相手があるから、自分もある!

 日本人は歴史好きですね。災害(自然災害や疫病災害など)が多く、歴史に学ぶ必然があったのでしょう。
 しかし、現在は歴史に学ぶと言うより、外国に学ぶというスタイルになっています。そのためか、人々のつながりが薄くなり、自然から学ぶことも少なくなってしまいました。
 温暖化が問題となり、少しずつ自然への関心が出てきたようでが、むかしは、自然の中に神様が宿ると考え、自然を大切にしてきました。
 また、核家族化が進み、昔のことを孫に引き継ぐことが難しくなっています。
 子育ても核家族では難しいようです。母親一人で子育てをするには、チンパンジーは7年かけています。それまでは次の子供を産めないとのこと。
 昔の日本の子育ては、両親と共に、おじいちゃん、おばあちゃん、近所の人達、みんなで育てることが、生物としての生き残り作戦だったようです。それが、日本人が歴史好きになり、また、生き残りの作戦になったようです!

本当にいじわるな人は間接的にいじわるを!

 意地悪な人が増えているのでしょうか。異常な行動をする人が増えているのでしょうか。
 子供時代から、「答えの正解は1つ」という環境で、教育や躾けられた環境で育ってしまうと、考え方が非常に狭くなってしまうのでしょうか?
 学者もスペシャリストも、狭い分野を追求した方が、社会の評価が上がるしくみになっているためか、考え方を狭くすることが奨励されていると、受け取ってしまうのでしょうか!

やさしい人は他人のイライラに感染しやすい!

 「やさしさ}とは「思いやり」。「思いやり」とは「その人の身になって考えること」。その人の身になって考える基本には、曖昧さを許容する心を持ち合わせているかどうかが背景にあります。
 自分の思い込みを基本にすると、なかなか曖昧さを受け入れることが出来なくなってしまいます。
 自分というものを持ちながら、人に対して曖昧さを持つことができれば、誰に対しても、やさしく振る舞うことが出来るのでしょう!

人は「存在証明」をもとめている!

 「ほめて育てる」と言われ続けています。でも、その場面に合ったほめ言葉は案外難しいものです。ほめる相手の性格に合った、また、ほめる場面に合ったほめ方をしなくてはなりません。しかも、周りに人がいれば、それも考慮しなければなりません。
 また、1997年以降に生まれた人は、共感力が弱いといわれています。その原因は、ゲーム機やスマホ、インターネットの普及で、人の表情を見て反応する力が弱くなってしまったことだと。脳は、常に楽をしようとする器官のため、人との接点が少なくなると、共感力という機能が働くなるのだそうです。
 でも、やはり、ほめることは必要です。ほめ方を変えなくてはいけないのでしょう。がんばって工夫して、ほめましょう!

「私の自由」「相手の自由」を認め合うこと!

 むかしに比べれば、「ありがとう」という言葉をよく聞きます。むかしは、それぞれの土地の風土に特徴があり、古くからの港町で商人の町のように、外からの人の出入りが多いところは、「ありがとう」というような感謝の言葉をたくさん使っていたようです。
 「感謝の言葉」や「やさしく褒める言葉」は、「自分というもの」がある程度出来上がっていないと、難しいのかも知れないですね!

ほめ上手の人=観察上手!

 情報社会になり、文字言葉での情報交換が増えてきたのですが、絵文字があることで、気持ちの補完が出来ます。
 そのような視点で絵文字が考えられたのでしょうか。
 もっと多彩になり、意味づけも安定し、普及すると良いのですが、そうなると、漢字のようになってしまうのでしょうか?
 もしそうなると、漢字の原点に戻るのかもしれないですね。すると、また、文字社会になってしまいますね!

動物界、損得に敏感なのはオスよりもメス!

 言葉づかいは、ついついこちら側の都合で言ってしまいます。特に男性と女性は、生物学的に違いがあります。それを分かった上で、会話をしなければいけないですね。
 インターネット上では、どの程度配慮しているのでしょうか?
 それはともかく、「おしつけがましさ」は電話やメールなどでは、相手の顔が見えないので、気をつけなければいけないですね。
 日本語は言葉の他に、その時の状況(周囲にいる人たち)や表情、しぐさ、風土などで、意味が違うことがありますので、注意が必要ですね!

理屈はいつも死んでいる!

 社会が変化しているときは、今までの社会から出来上がった理屈は、かなり危ういものになりがちです。知識優先の人は、現状をもれなく把握することに、時間を割くことが難しいようです。
 人間の頭は、現状をキチンと把握するより、自分の記憶した知識を利用して判断した方が楽なようです。 社会の変化があまりない時代は、自分の知識を利用して判断した方が、効率的なのでしょう。
 しかし、変化の時代は、知識や経験も「いいかげんなもの」になってしまいます。がんばって、現状把握に時間を使いましょう。
 理屈が優先してしまう人は、「曖昧」や「いいかげん」を許すことが出来ないようですが、「理屈も死んでいる」と考えれば、理屈も「いいかげんなもの」になってしまいます。どうせいいかげんな知識なら、いろいろな人たちと協力し、「いいかげんな意見」にも目を向け、現状把握に時間を使いましょう。
 石油ショックの時代は、それでなんとか乗り切りました!

「いいこと」を考えるというのは!

 ネット社会になり、「他人を落とす」書き込み情報が発信されています。このような情報は、むかしから週刊誌で発信されていました。ということは、今に始まったことではなく、人眼のサガなのですね。
 このような情報に接したときは、「発信者は能力の無いもの」と考えるしかないですね。しかし、この情報を発信してしまうと、自分は力の無い者になってしまいます!

聞き上手だからこそ耳寄りな情報が入る!

 ネット社会になり、情報発信力が注目されます。しかし「聞く力」にもっと注目したいですね。そのためには、多様な知識を持ち、しかも相手の立場で考える力が必要です。
 自分が情報を発信しているだけでは、多様な情報を、自分のものにする力はつきません。思い込みを助長していくだけです!

言い分があると聞く力が弱くなる!

 自分に言い分があると、人の話が耳に入らなくなります。また、自分が興味を持っている話しは、その部分のみが頭に入ってきます。
 ということは、幅広い知識や情報を持つことが、いかに難しいかを物語っています。
 自分が一貫性を持ってしまうと、他の知識や情報を受け入れることができなくなり、それが極端になってしまうと、プーチンさんのようになってしまうかも知れませんね。
 やはり「いいかげん」、「曖昧」のほうが、多様な知識を受け入れやすいのでしょうね!

人はことばで傷つく、なかなか治りにくい!

 言葉の暴力、パワハラが社会問題になっています。現在は組織の問題として取り上げられていますが、家庭内でも取り上げられるのでしょうか。現在は家庭内での暴力が主体のようですが。
 むかしは大家族であり、近所に親戚も多く、たとえ親戚でなくとも近所と気合いは盛んでした。これが、監視の機能を果たしていたのです。しかし、この面倒さを嫌って核家族に移行してしまいました。
 結果としてパワハラが増えたのでしょうかね!

食料の豊かな地域でも農業を受け入れたのか!

 戦争の原点は、種子の食べ方(料理の仕方)を見つけたこと。種子は、生きたまま眠り続けるので、貯蔵ができます。その結果、食べることができる種子は、富になりました。狩猟時代のように、食料が余れば分け合っていた時代から、余れば貯える時代になりました。そして、たくさん食べられる種を貯蔵している人が、力を持つようになったのでしょう。そういった力を持つ人に、分けて貰うチャンスを増やすため、日ごろからご機嫌を伺うようになり、尊敬されるようになったのでしょう。尊敬されると、気分が良くなる物質が分泌されるのか、より多くの種子を貯え、言い寄ってくる人(部下)に分け与え、いい気分になったのでしょう。これも生きるための本能なのでしょうか!

すぐに「キレる」人が増えている、と!

 すぐキレる人が増えているようです。社会全体が、正解を求めすぎているのでは、と感じることが多いようです。それも「一つの正解しかない」と思い、その一つの正解から外れると阻害されることになり、その阻害された人はキレることになります。
 「正解はほんとうにひとつしかないのですか?」、視点が変われば、「正解も変わるのでは」と思うのですが。
 もっと「曖昧」を許容する世の中であってほしいですね。曖昧が許容される社会は、極端な独裁者が現れることもなく、ある意味、いいかげんな政治も許容され、ゆるやかな社会になると思うのですが!

相手や状況に合わせてコントロールする能力!

 牛丼チェーンの吉野家の常務が、大学の社会人向け講座で「生娘シャブ漬けの戦略」の話をし、「人権・ジェンダー問題の観点から到底許容することのできない職務上著しく不適任な言動があったため」との理由で解任されました。
 相談gotoの場面を除くと、あまり相手のことを考えて、発言していないことがありますね。自分が言いたいことを、ただ言って終わり、ということが多いですね。無意識に、国会での野党の質問をまねしているのでしょうか?
 まず、きちんと聞く、という習慣ができている人は、話すときも、ワンテンポ置き、相手のことを気にかけながら話しているのでしょうね!

質問するときの心構え!

 質問するときの心構えとして、まず「先入観を持たない」で、聞く、見る、聞く、ということでしょうか。
 現在は、学校教育の延長で、「こうあるべきだ(100点主義)」になっている傾向があるので、まずは素直になることが大事なのでしょうね。
 そして、「そうですよね」のように、相手を肯定する(否定しない)ことが大事なのでしょう!
 自己主張をすることは、それが完璧(厳格)であればあるほど、不幸な結果になることが多いようです。
 これは、子育てでも、政治でも、同じようですね!

会話の中身は距離感で決まってくる!

 それほど親しくない人と、どのくらいの距離で接していますか。以外と90cm以内で話しているときが多いのではないでしょうか。
 この距離間は地域や国によって違うのでしょうか?
 日本人は比較的近距離で接しているのでしょう。そのためか握手などの風習が必要なかったのでしょう。ハグなどは、まずしないですしね。
 日本は個人の主張が強くないので、人同士の間隔もあまり気にかけないですね。この曖昧さ、いいかげん(良い加減)が、うまく機能しているのでしょうね!

上手くいかない原因を自分の中に!

 小心者(気の小さい、臆病な人)と言われる人がいます。この小心者の中に、うだつの上がらない人と、そうでない人がおられます。優秀な小心者は、臆病であるが故に、過剰な防衛に走りやすいのでしょう。そのためか独裁者の多くは、小心者のようです。ソ連にしろ中国にしろ、自己防衛のための過剰な防衛が目につきますね。それが独裁につながっていくのでしょう。しかし、多くの独裁者は、悲惨な最期になっているようです。優秀な小心者は、注意を!

落ち込んだときに立ち直るコツ!

 どうしても苦手な人がおられます。どうしていますか? 攻撃的になっていませんか?
 むかしは「おべんちゃら」といって、口先だけで御機嫌をとろうとすることをいいました。あまり印象が良いとは言えない言葉ですが、これも人付き合いの智慧ですね。
 よく「気持ちが落ち込んだとき、表情だけで良いので笑い顔をつくりなさい」と言われています。表情が笑顔になると、気持ちをリラックスさせる物質が分泌されるようです。これと同じで、イヤな相手と会うとき「楽しみにしていました」と言ってみると、イヤな気分が薄れてくることもあるのでしょう。
 相手が喜ぶ演技を、どんどんレベルアップして、最高のシナリオをつくり続けましょう。そして、どんな人でにあっても、自然に気分良く接することができるようになると良いですね!

相手の「微表情」を見抜いているか!

 「微表情」というものがあるそうです。何かに反応する瞬間(0.2秒)に現れる顔の真実の表情です。その瞬間を見逃すと、場合によっては「造られた表向きの表情」になってしまいます。
 子供達は、大人より微妙な顔の表情を見分ける力が備わっているようです。やはり、この瞬間的な微表情を見逃してはいないのでしょう。
 そう言えば、初めて行った町で子供に挨拶をされることがあります。その土地の風土も関係しているのでしょうが、どうも皆には挨拶はしていないようです。何かしらの情報を感じて挨拶をしているのでしょうか?