縄文時代の遺跡から、稲作の痕跡が次々と発見されている。少なくとも約6000年前。縄文時代の遺跡に水田の跡が見つからないため、稲作がなかったとされていた。しかし、焼き畑農業でも稲は作れる。ただ、当時の稲は熱帯に適した品種(熱帯ジャポニカ)で、西日本での栽培に適していたのです。
8月 2022のアーカイブ
尾道 江戸時代の豪商橋本家の別荘「爽籟軒庭園」
橋本家は、江戸期から尾道を代表する豪商として知られ、尾道市街地の中で広大な当地は橋本家の別荘であり、爽籟軒と言われていました。橋本家は江戸期に代々町年寄を務め、田能村竹田、菅茶山ら多くの文人墨客と交友し、頼山陽や本因坊秀策を支えたことで知られています。
また橋本家は、重要文化財浄土寺方丈建立(1690年)をはじめ、神社仏閣への寄進や、飢饉に際して慈善事業(1834年慈観寺本堂建立)を行い、更に1878年には県内初の銀行である第六十六国立銀行(現広島銀行)の創業、尾道商業会議所の創設(1892年)など、近代産業や諸機関の普及、育成に尽力しました。
自分の過去の失敗を笑い飛ばす!
「失敗は成功の母」、「失敗の原因は我にあり」と受け止めると、失敗の原因をなくすため一所懸命に努力します。そして時間がたつと笑い話にすることもできます。
肝心なのは失敗の生かし方です。
「この失敗は自分のやり方が間違っていたからだ」と考えれば、いろいろな反省ができます。すると同じ失敗を繰り返さなくなります。
気をつけなければいけないことは、私たちの頭脳は、一つのことを続けていると慣れてきます。考え方や行動がワンパターン化する傾向が強くなります。
すると、現状をきちんと観察しないで、ワンパターン化した発想で解決しようとします。社会が変化しているときは、失敗することが増えてきます!
鎌倉 鎌倉十井の一つ底脱ノ井「海蔵寺」
海蔵寺の入口の右手に、鎌倉十井(じっせい)の一つ「底脱ノ井(そこぬけのい)」がありますが、この井戸には、次のような話が伝わっています。
室町時代のころ、上杉氏の娘が尼になって修行していた時のことです。
夕飯の仕度に水を汲むと桶(おけ)の底がすっぽり抜けてしまいました。そのとき心の中のもやもやがすっと解け、悟りが開けたといいいます。
その尼の賤(しず)の女(め)が
いただく桶の 底脱けて
ひた身にかかる 有明の月
と歌ったと伝えられています。
好きなことをやっている人!
好きなことをやる。その際は、上とか下という順位の評価をしないこと。ただ、ただ、「これはこうなのか」と、それだけで良いようです。
料理でも、「うまい」「まずい」ではなく、「これはこうゆう味なのか」でよい。
商売(ビジネス)では、うまい=多くの人が好みだ、という評価は重要ですが、個人の好き嫌いのレベルでは、事実を事実として受け入れる方が、長続きするようです!
愛川町 田代の半僧坊と呼ばれている「勝楽寺」
半僧坊や田代の半僧坊と呼ばれている勝楽寺。遠州奥山方廣寺(静岡県浜松市北区)より勧請した半僧坊大権現が祭られていることから、「田代半僧坊」と呼ばれています。
半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に出会った白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。
禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、老人は「私は半僧です。」と答えたことから半僧坊と呼ばれるようになったそうです。
その後、無文元選禅師が亡くなると、姿を消したと言われています。
変化の時代、どのような人が残れるか!
社会が大きく変化している今、マニュアル、特に市場に関係するマニュアルについては、参考にしつつ、新たな視点で見直す必要があるのでしょう。
知識や書籍は、たとえ将来についての情報であっても、基本的には過去の視点でつくられたものです。
常に今を観察し、今の情報から将来を考え、対応することが必要ですね!
尾道 石鎚山修験道の縮小版「浄土寺山鎖場」
この「くさり」は、四国石鎚山に参詣できない人々のために石鎚山修験道の縮小版として、修験者の修行の場を海龍寺の裏山に設けた、と言われています。
写真は 2013年~2014年の落石対策工事前です。
鎖場が1番から3番あり、1番が一番長く、3番は“腕の力”だけで登る箇所もあります。
ほぼ斜面を真っ直ぐ登りますので、かなり急斜面を登ることになります。
各鎖場は、横に迂回もできますが、山道として整備されてはいません。
夜型の悪循環を断ち切りたい!
夜も暑くてなかなか寝付けない日が続いています。このような季節、朝型の人と夜型の人と、どちらが有利なのでしょうか?
どちらにしろ、思考力は落ちているのでしょうね。
ところで、暑い地域で育った人と、寒い地方で所だった人では、暑さ・寒さへの対応力が違うようですが、からだのどこに違いが生まれているのでしょうか?
鎌倉 道路脇の小川を渡ると「八坂神社」
八坂大神ともいいます。祭神は須佐の素戔嗚尊(すさのおのみこと)、桓武天皇、葛原親王、高望王。つまり、桓武平氏の先祖を祀っています。
相馬師常がいまの巽神社付近に勧請したもので、かつては相馬天王と称しました。
相馬師常は千葉常胤の二男で、頼朝挙兵に参加、平氏との一ノ谷の合戦にも参加、奥州合戦にも加わり、源氏の武将ととして名を高めた人です。
銭洗弁天は当神社の境内末社であったが、1970年に独立しました。
右利きの人、左利きの人!
右利きの人と、左利きの人の寿命に、差があるようです。脳の負担に違いがあることが原因なのでしょうか?
左利きの人が、右手に箸を持ったり、鉛筆を持ったりしていると、やはり寿命に違いが出るのでしょうか?
研究している人もおられるようですが、あまり情報がありませんね!