異常な暑さが続いています。50年前の気温は、現在より4~5度くらい低かったように思います。寒冷期だったのかもしれませんが、35度を超える日は、ごくまれだったように思います。瀬戸内の尾道では、海の降りる石段が、三段ほど積み増しされています。海面が高くなってきているのでしょう。当時に比べ、電気の使用量は40%以上アップ、省エネに取り組んできましたが、増加しています。それに車の台数は26倍以上の増加、若者がクルマ離れをしているのは、省エネへの貢献として評価しなくてはいけないですね!
8月 2019のアーカイブ
尾道 瀬戸田 現代のお寺ビジネス「耕三寺」
はじめて稲作が行なわれたのは!
鎌倉 後醍醐天皇が書かれた額「光触寺」
「知識の組合せあそび」は、柔軟な頭を生む!
本当に実力がある人!
福山鞆の浦 坂本龍馬「いろは丸展示館」
外国にも「お盆」に似た文化がある!
鎌倉 天狗の姿をした「半僧坊大権現」
後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」(むもんげんせんぜんじ)が開いた方広寺(静岡県浜松市)が半僧坊の本元と言われています。
無文元選は、父の後醍醐天皇が崩御した翌年の1340年に建仁寺で出家、その後、元に渡り福州大覚寺で古梅正友に参禅し、各地を巡拝した。日本に帰国するとき嵐にあい、そのとき、今にも大波に飲み込まれそうな船中で禅師が観音経を唱えていると、鼻が高く眼光の鋭いひとりの異人が現れました。この異人が「わたしが禅師を無事、日本にお送りします」と、船頭や水夫を指揮して台風を見事乗り切り、博多の港へと導いて姿を消したのでした。
その後、禅師が方広寺を開くと、その異人が再び姿を現し「弟子になりたい」と願いました。禅師は「あなたは、半ば僧のようなところがある」と言われて弟子になることを許し、そこから「半僧坊」と呼ばれ修行に励むことになりました。