専門家と呼ばれる人はそこでしか生きられない人!

 「定住を基本とした社会」か、「移動を基本とした社会か」で、その地域の風土がかなり異なるようです。移動を基本としている社会は「能力主義」が基本になります。しかし、定住を基本とする社会では、個々人の能力が平準化した方が、その社会がより協力的になり、不満も少なくなると思います。現在の日本は、欧米の考え方の比重が高くなっており、能力主義がよいとされているようです。しかし、日本では「少しばかりの能力の差」が、過大に評価されないように注意する必要があるのでしょう!

人間らしい四つ機能が前頭葉に!

 前頭葉の発達が「人間らしさ」を作り出しているとのこと。一般的に人間として大人になるのは25歳程度とされているようです。これは前頭葉の発達と関係しているのでしょう。そうすると、若者の多くは前頭葉がまだ未発達、年寄りの頑固さは前頭葉の老化ということになるのでしょうか? 今回の新コロナ時での行動を見て、「あの若者は、前頭葉が未発達なんだ」とか、「あの中高年は、もう前頭葉の老化が始まっているのだ」とかと思って見ている人もいるのでしょうね!

彼のウソを見分ける女の第六感!

 男女が平等(すべての個人が身分・性別などと無関係に等しい人格的価値を有する)であることが強く叫ばれています。しかし、平等より公平(かたよることなく,すべてを同等に扱う)といったほうが、なんとなくしっくりします。年のせいなのでしょうか。男女だけでなく、個々人についても、それぞれ違いがあり、その違いを知った上で、接することも大事なのではないのでしょう!

過去の思い込みの思考を見る!

 能力主義の時代は、自己中心的で能力が優れている人が成功する。日本では戦国時代がその典型である。しかし、この能力主義の時代は、戦が多く、災害や疫病の蔓延する時代でもある。その原因は、生命体が生き残るためには、「助け合い」の性質が一番重要で、原生生物の粘菌ですら、環境変化で生命が危険な状態に陥った場合、同じ遺伝子の細菌が集まり、協力して胞子を作り、自分は死んでしまうが、胞子が生命をつないでいく。
 仏教も、ガンダーラで「生前に人のために助けを行うと、極楽に行くことができる」という考え方を折り込むことで、国際的な宗教に発展したとのこと。大阪商人やその風土を受け継いだ商人の町でも、儲けたお金の多くを、民衆のための事業につぎ込んだ歴史がある。現在は、儲けたお金を民衆のために使おうとしても、株主が大反対するため、それができない社会になってしまった!

文化のことは自然に任すのが一番!

 日本の文化は、歴史を尊重しながら、新しいもののなかから、受け入れられるもの、そうでないものを見極め、協力しながら風土を造り上げてきました。年配の人の多くは、日本人は単一民族、と思っている人が多いと思います。しかし、実際には多くの人種の遺伝子を持っているようです。異なる人々が、災害が多発する環境で、協力しながら生き延びていくことで、現在の私たちが生存しているのでしょう。ただ残念なことに、新コロナ伝染の状況を見ていると、その風土が首都圏では、弱体化していっている気がしています。自己中の人が多くなっています!

自分は冷静だ、騙されるほどバカではない!

 詐欺が横行する社会になっています。それも災害が多発し、お互いの助け合いが必要な時期にです。人間が生存し続けることができたのは、なにも求めることなく、「助けっぱなし」ができたからだと考えられます。災害が多発する日本では、四国路での「おせったい」のように、見返りを求めない、見返りの意識すらない、助け合いが、生存に大きく関係していたのでしょう。能力主義の時代では、自分の利益が中心になり、「未来に何かを残す」という発想は消えてしまいます。災害や疫病などで、物資が不足し、独占したり、奪い合いで戦争になったり、人類の生存にとって、危機的な状況が起きやすくなるようです!

今日の幸せと充実に意を用いてきたが!

 「現在」をしっかり見ていれば、安定した世の中であったなら、しっかりした生活ができるのでしょう。しかし、つい先の未来を考えてしまい悩んでしまいます。ただし、戦争や疫病が蔓延したときは、現状把握と同時に、過去も、未来も、しっかり考える必要があるのでしょう。新コロナの新規患者数が、広島市では急激に増えたが、現在、他の拡大した都府県に比べ、かなり減少しています。原因はまだ分かりませんが、原爆の被災教育による危機意識の差が影響している可能性はあるのでしょうか?

白人たちが天然痘をインディアン散らした!

 伝染病が流行りだし、それに対する危機意識が問題になっています。こんな事態になって、やっと「平和ボケ(戦争時に自分の命を守る意識の欠如)」と「伝染病に対する危機意識は同じようなもの」と思うようになりました。やはり、安全な環境で育っていると、危機意識も育たないのですね。公園などの遊び場も、安全になりすぎ、人しか通れないような狭い道もほとんど舗装され、平地に多くの人が住み、鉄条網など見ることもなく、危険は少なくなってしまいましたね。「危険ボケ」は種の保存にとっては「無謀」なのでしょうか?

ライバル意識の本質は嫉妬にある!

 嫉妬心は、「自分の中で、どのようにしてメリットにつなげられるか」ということのようですね。嫉妬心が、自分の外に出てしまうと、なかなか困った問題を引き落としてしまいます。自分の中で、メリットにできた人は、充実した人生になっていくのでしょうね。年齢に関係なく、そのようにしたいものですね!

自己責任とリスクをとる教育がなされていない!

 「自分で考え、判断する」ということが、なかなかできない時代になったようです。専門家やマスコミなどで、表現はそれほどきつくはないのですが、「指示」が多くなっており、多くの人が「指示待ち」になっています。指示に従うか、従わないか、という判断をしているようです。まわりはどうあれ「自分で考える」ことができなくなてしまったためか、暇な人・忙しくなっている人がおられるのに、そのままで、なかなか良い考えが出てこないですね。指示待ちになれすぎてしまったようです!

心地よくフィットする基準を持つ!

 人生とお金の関係をどのように捉えるか。ほとんど考えなかった問題なのですが、NHKの「ひきこもり人」の特集を見ている内に、その一つの原因に、日本社会が年功序列から、お金中心の能力主義に移行したことが関係しているのではないか、と思うようになりました。飢餓の問題を別にすると、お金による豊かさは、幸福度とはあまり関係がないような気がしています。お金から離れてみると、好奇心さえあれば、それほどのお金を使わずとも、人とのつながりや、充実感を味わえることはたくさんあります。それが見つかれば充実した人生も遅れるようです。もちろん、毎日食事ができるという前提があってのことですが!

能力主義には限界がある!

 いまは能力主義の社会になっています。この能力というのは「お金」に関わる能力のことで、それ以外の能力は、それほど社会では認められません。戦国時代の能力は「いくさに関する能力」が評価されていました。そうした能力主義の時代は、自分が生きている時代中心のことしか考えません。子孫代々の繁栄は二の次です。そのためか、織田信長や豊臣秀吉は、実質一代のみです。そうゆう社会の弱さに気がつき、多方面の能力を社会に生かす時代ができたのが江戸時代です。社会に幸せをもたらすことは、お金による豊かさだけではないのでしょう。もっと多彩な能力が必要なのでしょう!

ヒトは大人になっても子供の形質を持つ!

 「日本人(アジア人も)は、大人になっても子供の形質をたくさんもっている」とのこと、この形質は、新コロナウイルスの感染にも影響しているのでしょうか。人類が各地域での生き残り対策が、DNAに組み込まれ、その結果が住んでいる地域の環境に適応できた人達が、現在まで生き残ることが出来たのでしょう。だから、現在に生きている我々も、確実な感染対策ができる素質を発揮できる人が、生き残っていくのでしょうか。日本人は、法律で規制しなくても対応できる人が多い、関西や西日本の古くからの商人の町では、半世紀ほど前までは「法律は最低のマナーだ」といわれていました。だから、法律で規制しなくてもルールを守る人が多いのでしょう。これはやはり歴史の産物で、DNAにもある程度組み込まれているのでしょうか!

自分での価値は手に入れた過程で決まる!

 「断捨離」という片付けの技術が、もてはやされる時代になっています。豊かな時代の証なのでしょうか。すぐに捨てられる背景に、設計者が専門家し過ぎて、修理可能な製品設計の技術が失われたことも一因なのでしょう。修理が出来る設計をするには、幅広い知識が必要です。現在の専門家は、知識の範囲が狭く、ついついその知識の範囲で設計してしまいます。また、製品を買う側にも、スペシャルな製品を買う傾向があります。修理せず、多くのモノが捨てられることは、温暖化の原因にもなるのでしょう!

現場で育った技術者!

 この温暖化の時代、「モノづくり」の基本に、まだ大量生産・大量消費の発想から抜け出せていません。使い捨ての設計思想が続いています。日本の温暖化防止の取組不足に対するにデモで、路上に靴が並べられていましたが、どの靴も樹脂を使っているようで、修理がきかない使い捨てのモノです。これを処分するときに炭酸ガスが発生するでしょう。温暖化の防止に取り組む人達も、使い捨ての生活態度は変わらないのでしょうか!

昭和三十年代の暮らしに少しの工夫をプラス!

 昭和30年代に「三種の神器」といわれたのが、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3品目です。今はテレビに変わりパソコンかも知れません。この辺りが「ほどよい電化」なのかも知れません。ただ、現在の電化製品が失ったものが、”安く簡単に修理が出来なくなったこと”です。1960年代後半から始まった「大量生産・大量消費」は、人々の生活を変えただけでなく、浪費への罪悪感も取り払ってしまいました。そんな時代が半世紀つづいた結果、自然災害の多発が始まりました。温暖化が原因といわれだし、資源の浪費をなんとか抑えられないか、言われ出しました。人間は、いったん浪費癖を身につけると、「人間の命の流れ」すら、維持する力を失ってしまうのでしょうか?

「直せば使える」モノは実に多い、だが高い!

 プラスチックごみ削減が問題になっています。しかし「ものづくり」は、使い捨ての発想で設計されています。「修理のしやすさ」が設計に折り込まれていません。昭和30年代から40年代初頭までの、修理を前提にした設計がされていません。修理ができないため、災害時などのニュースでは、大量のゴミが発生します。「我が社の製品は、修理が出来ますよ!」というメーカーもほとんど見かけません。修理が出来るものづくりの最後の世代は、かろうじて団塊の世代までです。いまのうちに、昭和30年代のものづくりのノウハウを引き継ぐことが出来ると、ゴミ削減につながるのですが!

感動を受ける台詞!

 「感謝」は伝染するようです。大都会よりは地方のほうが伝染力が高いようです。新コロナの伝染力と反対ですね。やはり、大都会はあまり周囲に気を使わなくても暮らせます。しかし、地方はある程度は気を使う必要があります。危機対応への違いなのでしょうか? 大都会で、公的な支援がない場合は、多くの人が周りからの支援を受けられず、悲惨な状況に陥るのでしょう。地方は、平静なときは面倒なこともあるのですが、危機状態になった時、助け合うことができるのでしょう。これからは、温暖化による自然災害も頻繁に起こるようになりそうなので、それぞれの地域風土を見極めた上で、暮らす場所を選ぶ必要があるのでしょうか?

安心感は滅亡の最大原因!

 戦後75年、戦前からの100年間は、歴史上かつてないほどの激動の時代のようです。戦前の時代、戦争中、戦後の貧しい時代、そして高度成長、オイルショック、バブル時代、バブルがはじけた時代、新コロナで激変が起こりそうな時代、そして、温暖化で地球環境が変化し災害の時代が来るのでしょうか。その変化に対応してきた日本。これからの変化にも何とか対応していくしかないですね!

どんなものに対しても「礼を尽くす」こと!

 何に対しても、どんなことに対しても、「礼を尽くす」が社会で生きていく基本なのでしょう。と同時に、日本での「礼を尽くす」というルールは、疫病対策にも有効だと考えた人々が、苦労して定着させてきたのでしょう。このルールを守ることができる人達が、日本では子孫を繁栄させ、より社会に定着してきたのでしょうか? 災害や疫病を数多く体験してきた人達は、生き残りの確率アップのため「礼を尽くす」というしくみを、社会に定着させようとしたのでしょう!