「ホンネ」か、「タテマエ」か、まず疑ってかかる!

 ホンネ=本音(本当の音色)は、三味線や琴、太鼓などの日本の楽器、あるいは、演歌は、西洋の楽器や音楽のように倍音だけで構成されてはいません。音のゆらせ方が特殊なようです。
 その影響かどうかはわかりませんが、世間では「ホンネ」と「タテマエ」の両方が通用しています。そのような社会では、「ホンネ」を知った上で、「タテマエ」で対応していくことが大事なようです!

他人からバカにされたくない!

 誰でも、他人からバカにされることはつらいもの。それが、小学校から「いじめ」というかたちで起きているようです。
 その基本に、優劣をつけることがあるのですが、昨今の情報化社会では、その「劣」情報が拡散してしまいます。
 小学校から始まるテストや通知表により、優劣評価の中で育っています。しかも、ヒトの能力の内の一部だけ取り上げて、しかも、それが全てのような評価をしてきました。
 いつの間にか、人を含めたものごとを、優劣をつけないで、ありのまま観察する能力が、身につかなくなっているのでしょうね!

“ひと言多い”は命とり!

 自分を認めて貰いたいという思いが叶っていないと、「一言多い」ことになりやすいようです。世間は「そんなもんだ」と築けば、人の評価などはそれほど気にならなくなるのですが。
 また、他人の良さに目が行くようになると、一言が「ほめ言葉」になるのですが。
 しかし、どうしても他人の悪いところに目がいってしまいますね!

財産より大切なものがある、理解出来るか!

 世間では「財産より大事なものがある」という意識は、少しはあるものの、現実としては、お金に頼ることが必要ですね。自給自足ができている人は、お金にそれほど頼らないのでしょうね。
 テレビ番組の「ポツンと一軒家」を見ていると、純粋に生活を楽しんでいるような印象を受けます。江戸時代のように、村人達が、協力し合い、余裕をつくり、その時間を楽しむ、といった生活は、人間にとって、平和で先進的な生活スタイルだったのでしょうね!

学校に無理難題を押し付ける!

 モンスター・ペアレントという言葉が言われ出してかなり立ちました。このような人が多くなった原因はなんだったのでしょうか? ヤクザや暴力団だったのでしょうか。しかし、ヤクザや暴力団はむかしからいましたから違うのでしょう。
 そうするとテレビなどに出てくるコメンテーターなのでしょうか。どうもそんな気がしています。事実や論理の中から、自分の主張に当てはまるものだけを取りだして、あたかもそれがすべてのように主張します。視聴率を上げるためにはやむをえないのでしょう。
 しかし、それを見習う人達が増え、他の意見は聞かず、自分の都合に合う事実・論理だけを主張する人が増えてきたのでしょう。欧米人は自己主張をする人が多いと聞きますが、日本人もそうなってきたようです。
 もっと「曖昧さ」を大事にしてもよいのでは、とも思います!

好き勝手に生きていない人は「いい人」!

 新コロナで疫病が蔓延しているときのエチケットの代表は、正しくマスクの着用をすること、なのですが、「オレは好き勝手に生きるんだ」と主張したいのか、マスクを着用しない人がいます。
 少し昔までは、疫病が流行したとき、対策をしなかった人の多くは自然淘汰されてきたのでしょうか? 医療が発達してくると、自然淘汰から経済格差へと移行するのでしょうか? これも広い意味で自然淘汰なのでしょうか。
 サルの社会でも、オスサルの中には群れから離れて単独で生きるサルもいます。そして、いろいろな群れに入ったり、出たり、その中には長期間単独で暮らすサルもいるそうです。人間も、集団の中から離れる人もいますが、集団の中に入り込もうとする人もいますね。

他者中心になっている人!

 瑠璃山という別名を持つ山。山麓を瑠璃地区とも云っていた。
 尾道三山で最も高い浄土寺山(瑠璃山)の山頂展望台からの眺めは天下一品。歴史的な雰囲気を残す尾道旧市街地はもちろん、南には瀬戸内海の島々、北には尾道の別の姿を見ることができます。
 特に瀬戸内の島々の遠望が良いです。ここまで登ってくる観光客はまづいません。地元の人でさえ、そんなには登ってはこない静かなところです。
 浄土寺山は”尾道の隠れた名所”といっても良い景色のよいところ。冬の時期、条件が良ければ四国山脈まで一望できます。

平気で身勝手なことをしている人!

 戦国時代のような能力重視の時代(現代もそうですが)では、自己中の人も能力が発揮できるようです。織田信長や豊臣秀吉は、“未来に何か残そう”と考えていたのでしょうか? 詳しくないのでよく分かりませんが、“現在”にしか興味がなかったような印象です。能力重視の風土を持った国々でも、成功する人は、自己中で優秀な人達なのでしょう。ただの優秀な人は、学者や研究者になっているのでしょうか?

いろいろな考えの人がいるもの!

 「いろいろな考え」に対応するには、厖大な知識が必要です。いまはNETでの検索ができるため、昔に比べれば多少は便利になっています。しかし、NET検索は自分の都合の良い情報を検索してしまい、より“思い込み”、”固定観念”を強くしてしまうところがあります。すると「いろいろな考え」をますます受け入れられなくなってしまいます。やっかいですね!

感謝の心をもって接するように努力!

 感謝の心は、「ありがとう」などの言葉にしないとなかなか伝わりません。関西や西日本では「ありがとう」という言葉をよく聞きます。バスの運転手さんや、役所の窓口などでも聞きます。しかし、関東ではあまり聞きません。「ありがとう」を口にしていると、いつの間にか周りに対して感謝の気持ちが生まれてきます。何気ないことでもいつも「ありがとう」と言いたいものです!

NIMBY(ニンビー)の法則

 自己中心の基礎となっているものは、「思い込み」のようです。データで裏付けがあるようなものでも、その中には、都合の良いデータだけを取り出し、裏付けしたものもあります。森元首相の「会議のメンバーに女性が多いと時間がかかる」という発言は、思い込みなのか、データで裏づけられるのか、分かりませんが、大きな批判を浴びています。マスコミも、批判を流せば視聴率が上がると考え、実際のデータを調べようともしていないようです。正確な現状把握がなければ、的確な改善活動は始まりません。女性の地位の向上は、事実を正確にもれなく把握し、改善していかなければ向上しません。感情論だけでは一時的なもので終わってしまいます!

未来にフタをする言葉!

 相手の価値観を否定するとき、相手の立場になって考えてから、相手を否定することはまずありません。おそらく、自立した人は、どんなときにでも「相手の立場で考える」ことができるのでしょう。能力主義の時代、相手の立場で考えることは、大変難しいことなのでしょう。戦国時代や今の時代は能力主義の時代で、自分のことしか考えない人が、能力を発揮する時代のようです!

テレビドラマの視聴率アップ!

 水戸黄門の印籠の場面は、葵の紋(徳川家)の印籠をかざすと、悪いことをしていた者どもが一斉にひざまづく、という場面です。つまり「権力には逆らいません」ということ。しかし江戸時代の大阪では、役人の言うことを聞いているふりをしながら、自分たちの考えることをやろうとしていました。そのためか「必殺仕置人」のように、「自分で何とかしよう」というほうが好みなのでしょう。新コロナ対策でも、「政府にいろいろと命令を出して欲しい」という地域と、「自分たちでなんとかしなければ」という地域があるようです。東京と隣接の三県は、水戸黄門の印籠を望んでいるのでしょうね!

「毒のある人々」は善人ぶる!

 何の見返りも期待しないでボランティアに参加する人が多いのですが、中には回りの評価を気にしてボランティアに参加する人がいます。育った土地の風土が影響するのか、地域差もあるようです。土地の風土の違いがよく分かることに、「お返し」があります。お土産をもらったり、何かをしてもらったりすると、すぐお返しをする地域と、日常的に、あげたり・貰ったりしている地域は、「お返し」にはこだわりません。地域の風土は、生活スタイルに影響していると共に、性格にも影響を与えているようです!

ヒマな人間も忙しいと思っている!

 「ヒマな人間も忙しいと思っている」と思う人は、おそらく要領(物事をうまく処理する方法・手段)が良い人なのでしょう。要領が良い人は、やはり仕事の量が増えていきます。成果主義の時代には有利です。ただし”人生”において、ほんとうに有利かどうかは、なんともいえないですね。現代の価値観は、自分の時代だけを見て「成功したかどうか」ですから、子供や孫に対して、家庭内で冷遇していないか、という心配もあります!

「人」によく思ってもらいたい!

 世間体ばかりを気にしていると、自分というものの確立が難しくなってきます。「世間に振り回されるか」、「世間を振り回そうとするか」、そのどちらかになってしまうと、取り返しがつきません。世間体の基礎は、子供時代に過ごした土地の風土が大きく関係しているようです。県民性と言われるのは、その土地の風土が影響しているのでしょうね!

“傷つくのを感じない”ようになると!

 いつからでしょうか?「完璧」を求めるようになってきました。テストで100点至上主義のためでしょうか。スペシャリスト指向のためでしょうか。みんな気がついているのでしょうが、テストの100点の回答は、必ずしも自分生きている間において、正解であり続けるとは限りません。スペシャリストもそうです。その仕事を辞めた途端、いかにもの知らずで視野が狭かったと気づきます。もっと、「出来損ない」を大事にしたいですね!

どんなものに対しても「礼を尽くす」こと!

 何に対しても、どんなことに対しても、「礼を尽くす」が社会で生きていく基本なのでしょう。と同時に、日本での「礼を尽くす」というルールは、疫病対策にも有効だと考えた人々が、苦労して定着させてきたのでしょう。このルールを守ることができる人達が、日本では子孫を繁栄させ、より社会に定着してきたのでしょうか? 災害や疫病を数多く体験してきた人達は、生き残りの確率アップのため「礼を尽くす」というしくみを、社会に定着させようとしたのでしょう!

人をイラつかせる人がいる!

 人をイラつかせる人がいます。が、以前は顔が見えていました。しかし、SNSの時代になり、顔も名前も見えなくなりました。その結果、過激な情報発信でありながら、社会からの、発信者に対する避難もできなくなり、情報発信者は自制もなく、社会からの非難も届かず、ますます過激になりました。むかしは、「村八分」という制度があり、「火災」と「葬式」以外のつきあいを断絶していました。そのおかげで災害の多い日本で、集団として生き残ってきたのでしょう。なんらかの新しいしくみが必要なのでしょう!

「田舎で暮らします」は甘いものではない!

 「田舎暮らし」に憧れているが、面倒だとも考えている都会人は多いことと思います。いろいろと知識を学んでしまうと、その知識の枠から抜け出せなくなります。田舎は、知識より体験が優先しています。その体験をもとに、いろいろとルールができあがっているため、体験が乏しい都会人は、田舎に溶け込むことが難しいのでしょう。ただ、戦後もそうでしたが、田舎の人達は社会が混乱しているときでも、普通の生活を送ることができていました!