文字文化の伝達方法がそろそろ終駕に!

“ ネットで写真や動画で情報発信することが増えています。言葉での情報発信に限界があることをを感じたのでしょうか?
 しかし一方で、テレビよりラジオを好む人も増えているようです。
 文字情報の中にも、日本語のように発音は同じでも、異なる漢字を使う言葉もあります。
 また、現地でその場所の歴史や伝説・民話を、言葉や文字で情報を伝える場合もあります。
 日本では、漢字そのものの語源を意識しながら、言葉によるコミュニケーションも情報が深くなるので、大事にして行きたいですね!、”

鎌倉 太田道灌の屋敷跡と伝わる「英勝寺」

“ 英勝寺は、鎌倉にある唯一の尼寺。1636年(寛永13年)に建立された。
 開基は、英勝院尼で扇谷上杉氏に仕えた太田道灌の曾孫、太田資宗の娘。徳川家康に仕え、家康の命により水戸家初代の徳川頼房の養母となった。家康が没すると、出家して名を英勝院とあらためた。そして、先祖の供養とみずからの後生のため、寺を開くことを幕府に申し入れ、1636年11月に仏殿が完成した。その後、代々、水戸家の娘が住持となった。
 お勝の方(英勝院尼)の逸話。あるとき江戸城内で家康公が大勢の家臣たちとの雑談の折、「およそ食物のうち、一番うまいものは何じゃ?」とご下問があった。めいめい一番うまいものを言ったが、お勝の方は「塩でございます。およそ食物の味をひきたて、旨くするも、まずくするも、塩加減ひとつでございます」と答えた。料理で苦労した人でもあったのでしょう。”

学校教育は知識を詰め込むだけの場所!

“ 太平洋戦争に後、アメリカが日本の教育制度を改革し、日本をアメリカの属国のようにした。これは日本にとっては、メリットもデメリットもあったのでしょう。
 その後、日本的な修正が加わり、現在に至っていますが、まだ改善が必要のようです。
 いま、詰め込み教育が見直されつつあるが、その効果は???
 また、子供の安全な環境も整備されたが、行き過ぎたためか、安全に対する思考能力が落ちたためか、何も考えないで指示役の支持通りに、犯罪を犯す人を生み出しています。
 子供時代から、自分の安全に対する思考の訓練が、もっと必要なのでしょうね。
 ところで、ロシアが征服したウクライナの一部での教育は、どんな占領教育をしているのでしょうか。その面での教育は、ロシアは歴史的にベテランですから心配です!”

尾道 裏山の岩に彫られた十六羅漢「済法寺裏山」

 済法寺の裏山斜面の自然岩に多くの磨崖の羅漢像が刻まれています。 済法寺の裏山の一面に広がる巨岩に、釈迦如来座像を頂点として、4段ぐらいの岩群に、光背状に彫りくぼめて半肉彫りする十六羅漢磨崖仏があり、江戸時代の尾道石工の技術の切れをノミ跡に見ることができます。

 ただし注意が必要です。見学用の道がないので山で遊んだ経験のある人はともかく、山遊びの経験がない人は、双眼鏡など準備して下から見てください。特に枯れ葉が落ちている(残っている)シーズンは、滑りやすいので注意してください。

ボランティアは自分のためでもある!

“ 「人助けは、自分助け」と言われています。
 大阪の商人文化には、「儲けた金は、社会に戻す」という風土がありました。松下幸之助さんも、神社やお寺に多く寄付をしたとか。そう言えば浅草の雷門も幸之助さんの寄付ですね。
 尾道にも、ダムを造るとき国と県の補助金以外は、商売で成功した1人の商人の寄付だったとか。
 その背景には、親の責任は、子供を一人前にするまでで、遺産を子供に残すという考えはあまりなかったようです。
 一方明治維新の頃、生糸とお茶が輸出のメインだったのですが、静岡のお茶は、お茶に土を混ぜ儲けようとしたとのことです。お茶の生産者は、もと徳川の武士だったようです。商人文化を知らなかったのでしょう。
 なんだか、静岡県のリニア中央新幹線問題がふと頭に浮かんできました。”

鎌倉 江戸の増上寺に次ぐ学問所「光明寺」

“ 浄土宗の寺で、建長寺(けんちょうじ)・円覚寺(えんがくじ)などとならぶ鎌倉の大きな寺の一つです。
 一時衰えたようですが、江戸時代に徳川家康(とくがわいえやす)が、浄土宗の学問所として関東の主な寺院十八寺を十八檀林(じゅうはちだんりん)という有名な学問所と定めたとき、光明寺は江戸の芝にある増上寺(ぞうじょうじ)に次ぐ学問所として選ばれ、大いに栄えました。また、光明寺は、家康などの将軍から寺領の寄進を受けただけでなく、大名の内藤家(ないとうけ)からも寄進を受け、内藤家の菩提寺(ぼだいじ)となってからは大名寺(だいみょうじ)としても栄えました。
 広々とした境内の正面には、大殿(本堂)が建っています。1698年(元禄十一年)の建立。現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂で、本尊阿弥陀三尊ほか諸仏が祀られています。”