いことをしてしまう人、これが一番タチが悪いのです。頭がいいだけに、手のつけようがありません。
 昔は、その対策としては、暗殺しかなかったのですが、今は対策はあるのですが、充分とは云えないようです。現実に、長く続いていますから!