明るくなるためのヒケツ!

 このような危機的状況なときほど「笑顔」が大事ですね。たとえ作り笑顔でも、相手には伝わるようです。危機的な状況で耐えることを続けて行くには、笑顔が力を与えてくれます。自律神経のバランスを保つにも、また、大声を出さない場面づくりにも、笑顔が大事です!

尾道 良港鶴湾に昔、せりだしていた「丹花小路」

 江戸時代には、石見銀山の銀を運ぶ通路(丹花小路)だったようです。

「丹花小路」

 美しい天然の良港鶴湾にその昔、細長くせりだしていた丹花。鉄道以南唯一の高台としてその跡をとどめ、近所の人いがい通ることのなくなった丹花小路(元は長江一丁目荒神社前から久保一丁目橋本玩具店前)の中間あたりにスッキリした高さ2.1mの宮立型燈寵がたてる。
 灯範柱の北側から「願主家内安全」金比羅大権現が小さく「常夜灯」「町内安全」「文政六年」(1823)と刻まれ、同時代を代表する型のほか、その当時神社仏閣、豪商などの私邸に多く造られていた石造美術品にたいし、庶民の手により今で云う街路防犯灯の役目を果した灯籠としての意義は注目されよう。

会社から飛び出して何ができるか!

 親の言うこと、先生の言うこと、上司の言うこと、などを聞く(従う)ように育ってくると、現在の新型コロナウイルス対策においても、政府の言うこと、知事の言うことなどに従おうとして、ハッキリした指示がでないと不満を漏らします。テレビに出てくる評論家達の多くも、「国からハッキリした指示が出ない」とこぼしています。世の中には「指示待ち人間」が明らかに多くなってきているようです。高度な教育を受けるほど、他人(指導者・専門家)の知識で判断・行動するようになるのでしょうか? ハッキリしたことが分からないときには、自分の「体験や経験」で推測し、判断するしかないのですが、指示待ちになる人が多いようです!

鎌倉 洪鐘(おおがね)と呼ぶ「円覚寺 鐘楼弁天堂」

 急な石段を上ると、正面に弁天堂があります。その左側には、「正安三年」(1301年)の年号が記された梵鐘(国宝)があります。この梵鐘は、北条貞時が物部国光(もののべくにみつ)に造らせた鎌倉時代の代表的な名鐘の一つで、高さは2.59mもあり、関東地方最大の鐘です。また、鐘楼の鰐口(わにぐち)には「天文九年」(1540年)の年号が記されています。弁天堂は、麓鐘が江の島弁財天の教えによって鋳造に成功したという伝説により建てられています。

安心感は滅亡の最大原因!

 ダイナマイトを発明したノーベルは、戦争をなくすることを目的としてダイナマイトを発明しました。しかし、結果は、戦争がもっと悲惨になりました。そのことを反省し、ノーベル賞をつくりました。無差別爆撃を賞賛する映画をつくったディズニー、あるいは、原子爆弾を開発した科学者は、自分達を正当化する方法を探し回っていたのでしょう。後世に平和がやってくるような「しくみ」づくりには、取り組むことができなかったようです。大国になるには、やはり非常さが必須なのですね。中国もそうですが!

福山 鞆 キリシタンに友好的であった「慈徳院」

 慶長年間、備後国を領有した福島正則によって、鞆の浦の寺々はほぼ一直線に結ばれ、寺町が形成されました。その寺町筋に位置するお寺のひとつが、この慈徳院です。
 福島正則が大檀越(だいだんおつ/「檀越」とは、仏教を後援する人のことをいいます。仏僧に帰依し、衣・食・住に関してのお布施をしたり、お寺の経営を支えたりします)となり、ご本尊・聖観世音菩薩像を寄進。そして、高僧・松雪得松禅師が開基したと伝えられています。その後、中興の祖・月湛(げったん)亮和尚がご本堂を再建し―。現在でも、境内に美しい緑をたたえながら、鞆の浦の町に静かに佇んでいます。

安心感は滅亡の最大原因!

 戦後75年、戦前からの100年間は、歴史上かつてないほどの激動の時代のようです。戦前の時代、戦争中、戦後の貧しい時代、そして高度成長、オイルショック、バブル時代、バブルがはじけた時代、新コロナで激変が起こりそうな時代、そして、温暖化で地球環境が変化し災害の時代が来るのでしょうか。その変化に対応してきた日本。これからの変化にも何とか対応していくしかないですね!

鎌倉 恵比寿と同一視される「蛭子神社」

 昔、本覚寺の鎮守でその境内にあった夷三郎(えびすさぶろう)をまつる夷堂が、明治時代になって寺と分けられてこの地に移り、蛭子神社と名付けられました。この場所には、もと小町下町(こまちしもまち)の鎮守の七面大明神(しちめんだいみょうじん)が、小町上町(こまちかみまち)の宝戒寺の鎮守であった山王大権現(さんのうだいごんげん)とー緒にまつられていました。
 本版は、1923年(大正12年)の関東大震災で壊れましたが、1933年(昭和8年)改築されました。
 夷堂は、今は再び本覚寺に移されています。

人間的なバランス!

 十代後半から、「精神的に大人になるのは35歳までに」という意識があれば、若いときの思い上がりがもっと少なくて済んだことでしょう。二十歳になると、もう大人(精神的にも)と思ってしまい、他人の意見に耳を傾けることが、少なくなってしまいます(もちろん謙虚な人もいるのですが)。若いときから謙虚な人は、どんな危機的な社会であっても、冷静な判断ができるのでしょう!

尾道 綿密に検討し架けられた斜張橋「尾道大橋」

 1968年(昭和43年)3月に尾道大橋有料道路として開通。
2013年(平成25年)3月31日に料金徴収期間満了し無料開放された。
 本州本土と向島の間にある幅約200mの尾道水道を結んでいる。
  ・全 長 : 386m
  ・形 式 :3径間連続鋼箱桁放射形斜張橋
 尾道大橋は,我が国で建設される斜張橋では初めて最大支間が200mを超え、本格的斜張橋の先駆けとして、綿密な検討をし架けられました。
 尾道の旧市街地全体を見ることができます(しまなみ海道の新尾道大橋が少し邪魔ですが)。季節を選びます(冬の前後か?)が、夕日がきれいでしょう(季節によって、夕日が沈む位置が違います)。ただ、歩行者にとっては、少し歩きにくいです。自転車での通行は、狭い箇所があり、やっかいです。

「人」によく思ってもらいたい!

 世間体ばかりを気にしていると、自分というものの確立が難しくなってきます。「世間に振り回されるか」、「世間を振り回そうとするか」、そのどちらかになってしまうと、取り返しがつきません。世間体の基礎は、子供時代に過ごした土地の風土が大きく関係しているようです。県民性と言われるのは、その土地の風土が影響しているのでしょうね!