手回し充電ができるラジオが人気!

 キャンプが流行っているようです。これは災害訓練として良いことですね。できれば、比較的簡単な装備でキャンプを体験していると、災害時には多いに役立つのでしょう。できれば、食べられる野草などでの食事体験があると、もっといいのでしょう。
 温暖化での天候の異変や地震が多発しています。いろいろな条件の中でも生きる術は体験しておきたいもの。その先達はホームレスの人達なのでしょうか。
 動物で環境変化に最も強い種族は、恐竜の子孫である鳥たちなのでしょう!

自然に起きる山火事は樹木の世代交代を可能に!

 気候変動のためか、大きな山火事が外国で起きています。人間が手を加えたほうがよいのか、自然に任せたほうがよいのか、迷いますね。
 山里での生活が引き継がれているところでも、生活スタイルは70年くらい前とは異なっており、迷ってしまうことでしょう。
 焚き木や落ち葉か燃料として使われなくなり、うっそうとした山々が増えているので、山の植生も変わってしまいました。むかしから引き継がれてきた智慧も、そのまま適応できるのか、慎重にならざるを得ないですね!

海底で活動する火山の噴火はわかりにくい!

 いま沖縄に軽石が流れ着いています。海底で活動する火山については、ほとんど関心がありませんでした。でも、よく考えると陸上より多くの火山が、海底で活動していてもおかしくないですね。
 海底火山は海水で覆われているので、噴火があってもわかりにくい。そのため関心を持ちません。しかし、縄文時代に100m海面が上昇する前は、火山島がたくさんあったのでしょうね。そういえば、数千年前に海面が100m上昇していたのですね。すると、いま海面上昇で大騒ぎしていますが、縄文時代の人達は、どのように考えていたのでしょうか?

ゴキブリの強さは体内に棲む細菌による!

 ゴキブリも細菌と共存しているのですね。ヒトも腸内細菌と共存しています。食べ物の種類が少ないところでも、昔からそこに住みついているヒト達は、その少ない食材で、からだに必要な栄養を腸内細菌達がつくり出りだすようになっているようです。
 そのために「地産地消」といわれるのですね。また、からだもその環境に適するように細かな改善がされてきた歴史を背負っているのでしょうね。
 温暖化で変化する環境に適応できる生物はどんな生物なのでしょう。少なくとも移動できる生物のほうが有利なのでしょう!

南の島で気分転換するのも!

 旅行などにi出かけることで、気分転換する人が多いのでしょうが、長い間、出かけられませんでしたね。趣味が多彩で、屋内で、絵や彫刻、手芸などの趣味がある人は、気晴らしもできたのでしょうが、それでも、まったく出かけられないとストレスが溜まりますね。
 出かけるとしたら、いい季節になっていますので、瀬戸内などの静かな島に渡ると、のんびりとした気分になります。
 まずは一度、気分をのんびりとさせた後、気持ちを盛り上げる娯楽がよいのでしょうか。最初から気分を盛り上げると、新コロナが再拡大し、規制がかかったとき、もっと落ち込むことになりかねない、ということも起きかねないですから!

原始地球では、酸素はあらゆるものを錆びさせる悪者!

 地球の温暖化が叫ばれています。人類にとっては厳しい環境になっていくのでしょう。ただ、地球の歴史から考えると、その時の環境に適した生物が繁栄していくのですから、まだまだ、地球が亡びることはないのでしょう。
 炭酸ガス以上に厳しい問題は、地球の人口増加スピードなのでしょう。この問題は対応が難しいですね。この問題を鎮める方法は、歴史的には、疫病と戦争だったのですから!

農耕が始まるまではたいてい空腹でした!

 米や麦の食べ方(料理)を見つけたのは、どこに棲んでいたヒトなのでしょうか?
 料理というものは、ヒトの「口と消化器官を補助」するものです。米や麦の食べ方を見つけることができたので、安定的に食べられるようになりました。しかも、それらは保存ができ、そのことで、より安定的に食物を手に入れることができるようになりました。そして、農耕を知ることで、人はどんどん増えていったのでしょう。
 ほとんどの動物は、せいぜい殻を割るくらいの料理しかできず、食べられる物の種類を増やすことができませんでした。
 米や麦の料理方法を知ったことで、農耕文化が拡大したのですが、農耕文化は争いの文化も生み出してしまいましたね!

論理が重要なのか、感情が重要なのか!

 自然淘汰の法則の「弱いものが消えてゆく」というものですが、この解釈が「自然の中での出来事」ではなく、「社会の中での出来事」として解釈する人が多くなっています。
 ヒトの場合、食料を運ぶことが大変だった時代は、秘境や小さな島では、その土地で生産が可能な量で生活が可能な人数しか生きていけません。
 その中で、生物としての本能に基づく自然淘汰のしくみが必要でした。日本でも、「口減らし(人数を減らすこと。特に,子供を奉公に出したりして,生計の負担を減らすこと)」や「間引き」というしくみがありました。また、団塊の世代の就職時期から言われ出した「集団就職」なども、ある意味では口減らしなのでしょう。
 自然淘汰の法則は、社会現象との関わりが深いため、「社会の中での出来事」と思われるようになったのでしょう。
 ただ、新コロナの蔓延対策は、「社会の中での出来事」という発想では「民主主義国家で強い人=投票に行く人」中心ではなく、「自然の中での出来事」という視点で、新コロナ蔓延地区の人、その地域に出入りする人」のワクチン接種を優先する対策をしてほしいものです!

「いただきます」「ごちそうさま」は誰に!

 天の恵み(太陽や雨)、地の惠(水)に感謝することは、ヒトが生き続けてくることができた原点にあります。秘境に生きている人達には、それが今も残っているようです。
 文明の惠を受けてきた人々は、やっと文明が必ずしも「恵ではないのでは?」と疑問を感じ始め、持続可能な開発目標(SDGs)が叫ばれるようになってきています。
 しかし、秘境に生きている人達から見れば、まだまだ中途半端なのでしょう。
 経済発展がヒト属が生き残っていくためのに良いのか、悪いのか、この判断が適正に行われるのか、難しい問題ですね。多数決で決める民主主義社会では、なおさら難しいのでしょう!

上司が部下を信頼して権限を!

 社会においては、多くの人達は仲間よりは上の者(組織では上司)を重視します。多くは利害関係が関係しているようです。もちろん尊敬できる上司の場合もあるのでしょう。
 農耕社会がはじまって、一家が必要とする食料以上に収穫できるようになると、物々交換がはじまりました。そして、より生産性を上げるため栽培技術が上手な人の言うことを聞くことがメリットを生むため、その人に従うようになりました。
 軍も、戦いが強い人に従えばメリットが大きいため、その人に従うようになりました。
 自給自足ができる地域では、経済がそれほど発達していないため、生物本来の姿である「子孫を残す」ということが第一優先です。そのため、生きることの経験が豊富なお年寄りの言うことに従うようです。
 地球環境が大きく変わったとき、自然条件が厳しいところで自給自足をしている人達が、ヒトの生き残りに有利な時代がくるのでしょうか?

好き勝手に生きていない人は「いい人」!

 新コロナで疫病が蔓延しているときのエチケットの代表は、正しくマスクの着用をすること、なのですが、「オレは好き勝手に生きるんだ」と主張したいのか、マスクを着用しない人がいます。
 少し昔までは、疫病が流行したとき、対策をしなかった人の多くは自然淘汰されてきたのでしょうか? 医療が発達してくると、自然淘汰から経済格差へと移行するのでしょうか? これも広い意味で自然淘汰なのでしょうか。
 サルの社会でも、オスサルの中には群れから離れて単独で生きるサルもいます。そして、いろいろな群れに入ったり、出たり、その中には長期間単独で暮らすサルもいるそうです。人間も、集団の中から離れる人もいますが、集団の中に入り込もうとする人もいますね。

人間は、サルから進化した動物!

 生物の進化についての解明が進んでいます。ウイルスもDNAに影響を与え、その進化に大きく影響しているようです。環境の変化への適応能力が「進化」というものなのでしょうか。皮膚が進化し、味が分かるようになり、目ができ、耳ができ、ニオイもわかり、自分が生存していく上での情報が入手できるようになり、ときには移動して生存できる場所を見つけて生き延びてきたのでしょう。人間は、環境を作り変える力さえも持ち、自分たちに有害なものを駆逐するまでできるようになったもの(人間)もいます。生物は、いつまで環境の変化に対応できるのでしょうか!

カンブリア紀(約5億年前)に生物が大発生!

 古代期の生物が情報を収集する方法は、皮膚からしか情報収集ができなかったそうです。それがカンブリア紀に皮膚が変化し「目」ができ、その目から情報収集ができるようになり大進化をしました。耳や鼻も皮膚が進化してできたのでしょう。その結果、情報の量が圧倒的に増え、脳ができ進化していったのでしょう。私たち人類は、進化の過程で木から下り、食料を得るために長時間の運動が必要となり、放熱のため体毛がなくなりました。その結果、古代に持っていた皮膚からの情報収集力が復活したのでしょう。「殺気」とか「第六感」とかいわれる感覚は、皮膚からの情報収集なのでしょうか? 

定住生活が始まると富が不平等に!

 「定住生活」という生活スタイルが、社会風土というものをつくり出すことに大きく関係しているのでしょう。同じ場所で水と食べ物がが手に入るか、そして、そこで何人が安定して暮らせるか、ということが、集落の大きさを決めていったのでしょう。縄文時代、東日本は比較的大きな集落があり、西日本、特に中国地方にはあまりない、ということは、東日本は水が安定して手に入るが、中国地方は夏には水を確保しにくいことが一因なのでしょうか? そう いえば、井戸に石仏があるのは瀬戸内に多く、東日本では灌漑など田園に水を引く事業に石碑が建てられていますね!

皮膚は脳と同じ外肺葉由来です!

 粘菌(原生生物の一群)は、脳を持たない単細胞生物であるにもかかわらず、環境に応じて集合体になったり、役割分担したりする。集合体になる時に仲間をどのようにして見分けているのかというと、人間でいう皮膚感覚なのでしょう。人間も受精し成長する過程では、外胚葉が、脊髄、末梢神経および脳 、歯のエナメル質、皮膚を形成するために分化していく。そう考えれば、皮膚にも外からの情報を感じると、何らかの判断をしている可能性はあるのでしょうか? 「皮膚感覚」は、実際に皮膚に接した情報と考えています。しかし、音などの波長も皮膚は感じています。耳では聞くことのできない高周波や低周波の音も感じています。高性能のイヤホンで聴くより、生演奏のほうが感動するのは、皮膚感覚も影響しているのでしょう。カメレオンは、日陰の部分だけ皮膚の色を変えることができるという。頭で判断しているのではないのでしょう。人間でも危険を察知する「第六感」があります。これも皮膚感覚をもとにしているのではないのでしょうか?

前頭葉の働きは!

 ここ数万年の地球環境は、前頭葉が発達したホモサピエンスに最適だったのでしょう。しかし、その最適な環境を壊すのも前頭葉かも知れませんね。動物の中で殺し合うのは人間だけと言われています(50年ほど前に他にもいるようだと分かったようですが)。人類で生き残っているのはホモサピエンスだけですので、なんとか頑張ってほしいですね!

過去の思い込みの思考を見る!

 能力主義の時代は、自己中心的で能力が優れている人が成功する。日本では戦国時代がその典型である。しかし、この能力主義の時代は、戦が多く、災害や疫病の蔓延する時代でもある。その原因は、生命体が生き残るためには、「助け合い」の性質が一番重要で、原生生物の粘菌ですら、環境変化で生命が危険な状態に陥った場合、同じ遺伝子の細菌が集まり、協力して胞子を作り、自分は死んでしまうが、胞子が生命をつないでいく。
 仏教も、ガンダーラで「生前に人のために助けを行うと、極楽に行くことができる」という考え方を折り込むことで、国際的な宗教に発展したとのこと。大阪商人やその風土を受け継いだ商人の町でも、儲けたお金の多くを、民衆のための事業につぎ込んだ歴史がある。現在は、儲けたお金を民衆のために使おうとしても、株主が大反対するため、それができない社会になってしまった!

潮干狩りは三月はじめの巳の日に!

 温暖化や河川の清浄化の行き過ぎで、アサリの生息域が少なくなっているようです。以前の生息環境に戻すことが必要なのですが、それもなかなかうまくいきません。現在の環境で生活できる生物を受け入れた方がよいのでしょうか? 江戸時代、富士山が噴火したとき、神奈川県の西部の秦野では火山灰が数十cm積もったため、今までの野菜が収穫できなくなりました。そこで、行者さんが指導してタバコを植えるようになったとか。やはり、環境の変化に応じて工夫していくしかないのでしょう!

リスクに強くなるしかないだろう!

 自然災害や異常な犯罪が増えてきています。このようなリスクは、なかなか避けることは難しいリスクです。リスクに遭遇したときに、そのリスクへの対処する方法を準備しておくことが必要です。ただ、想定外のリスクも起きてしまうため、なかなかやっかいですね。いわゆる災害の知識も大事ですが、生物としての本来の“カン”を磨いていくことも大切です。自然の中で、周囲のいろいろな情報を五感と通して、“第六感”を磨くしかないのでしょう!

人工的な環境にいるから!

 環境の変化に適応してこそ、生物は生き残ることができます。植物は移動できませんが、その細胞には環境さえ良ければ寿命がないようです。動物は自分に適した環境を求めて移動ができます。恐竜の子孫である鳥類は、飛ぶことができるため、より自分に適した環境で暮らすことができます。そのてめ、8千万年かけて恐竜から進化し、生き残っているのでしょう。ヒト属はおよそ200万年から進化してきたので、鳥類に比べれば、40倍も古い時代から生き残っているのですね!