段取りこそ、自分と人との関係をスムーズに運んでゆく!

 一方向の情報しか受け入れない人生、そのような人が社会で尊敬されるようです。
 いわゆる専門家です。
 選挙でも専門的に詳しい人が選ばれるようです。
 福岡県や横浜市で選ばれた人達が問題を起こしています。
 アメリカ、ロシアでもそうですね。
 少なくとも江戸時代のように、権力・才力・名誉は、1人に集中しないように分散する必要がありますね。
 分散すれば、自然災害を除けば、平和な時代が永く続く時代に近づくようですね!

愛川 八菅山修験の第五番目の行所「塩川の滝」

 塩竈の滝は、八菅山修験の第五番目の行所であり、同修験は、熊野修験の系列に属したことがあったので、滝修行は熊野の行事に準じていたことが察せられる。これによると滝そのものに神性をみとめ、滝が御神体であり、本尊であり本地仏であった。この社は、大日孁尊(おおひるめのみこと)となっているが、系列を同じうする熊野那智の滝における滝神社は、祭神を大己貴尊(おおなむじのみこと)(大国主命(おおくにぬしのみこと))とし、本地仏に千手観音を祀っており、神仏習合のすがたを整えていた。そして「滝篭り」による厳重な修行が行われていた。(案内板より:愛川町商工観光課)

生きることに絶望する人が戦争を起こしている!

 古代エジプトに見られる太陽信仰、これは「日はまた昇る」ため、一旦死んでも再生できると考え、不老不死の信仰になったのでしょう。
 その信仰が、戦争で命を失っても再生できると思わせ、だんだん激しい戦争になって行ったのでしょうか?
 そういえば、太陽族と月族がおり、太陽信仰だけでなく、月を信仰していた民族もいるようです。
 竹取物語では、かぐや姫が月に帰るとき、皇子に不老不死の薬を置いて行ったのですが、皇子はその薬を富士山に捨てたようです。月族信仰を物語っているのでしょうか?

鎌倉 日蓮が「立正安国論」を執筆した「安国論寺」

 長勝寺・妙法寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵跡とされ、松葉ヶ谷霊跡安国論寺とも言う。

 開山は日蓮とするが、弟子の日朗が1260年に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりである。

 日蓮上人の鎌倉草庵の地。

 日蓮が世間をあっと言わせた出来事があった。極楽寺の忍性との雨乞い競争で、まづ忍性が祈り始め、七日の内に雨を降らせると公言したが、結果はさんざんで、七日たっても一滴の雨も降らなかった。忍性と数百の供僧たちが更に24日間祈りに祈ったが、ついに雨は降らなかった。日蓮はこれを見て、民をかわいそうに思い、一人で七里ヶ浜の田辺ヶ池の畔で読経したところ、たちどころに雨がしとしと降り出し、異常乾燥も終止符を打ったという。この一件が敵方をより過激にし、激しい迫害を受ける一因になった。

 裏山の富士見台からは由比ガ浜海岸を含む市内を一望できる。

苦手なエアコンと上手に付き合う!

 むかし勤めていた会社でタイから来た人達、昼食の時、食堂の七味唐辛子がアッという間に無くなっていました。
 暑い国ではトウガラシをたくさん貯めることを知りました。
 トウガラシに含まれる成分が、暑さ対策に効果がある、とのこと、熊本の暑さ対策に効果があるのでしょうか?
 現在からみ成分が強いものが日本の食堂でも発売されています。
 でも、暑さ対策としてはどうなのでしょうか?

2026年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : risetu

尾道 聖観音に祈願して海難をのがれた「善勝寺」

 開基は、遠く天平の世、諸国に建立された頃と伝えられている。古くは禅宗で善性寺といい、1573~1591年尾道権現山城(千光寺山城)主杉原民部太夫元垣の菩提所となった。杉原氏の没落後は寺運も衰えたが、1596~1614年の頃、性意が中興して真言宗にかわり善勝寺と改名した。

 本尊は聖観世音菩薩(市重文)。これは一名「萩の観音」とも呼ばれている。現在の本尊は1694年住職隆慶・その弟子頼音のときに、当地の小物小屋浄甫が再建したものを1980年に修復したものである。1664年6月正遍建立の持仏堂がある。

厚木 飯山の観音さん「長谷寺」

 「飯山の観音さん」「縁結びの観音さま」として知られる長谷寺(通称飯山観音)は厚木市街から約六キロ、丹沢から東へのびる尾根、白山の中腹に位置している。
 神奈川景勝五十選、花の名所百選にもなっており、参道、境内、桜の広場には約二千二百本もの桜の木があり、春にはお花見客でも賑わう。
 また、本堂裏側より登る白山森林公園ハイキングコース頂上展望台からは関東平野を一望でき、正面に横浜、左手に東京新宿を見ることができる。

性格は、人生のいろいろな段階で変わっていく!

 意欲が無いといつの間にか悲観的になっていることが多いですね。
 希望を持つには、前向きに考えることが大事ですね。希望をあがあれば悲観的になることはありません。
 失敗しても前向きに考えていれば、新たな希望が見つかります。
 前向きに考えることに、ボランティアかと同派役に立つのでしょう!

海老名 江戸時代初期に創建されたか「龍昌院」

 「新編相模国風土記稿」では、山号を上郷山、宗珪寺(海老名市河原口)の末寺とされています。本尊は、木造釈迦如来坐像で、寛保2年(1742)の修理墨書があることや作風から江戸時代前期に造立されたと考えられます。
 寛政2年(1790)に江戸糀町7丁目の仏師・西山平治郎が造立した木造地蔵菩薩半珈像なども安置されています。
 能山雲元(?~1620)が開山したと伝えられることから江戸時代初期に創建されたと考えられます。
(「自然と歴史のさんぽみち」(海老名市教育委員会発行)より転載)

嫌われているなと思っている人には挨拶をしておく!

 自然に話せる人がいたり、気お使いながら話す人がいますね。
 相手が、自分の知識にこだわる人は、話しにくいですね。
 知識というものの多くは、ある条件の中で正しいものが多いのですが、そのことを意識しないで、どの場面でも正しいと思っているようです。
 それに気づいたのは小学校の家庭科の時間です。
「新鮮な魚の見分け方」で教科書には
 ①目の色の澄んでいるもの
 ②えらの色が鮮やかなもの
 などが書いてありました。
 しかし、私の育った町では、魚に触って動くかどうかでした。タコとかイカでは、吸盤にさわって吸いつくかどうかでした。
 テストに体験をもとに答えを書くと「×」なのでしょうが、教えられる知識に疑問を持ちました!

鎌倉 退居寮として開創「白雲庵」

 正和年間(1312~16)に退居寮として開 創。 禅師は曹洞宗を修めた中国元の高僧で、1309年、時の執権北条貞時の招きで来日し、1310年円覚寺第10世となり、暦応3年当寺にて遷化するまで、建長寺(18世)、寿福寺などの住職を務めた。江戸時代前期には40の塔頭があった。 現在は18寺の塔頭があり、そのうち住職のおられるところは13寺。 白雲庵はその中で最も古い塔頭である。

 天気が良ければ、ここから富士山が見えます。

物質的な富を誇っても、その人自身の価値ではない!

 自然にそって生きていくのが生物の基本。
 その本の中で、状況に応じて協力しながら生きてきた人間。
 しかし、文明が出来、産業革命を行い、いつの間にか自然は制御できると、思ってしまいました。
 でも、自然はそう簡単には、人間の思うとおりにはなりませんね!

尾道 四十八夜念仏修行ののち入水往生「信行寺」

 1214年に浄土宗第二祖の聖光が開いた寺で本尊は阿弥陀如来。元は聖光が向島の三ツ石に一草庵を結んで住んだのがはじめである。

 1596~1614年に住職称住がこの草庵で四十八夜念仏修行をしたとき、その満願の暁方、阿弥陀如来の来迎に逢い、結集と共に入水往生したが、その時結集の中の一人は現世に残ってこの庵を相続せよというので、行欣が残ることになり、1603年現在地の下の山陽線路上の辺に移った。

 1891年山陽鉄道が開通したので、堂舎を現在地に移した。

近日中にかたづけるべき仕事を列記する!

 やることがたくさんあり、頭が混乱したとき、リストに書き出すことも良いのですが、カードに書き、優先順位に応じて並べることも、効率化につながります。
 カードだと、並び替えが自由に出来、途中で変えることも可能です。
 霊性に考えることが難しい場合も、支援してくださる方に、優先にづけを手伝ってもらうこともできます。
 混乱したときは、「文字化」できれば良いですね!
 

厚木 相模国式内社の「小野神社」

 現在の拝殿は、嘉永(かえい)元年(1848年)に建てられ、わら葺屋根でありましたが、昭和四十三年に鉄板蓑きに替えられました。本殿は拝殿よりも1mほど高い地面に神明造(しんめいづく)りで造られています。「新編相模国風土記稿」に「閉香明神社(かんかみょうじんやしろ)、村の鎮守なり延喜式に載りし小野神社、当国十三社の一(いつ)にて祭神(さいじん)下春命(したはるのみこと)という」とあります。
 明治時代になってから、この神社の祭神には日本武尊(やまとたけるのみこと)も加えられました。それは日本武尊が東国の賊の征伐に向かった際、野火の焼きうちの苦難にあうという「古事記」に記述の地が「小野」と関係するとして祭神に加えたもののようです。

(「玉川の歴史と民話を21世紀に」(玉川地区協議会)より)

マネジメントは、あくまで「継続的なもの」!

 経済の成長期には、「一発勝負」を繰り返すリーダーが多かったが、経済が安定化すると、周到な準備をし、着手するタイミングを見計る必要がある。
 いあゆる「正しい判断」ができるように、「ものさし」となるべき誠実な人生哲学を持つ必要がある。
 これには、事実をありのままに、正確に把握する経験を積み上げるしかないんでしょうか!

鎌倉 登り口に「星ノ井」のある「虚空蔵堂」

 虚空蔵菩薩は密教で発達した仏です。果てしなく大きな智慧と福徳があるとされ、その智慧を頼って「虚空蔵求聞持法(ぐもんじほう)」という修法(しゅほう)が生まれました。この菩薩の陀羅尼(だらに)を百万遍唱えると、人並み外れた記憶力が授かるといいます。空海もこれを成し遂げ、利益を得たそうです。
 また、五大虚空蔵菩薩を本尊とした息災・来福の祈願法もあります。五大虚空蔵菩薩とは、金剛界曼荼羅(まんだら)の如来が虚空蔵菩薩に変化したもので、菩薩の法力を五つに分けて五尊で表しています。
 基本的なすがたは菩薩形で、蓮台に座しています。右手には智慧を象徴する剣を、左手には福徳を表す如意宝珠(にょいほうじゅ)を蓮華の上にのせて持っています。ただし、求聞持法の本尊となるときは、右手は与願(よがん)印です。

トリビア:虚空蔵菩薩を本尊とする寺では「十三参り」が行われる。数えで十三歳になると、福徳・智慧・健康を授かるようにとお参りする行事。
(『イラストでわかる「日本の仏さま」』 日本の仏研究会編より)

些細なことに対しても、ふらつかない胆力!

 心の安定感はどのようにしたらいいのでしょうか?
 何かにこだわってしまうと、不安感が出やすいようです。
 すると、行動もできなくなってしまいます。
 具体的な行動に移れば、不安感などは湧いてきません。
 やはり、早く決め(これが大事)、早く行動出来れば、不安はなくなるのでしょうね。
 訓練しかないのでしょうね!

尾道 昔、夜毎に海上を照らした玉の岩の「千光寺」

 寺伝によれば806年に空海(弘法大師)によって創建され、源満仲(多田満仲)によって再興されたというが確証はなく、中世以前の寺歴は判然としない。
 興趣千変万化、奇岩、奇勝など四季を通じて自然の神秘を探賞できます。

 唐から空海が帰国したのが806年、これ以降、真言密教が日本に広められた。ということは、806年に創建されたは??ですね。
 また、高野山金剛峯寺を修禅の道場として開創したのは816年のことで、真言宗の開宗はその頃とされています。

顔の表情は感情の鑑!

 笑うと人間関係がよくなると同時に、自分の健康にもよいと言われています。
 大阪の笑いは、苦労する環境の中で、生き残るための笑いなのか、そんな気がしてきます。
 大阪の笑い、京都の言葉遣い、なんとはなく生き残るために生み出したような気もします。
 しかし、対人関係では、笑いは大事な機能なのですね!