サビ汚れ落としをする!

 最近はサビを嫌って、鉄ではない金属で作られたものが多いですね。
 むかし造られた「いかり」や「くさり」(山伏の修行用の四国の石鎚山のくさりを模したもの)は、表面は錆びているのですが、そのサビは安定しており、何十年も利用できます。
 メッキでサビを防いでいるものもあるのですが、国産のものは公害対策のため、メッキの品質が落ちて、錆びやすいようです。
 いろいろなサビ対策の製品が販売されていますが、錆びてしまったネジを取り外すことは、けっこう面倒ですね!

勝ち方の美しさを競うべきだ!

 経済分野も含めて、戦いに「美学」というものが失われてしまったようです。リーダーが、財力・権力・名誉しか求めていないと部下が感じ取ってしまうと、組織としての団結力が弱くなってしまいます。
 今のロシアを見ていると明らかですね。
 どんな行いであろうと、その人に「美学」というものがあると、何かしら訴えるものを感じます。
 日常でも、「法律を守っていれば良い」ではなく、「法律は最低のマナーだ」という意識を持って、もっと上のマナー(美学)を持って暮らせると良いですね!

「私の自由」「相手の自由」を認め合うこと!

 むかしに比べれば、「ありがとう」という言葉をよく聞きます。むかしは、それぞれの土地の風土に特徴があり、古くからの港町で商人の町のように、外からの人の出入りが多いところは、「ありがとう」というような感謝の言葉をたくさん使っていたようです。
 「感謝の言葉」や「やさしく褒める言葉」は、「自分というもの」がある程度出来上がっていないと、難しいのかも知れないですね!

ほめ上手の人=観察上手!

 情報社会になり、文字言葉での情報交換が増えてきたのですが、絵文字があることで、気持ちの補完が出来ます。
 そのような視点で絵文字が考えられたのでしょうか。
 もっと多彩になり、意味づけも安定し、普及すると良いのですが、そうなると、漢字のようになってしまうのでしょうか?
 もしそうなると、漢字の原点に戻るのかもしれないですね。すると、また、文字社会になってしまいますね!

動物界、損得に敏感なのはオスよりもメス!

 言葉づかいは、ついついこちら側の都合で言ってしまいます。特に男性と女性は、生物学的に違いがあります。それを分かった上で、会話をしなければいけないですね。
 インターネット上では、どの程度配慮しているのでしょうか?
 それはともかく、「おしつけがましさ」は電話やメールなどでは、相手の顔が見えないので、気をつけなければいけないですね。
 日本語は言葉の他に、その時の状況(周囲にいる人たち)や表情、しぐさ、風土などで、意味が違うことがありますので、注意が必要ですね!

<自分>という製品を売る!

 いかに「自分という商品」を売れるようにするか。これが今の社会で最重点が置かれています。
 年功序列の時代は、会社が社員を教育・訓練し、社員を有能化していました。しかし、能力主義の時代になると、自分の商品化は自己責任です。しかも、時が経過しても、商品としての自分を劣化しないようにする責任も自分にあります。
 自己責任が強調されると、周りからの支援も少なくなりがちです。ますます自己責任ということになりますね!

理屈はいつも死んでいる!

 社会が変化しているときは、今までの社会から出来上がった理屈は、かなり危ういものになりがちです。知識優先の人は、現状をもれなく把握することに、時間を割くことが難しいようです。
 人間の頭は、現状をキチンと把握するより、自分の記憶した知識を利用して判断した方が楽なようです。 社会の変化があまりない時代は、自分の知識を利用して判断した方が、効率的なのでしょう。
 しかし、変化の時代は、知識や経験も「いいかげんなもの」になってしまいます。がんばって、現状把握に時間を使いましょう。
 理屈が優先してしまう人は、「曖昧」や「いいかげん」を許すことが出来ないようですが、「理屈も死んでいる」と考えれば、理屈も「いいかげんなもの」になってしまいます。どうせいいかげんな知識なら、いろいろな人たちと協力し、「いいかげんな意見」にも目を向け、現状把握に時間を使いましょう。
 石油ショックの時代は、それでなんとか乗り切りました!

なにかにこだわっていたらうまくいかない!

 戦の最終目的は{お金」、それは日本では「領地=お米」です。建て前は色々と工夫して戦力を集めますが、最終的には「お米=お金」です。
 特に関ヶ原より東の武将にその傾向が見られます。西日本は、地中海の約20倍も栄養豊富な瀬戸内海があり、外国との貿易もあり、稲作にそれほどのこだわりがないためか、全国制覇は狙わない武将が多かったのでしょう。
 お金に関して、多彩な収入源があるほうが、比較的平和な社会をつくることができるのでしょう!

安心で安定したエネルギー政策!

 エコが叫ばれています。昭和30年(1955年)頃までの生活スタイルは、今に比べればはるかにエコ生活でした。
 そのエコ生活のノウハウを、実体験の人たちから早く教わっておきたいものです。知識人の人たちは、なかなか当時の生活体験が少ないので、難しいものかもしれないですね!

笑顔は元気のバロメーター!

 「笑顔」の効果が言われています。笑顔が少なくなってしまったのでしょうか?
 色々な人に、いつも笑顔で接するには、視野を広くしておかなければなりません。しかし、今の社会はスペシャリスト指向です。専門性を追求すると、視野が狭くなります。すると、どうしてもストレスが増え、笑顔も少なくなってしまいます。
 もっと「いいかげん」に生きて、色々な人に笑顔を多くした方が、気分良く、健康に過ごせるのではないでしょうか!

日本的な社会では!

 「努力」と「結果」は必ずしも比例しない。しかし、努力した側は、その努力を評価して欲しい、と考える傾向がある。
 西洋的な考えでは、「結果が全て」、この考え方が日本にも普及してきた。
 その結果、自分の担当範囲を狭くし、それを深くしていったほうが、結果を出しやすくなる。
 そのためかスペシャリストを目指す人が多くなっているのでしょうか。
 知識の範囲が狭くなると、目の視野が狭くなるのと同様に、見えなくなっている分野が多くなるが、目と違って、それに気がつきにくくなります!

「いいこと」を考えるというのは!

 ネット社会になり、「他人を落とす」書き込み情報が発信されています。このような情報は、むかしから週刊誌で発信されていました。ということは、今に始まったことではなく、人眼のサガなのですね。
 このような情報に接したときは、「発信者は能力の無いもの」と考えるしかないですね。しかし、この情報を発信してしまうと、自分は力の無い者になってしまいます!

組織とのつきあい方は工夫が必要!

 実力や実績が重視される世の中、その結果、スペシャリスト指向が強くなっています。そのためか、能力な範囲が深くはなるのですが、どんどん狭くなっています。
 異なる視点からものごとを見ることができないため、世の中が変化しているときは、その変化に対応できません。
 変化に対応できない、という生き方は、仕事を失ったとき、あるいは、リタイヤしたとき、その後の人生の幅を広げることが出来ないまま過ごすことになります。
 長寿社会の現在、なんとか工夫をしなければならないですね!

みずからの高ぶりをコントロール!

 ネット社会になり、「ひと言多い」場面をよく目にするようになりました。その影響かテレビでもよく目にします。
 自分にブレーキをかけることができない人が増えているようです。
 これは核家族が増加した影響なのでしょうか。「気を使う」あるいは「我慢する」ということが、日常の生活で少なくなったためでしょうね。
 大家族ですと、いろいろと気遣いが必要なため、その環境で生活すると「自分をコントロール」する力がつくのでしょうね!

学問は大いにやりながら、それにとらわれない!

 学問にとらわれると、なぜか視野が狭くなりやすい。視野が狭いが、深くなっていく。狭く・深くなりがちなのは、社会のしくみとして、出世しやすいからなのでしょうか。
 学問はした上で、その学んだことをいかに捨てていくか。
 いまの社会は、記憶力がよい人が、学問をする傾向があるので、学んだことを捨てることができない。その結果、イライラ社会になっているのでしょう。SNSの情報には、考え方の狭さを感じさせるものが比較的多いようですね。
 イライラを減らすには、「いい加減」が良いのでしょうね!

好きなことを知ってはじめて仕事は回る!

 仕事の処理が得意な分野と、その人が好きな分野は必ずしも一致しません。好きなことは、時間がたつのを忘れて取り組んでしまうため、必ずしも効率的とは言い切れません。
 しかし、好きな分野は、どんなに困難があろうとも、なんとか乗り越えようと取り組んで行くことができます。
 時代が変化しているときは、好きなことに取り組むべきなのでしょう!

集中しておしゃべりしたあとは気が緩むもの!

 SNSなどでの情報交換が増えています。しかし、そこでは文字情報だけです。しかし、文字情報だけでは限界があります。その限界を感じ、乗り越えるために、絵文字がつくられました。
 日本語は、英語と違って、文字情報だけでは不十分です。言葉では「イヤ」と言いながら、その表情は{イエス」の場合もよくあります。
 英語を日本語に訳すのは比較的楽ですが、日本語を英語に訳すには、場面によってはかなり難しいですね。
 幼い時から英語教育をすると、複雑な日本の風土の理解が、難しくなることはないのでしょうか?

「ホンネ」か、「タテマエ」か、まず疑ってかかる!

 ホンネ=本音(本当の音色)は、三味線や琴、太鼓などの日本の楽器、あるいは、演歌は、西洋の楽器や音楽のように倍音だけで構成されてはいません。音のゆらせ方が特殊なようです。
 その影響かどうかはわかりませんが、世間では「ホンネ」と「タテマエ」の両方が通用しています。そのような社会では、「ホンネ」を知った上で、「タテマエ」で対応していくことが大事なようです!

他人からバカにされたくない!

 誰でも、他人からバカにされることはつらいもの。それが、小学校から「いじめ」というかたちで起きているようです。
 その基本に、優劣をつけることがあるのですが、昨今の情報化社会では、その「劣」情報が拡散してしまいます。
 小学校から始まるテストや通知表により、優劣評価の中で育っています。しかも、ヒトの能力の内の一部だけ取り上げて、しかも、それが全てのような評価をしてきました。
 いつの間にか、人を含めたものごとを、優劣をつけないで、ありのまま観察する能力が、身につかなくなっているのでしょうね!

自説にこだわるあまり孤立!

 経験を積むほど、その分野の知識は増えてきます。しかし、その分野以外の情報は、意識はしていないのですが入ってこなくなります。特に男性は。
 その結果、自分の分野での優位性を武器にするようになります。それが進行したまま、歳を取っていくと、頑固で融通の利かない老後になってしまいます。
 人生の半ばを過ぎると、多彩な情報に触れるようにしないといけないですね!